人類最強の兵長と。
□いつもと違う日。
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雪風がカタカタと窓ガラスを揺らす。兵舎の外には真っ白な雪が積もっていて、いつもなら小屋に繋がれている馬達も全て兵舎の中に入れられていた。訓練の森も白く染まり、どの兵士もフードを被ったまま除雪作業に追われている。
「そっちの屋根の上も頼む!俺、あっち行くからよ!」
「おい!ちゃんと下見て雪落とせよ!危ねぇだろうが!」
「アリア、余所見していると危ない。しっかり足場を見て。滑って落ちたら大変。それにスコップの持ち方が違う。こうして…、こう。」
『ごめん、ミカサ…!私、こういうの初めてで…!』
「だからお前は中に入ってろって言ったんだよ。これで風邪でも引いてみろ、俺達が兵長と団長に殺されちまう!」
『そんな事ないよジャン…!それに、私だって少しくらい力になれるもん…!』
そう言って、自分の身の丈ほどある大きなスコップを雪塊に突き刺した。アリアは、こうして除雪作業をするのは初めてだった。いつもならこうして雪が降る日は、家の中に入っていなさい、と祖父に言われていた。暖かい暖炉の前で寒気が過ぎて行くのを待ち、朝になって太陽が顔を出していたら、愛鷹と共に外に飛び出して遊んでいた。
調査兵団に属してから迎える初めての冬。
アリアは雪の冷たさと重さ、そしてスコップの使いにくさを生まれて初めて感じていた。
『ふぅ……』
「アリア、はいタオル。結構濡れたね、途中で霙(みぞれ)に変わったから…。」
『みぞれ…?それって、さっきの雨みたいな雪のこと?』
「うん、そうだよ。もっと気温が低い日はね、雪が服やマントに付いても凍ったままだから、染み込まないんだ。」
『へぇ…!』
アルミンの話に、興味深そうに目を輝かせるアリア。髪を拭きながら食堂を目指す若手兵士たちは皆寒さで凍えており、その頬を赤く染めていた。
ぞろぞろと歩く若手兵士の中に紛れて歩くアリアは、それからもアルミンに雪についての知識を教えてもらった。知識だけでなく雪を使った遊び方も教えてもらい、食堂に到着する頃にはすっかり雪合戦の虜になっていた。
「あはは!確かに…!リヴァイ兵長を仲間に入れたら、ものすごい雪合戦になりそうだね。」
『うんっ!もしできるならね、エルヴィン団長チーム対、リヴァイ兵士長チームに分かれて雪合戦してみたいな…。』
「随分と面白そうな話、してるじゃねぇか。」
静かで、はっきりとした声に、アリアとアルミンは背筋をピンと伸ばして振り返った。食堂に向かう所だったのだろう、振り返った先にはリヴァイ、ハンジ、そしてエルヴィンが立っていた。思わず敬礼したアルミンに出遅れて、アリアは慌てて頭を下げる。
「いいねぇ、雪合戦…!ねぇエルヴィンとリヴァイで闘ってよ。まぁ何も賞品がないっていうのも面白くないから……そうだねぇ…勝った方はアリアを抱き枕にする権利を得るとかさ!」
『ええっ?!だ、…抱き枕ですか?!』
「マトモに相手してんじゃねぇよ。ほら、行くぞ。飯食うんだろ。」
「ははは、本当にそんな権利があるなら…俺は確実に勝利する作戦を練るよ。」
「え…エルヴィン団長の目が本気だ……」
大人三人組に巻き込まれると、すっかりペースを奪われて。アリアとアルミン、そして大人三人組が食堂に入ると、すでに食事を始めていた兵士達がびしっと敬礼をした。それを制するように手を上げたエルヴィンが、ふとアリアを見て動きを止める。
そしてそのままアリアの髪を掬った。しっとりと濡れている、というよりも、ぐっしょりと濡れてポタポタと雪水を落とすそれに触れて、眉間にシワを寄せる。
その行動を見ていたリヴァイも、ふと立ち止まった。
「…アリア、食事の前にちゃんと髪を乾かしなさい。」
『え…あ……すみません。』
「…凍ってるぞ、この髪。エルヴィン、ハンジ、先に行け。アリア、来い。」
『あ…はい…!』
まるで犬の首輪に付けたリードを引くように、リヴァイはアリアの髪を握ったまま出口に向かって歩きだす。その光景を見てクスクスと笑うハンジと、むっと顔をしかめるエルヴィン。リヴァイはすれ違う兵士達がぎょっとした顔をしていても、アリアというペットの髪を引っ張りながら散歩している状態を辞めなかった。
そして自分の部屋に入れると、アリアを椅子に座らせた。タンスから取り出した真っ白なタオルを彼女に放り投げれば、自分も彼女の背後に立ち、まるで当たり前のようにもう一枚のタオルで優しく拭き始める。その行動にも、アリアはさして動じることはない。よく、風呂上がりに彼が髪を拭いてくれるからだ。
「…フード、被ってなかったのか。」
『被ってました…。でも、髪が長くてマントの下から出てしまって…。』
