どマイナー夢

□橘の彼女2
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「こんにちはー、お邪魔しても良いですか?」


可愛らしい声が聞こえて、その声の主が棗さんだと気づくと、橘は優しい雰囲気を持つ。
そして愛おしそうに彼女を見て笑って、席を勧める。


「あのな、イートインするのに邪魔も何もねーだろうが」


少しだけスパイスの香りをさせた憎まれ口。
本心はシュガーのように甘く、優しいもの。

今日も、彼らは 柔らかく生きている。


「お客様に向かって、右からリモニー レモンクリームとチョコレートのケーキでございます。
 まろやかなチョコレートとレモンの酸っぱさが絶妙にマッチした一品でございます。
 苺とカスタードバタークリームをピスタチオ風味の生地で挟んだフレジェ。
 新作のパヴェ・オ・カラメルはブルターニュ産の有塩バターたっぷりのキャラメルソースと濃厚なショコラ、
 デコレーションのパリパリとしたキャラメルがケーキにアクセントを加えます。
 中までしっとりホイップクリームたっぷりのショコラ・クラシックは悪魔的なおいしさでおすすめの一品です。
 他にロイヤルミルクティー風味のシュー・パリジェンヌやシフォン、ラズベリーアイスクリームなどもございます」


橘の低い声が僕が作ったケーキを紹介していく。
彼の選ぶ言葉一つ一つが、デコレーションのようにケーキを彩り、すべてをコーティングする。
嫌ってもいいはずのケーキに愛を語るような言葉は、僕の心にゆっくりと舞い落ちて積もっていく。

棗さんは悩むように少し言葉を溜めて、フレジェとショコラ・クラシック、アッサムを頼んだ。
そういえば棗さん、コーヒー苦手だって言ってましたもんね、と僕の知らない情報を呟いたのは神田君だ。
やっぱり僕は彼女のことを一番知らないらしい。
それはそうだと思う。
だって、僕の真逆にいる人だから。
女性で、橘の彼女 という立場にいる人だから。


「二つも食べたらカロリーオーバーかなぁ」


その言葉にケーキを運んだ橘は、売り手としても彼氏としても首を振った。
んなことねーよ、むしろもっと太れ。折れるぞ。
そんな声が聞こえて、女性の…棗さんの柔らかな身体や細い肢体を思う。
彼女の美しさは、多少ふくよかになっても変わらないだろう。
心が、とても綺麗なのだから。


「…美味しい」


優しく落とす声は、橘にも、僕にも、神田君にも、千影さんにも甘く響く。
じんわりとまるで波紋のように心全体に広がって、身体も気持ちも心地よくしてくれる。

彼女のような人がいて良かったと思う
橘には、彼女のような優しくて儚い、でも折れない人が必要なのだ
簡単に掴めてしまう細い腕も
強く掴めばすぐアザになるだろう白い肌も
風に吹かれて散ってしまいそうなあの儚さも
何もかもが橘のためにあるんだ



橘の手が、壊れ物にでも触れるように、繊細に彼女の髪を撫でる。
あの、大きく少し冷たい手があんな風に動くなんて思わなかった。
彼の手は、なにかに掴まるためだけにあると思ったから。
彼はいつでも何かを掴もうとしていて、いつもそれがうまく行かなかった。
それを千影さんから聞かされて、僕なら彼の手を掴めるのにと思った。
僕なら、彼の手を掴んで、ずっと握っていられるのに。
…僕が男でなければ、きっと。

だけど事実、僕は男で、橘も男だった。
僕は男で、棗さんは女で、橘は男だった。


その事実は、深く深く、僕と彼らの間に横たわる



「この、ね」

「ん?」

「最後の、一口がね、幸せに満ちた味なの」

「…あぁ」

「なんて言うか…きらきらの星を食べるみたいな」


彼女の言う言葉は幼く、ある意味で幼稚で、そして率直。
おとぎ話を読むような言葉が、彼女の柔らかな声と雰囲気に、何故か合っていて
そのまま純粋でいて欲しいと思う反面、穢れて橘一色に染まって欲しいとも思う。

最後の幸せを食べ終わると、棗さんはその幸せを全身で感じるために瞼を閉じる
その整いすぎた顔を、僕のケーキが輝かせているのだとしたら、嬉しい。



僕は橘に勝てない
そして、棗さんにもなれない
だけど、それでも

ひとつだけ、僕にも、…こんな僕にも出来ることは
彼女に幸せをつくること

シンプルな、…たったそれだけのことだけ







>橘は食べ終わった棗さんを、優しく優しくまるで神を崇めるかのような、優しい笑みで見つめていた。


あとがき

小野が暴走した…。こんな話になるはずでは………。
とりあえず綺麗な言葉で隠しているけど、好きな人を独占している彼女が憎いーって話になるはずだったのに…。
これじゃぁ彼女に惚れてるみたいじゃないか………!それは不味い。
とりあえず、橘と彼女は幸せになれるのだろうか…?

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