ふぅ、と呆れたように自分の髪を拭くアリアを見て、リヴァイも同じように溜息を吐いた。彼はまるで職人のように彼女の髪を丁寧に、決して傷つけることなく、摩擦を起こさないようにと拭いていく。金色の髪が艶々と輝くのを見て、納得するように頷いてから、次の毛束を手にする。
『…そろそろ切ろうかな…。』
「あ?」
『髪、切ろうかなって…。』
「……別に、好きにすりゃいい…」
そう言いながら、アリアの背に立っているリヴァイは少しだけ、目を伏せた。切るのは、いったいどれくらいの長さを切るのだろうか。この髪をオークションにかけようとする地下の人間も居るくらいだ、また伸びるとはいえ、勿体ないと感じてしまう。
(というか…アリアが除雪作業に入る必要はねぇんだがな…。そう言うと、こいつは意地でも除雪作業に加わるだろうが…。)
『リヴァイ兵士長は、どれくらいの長さの髪が好きですか?』
「…別に…どうだっていい。短くしても結局また伸びるだろ。」
『そう…ですね…。すみません。』
残念そうに肩を落としたアリアを見て、ぴくりとリヴァイの頬が引きつった。いや、これは以前に学習した。自分の好みを聞いているのだ、自分がどう思うか、という所を話しておかないと、後々、自分が後悔する結果になるのだ。
「…まぁ、お前の髪は…長い方がいい。」
『えっ…?』
「…何だ。」
『あ…いえ…。ふふっ、ありがとうございます。』
嬉しそうに笑ったアリアに、リヴァイは思わず恥ずかしくなって目を背ける。それでもアリアが嬉しそうにするものだから、思い切り頭をタオル越しに掴んでやった。
「…何がそんなに面白ェんだ?あ?」
『い、いたたたた!ちょっと、リヴァイ兵士長!痛いです!』
「チッ……呼び方。」
『はい…?』
「誰もいねぇだろうが。」
『……あ…。』
言葉の意味を理解した瞬間、アリアは顔を真っ赤に染めて口を閉ざした。意識すればこうして髪を拭いてもらっていることも、さっきまではまるでペットのように扱われている、と感じていたのに…その優しい手つきが肌と髪を通して伝わり、彼の指が自分の産毛を微かに揺らせば、鳥肌が立つように気持ちよく感じた。ぞく、と寒気に似た快感が背筋を通り過ぎる。
その瞬間、アリアは小さくくしゃみをした。
「ったく…風邪引くんじゃねぇぞ。」
『は、はい…!すみません!』
(こ…こんな時に、私……)
顔を赤くして恥ずかしそうにしているアリアの顔を見て、リヴァイが声を出さずに笑う。その微笑みは、俯いている彼女には見えないが、リヴァイはまた優しい手付きで髪を
拭き始め、後ろから抱きしめてやりたい気持ちをぐっと堪えて熱い息を吐いた。
我ながら、よく我慢している方だと思う。
触れるのも最小限に留めている自分の自制心は、もう神の域にいるとも思えてくる。などと馬鹿なことを考えながら愛するアリアの髪を拭き終わったリヴァイ。完璧主義な彼らしく、艶々としたアリアの髪に指を通して、最終確認。
そして食堂に戻れば、真っ先にハンジが飛び出してきた。
「ねぇねぇアーリーア!リーヴァイ!何してたの?!」
『は、ハンジさん…!』
「髪を乾かしてやってただけだ。おまけにコイツ、くしゃみして鼻水垂れ流しやがるから、着替えさせた。」
『はなっ…!そんな!垂れ流してなんか…!!』
「着替えさせたって、リヴァイがアリアを着替えさせたの?」
くっきりとしたハンジの声が、食堂の雑音をかき消した。食事をしていた兵士達が、その興味津々な視線をそーっとリヴァイとアリアに向ける。
「は…?んな訳ねぇだろうがクソ眼鏡!デケェ声で言ってんじゃねぇ!」
「だってだってさ!今の言葉なら、そう誤解してもおかしくないよね、アリア。着替えさせた、なんて言うリヴァイが悪いと思うんだけど…アリア、今の私が悪いかい?」
『え、え…え…??』
「チッ…アリア!さっさと飯取りに行け!」
『あ、はいっ…!』
「なんだよ、照れちゃって。あ、そうだリヴァイ。はい、コレ。」
アリアが食堂のカウンターへと駆けていくと、ハンジがポケットから小さな箱を取り出した。そしてリヴァイの手に置くと、まるで聖母のような笑顔で早く開けろ、と促した。
「…何だ、これ。」
「プレゼント。」
「…ああ。そういや、そうか。」
「ほら、早く開けてよ!面白いから!」
「ああ、分かる…。ロクな物じゃねぇんだろうな…」
そう言って、パカっと箱を開けたリヴァイは、何枚もの薄い袋に入った、正方形のものを見て固まる。そして顔を引きつらせて決してアリアに見えないようにと自分の陰に隠した。その速さはまさに光速。その反応に、ハンジは満足げに笑ってリヴァイと肩を組む。
「すごくない?すごくない??…暗闇で光るタイプに、ゴツゴツの突起が付いてるタイプ…それに、生でやってるかのように薄いタイプに、とっておきは…アリアの大好きなイチゴの香り!」
「…ば…馬鹿かテメェ…!!」
(こんなモン、あいつに見られたらどんな反応されるか…!)
「何だよぉ、そんなに顔を赤くしちゃってさ。早くアリアと繋がれたらいいなぁっていう、私からの願いさ。店主のおすすめはやっぱり、暗闇で光る蛍光タイプらしい。だってさ、例えばアリアが恥ずかしがって灯りを消しても、ヤってる間自分のモノとアリアの結合部が見えるんグッフォオ!!!」
饒舌に喋るハンジを、リヴァイが思い切り首を掴んで一本背負い。床に叩きつけられたハンジはそれでも達成感溢れる顔で気を失い、鼻血を垂らしていた。その手は何故か親指が立っていて、もう思い残すことは何もない、と言っているようにすら見えた。
『ど、どうしたんですか?!』
「な……なんでもねぇ。奇行種を駆除しただけだ。ほら、飯にするぞ。ハンジは放って置け。」
アリアは、倒れながらに満足そうに笑っているハンジを見て、やっぱり自分には理解できないこともある、と納得した。そしてリヴァイとテーブルを挟んで食事を始めると、そそくさと若い兵士達が近寄ってきた。なんだろう、とアリアが顔を上げると、エレン、ジャン、コニー、アルミンがリヴァイの後ろに並んでいた。
「リヴァイ兵長、これ、自分達からです。」
「…あ…?なんだ、知ってたのか。」
「エルヴィン団長とハンジさんが話していたのを聞いたんです。気に入ってもらえるといいですけど…。」
「…これは…紅茶か…。えらく良い匂いのする茶葉だな。」
銀色の缶を開けたリヴァイが、満足そうに口元を緩ませた。その反応が嬉しかったのか、アルミンも笑顔になる。するとコニーがズズいと前に出て、白い長方形の箱を差し出した。
「こっちも開けてください!俺達、この間の休みに内地に行って…選んできたんです!」
「ほう…これは…」
白い箱から出てきたのは、ペアのティーカップだった。ソーサーとスプーン付きのそれは、白い陶器でできている。どうしてペアを、とリヴァイが顔を上げると、コニーが慣れないウインクをぶちかます。片目を閉ざすつもりが、もう片目が半開きになってしまっている。しかし思いは伝わり、コニーの思惑と、リヴァイの予想が合致したのだろう。
リヴァイは二つのティーカップを持ち上げて、ちらりとアリアを見た。
「…ありがとうな。お前たち。」
「い、いえ!では、お食事中失礼しました!」
嬉しそうに頭を下げた若い兵士たちは、ぱたぱたと食堂から去って行った。リヴァイはその白い箱と銀色の缶を傍らに置いて、食事をし始める。
アリアはその青い目にその光景を写しながら、何度も瞬きをした。そして納得できないのか、首をかしげる。
『……今日は、兵士長にたくさんプレゼントが届くんですね…。』
(さっきもハンジさんが何か渡してた…)
「あ?…まぁ、そうだな。」
『そういう…日、なんですか?』
「ああ…今日は、俺が生まれた日だ。」
リヴァイがそう言って暖かいスープを口にした。彼女が調査兵団に戻ってきてからというもの、魚だけでなく食べられるキノコ類も増えて、食事の質がが格段に上がった。魚を取れない冬でも、満足できる食事がある。リヴァイはこれを食べ終わったら、早速この茶葉で紅茶を入れてやろう、と考えた。ティーカップもある。
『…今日、誕生日…なんですか…?』
「…?…ああ。」
『わ…私、聞いてない…です。』
「…ああ、そういや言ってねぇな。」
『そういや、って……』
アリアの震える声に気付いたリヴァイが、ふと顔を上げる。
(…なんだ…?)
その瞬間、アリアが立ち上がった。顔を赤くして、眉間にシワを寄せて、唇を震わせている。
明らかに怒っている彼女の顔を見て、リヴァイが目を丸くする。こんな風にアリアが怒るのは…アリアの怒りを真っ直ぐに向けられるのは、初めてだった。
急に立ち上がったアリアを見ているのはリヴァイだけではなかった。先ほどリヴァイに背負い投げされたハンジも、食事途中の兵士も、どうしたんだろう、と視線を向けている。
『…っ…リヴァイさんは何にも分かってない!!』
「あ…?おい、…待っ…!」
バン、と音を立てて食堂のドアが閉ざされた。椅子から立ち上がった状態でドアを見ているリヴァイと、ハンジ、そして兵士たち。しん、と静まり返った食堂で、ハンジは呆れたように盛大な溜息を吐き、兵士たちもリヴァイに悟られないように苦笑いをこぼした。そう、その場にいる誰もが、事の内容を瞬時に理解した。
ただ一人、リヴァイを除いては。