□だれもしらない
1ページ/2ページ


「………あの、ムスカ大佐?」

若い娘が気まずそうに言う。
上品なドレスを着て、窓際で革張りの高そうな椅子に腰掛けている。
呼ばれた男は視線を落としていた本から顔を上げ、振り向く。

「何ですかな、ナツメ嬢。私のことは是非ムスカと、そのままお呼びください」

茶色い髪に薄い色のサングラス。少し目つきが悪いようにも見えるが、なかなかの顔をしている。
声は低く、ナツメの名前を呼ぶときは普段よりも声のトーンは優しくなる。
彼が言う”制服さん”をからかうような声ではなく、柔らかいものだった。

ナツメはムスカの家にムスカの上司である父と共に訪れていた。
父はちょうど緊急の電話で席を外している。
父が席を外してからムスカは「少し失礼」と断った後古い文献を取り出した。
大きめの本で、とても古いものだった。
黄ばんだページが捲るたびにページが破れそうである。
その一応は女性が同じ部屋にいるのだが、ムスカはそんなことお構いなしのようだ。
そんな空気に耐えられず、ナツメはムスカにいとまを告げようとした。

「はい。…ムスカ……さん。あの、お暇でないのでしたら、私はもう…」
「いえ、そんなことはありませんよ。」

ムスカはその言葉に笑って頭を振る。文献は開いたまま、持っていた手帳だけを閉じる。

「ですが、とてもお忙しそうですわ。難しい本を読んでいらっしゃるようですし」

椅子から立ち上がらないままだが、ナツメは体をムスカに向ける。
日の光が優しくナツメを包んでいる。

「あぁ、この本のことですか?…読み解こうと思っているのですよ」

ムスカはそう言って本を撫でる。その手つきは愛しい人へのものに似ていた。

「え?」

読み解こうとしている、などと言う言葉は彼女にとってかなり新しいものであった。
暗号は軍隊の中では通じているだろうし、ムスカは軍人である。
教師や研究者のように本を読み解く必要はどこにもないはずである。

「古代の文字なのですがね、読み解こうと思っているのです。是非読んでみたい」

ムスカがそう笑うと、ナツメはやっと納得したように笑った。
そして立ち上がると、さすが上流階級の女性である。うまくスカートをさばいてムスカに近づいた。
だが、レディらしくムスカに近づきすぎることなく、うまい位置に立つ。

「…見たこともない形ですわ。………とても難しそう」

開かれたままの文献を覗くと、文字と言うよりは一つ一つが何かの図のようである。

「そんなことはありません。…そうですね、これはHに当たりますし、これは単語で"王"を指します」

そう言いながらムスカが指を指す。文献の上を滑る指は男らしく骨張っている。

「王?王様がいらっしゃったのですか?」

そうナツメが問うとムスカは嬉しそうに口元を緩め、深く頷く。

「えぇ、とても古い王国だったのですよ」

そう言って王国の名前を見せる。
ナツメは文献の文字では読めないが、ムスカが手帳に書いた文字ならば読めた。
"ラピュタ"


「………素敵ですね」

ナツメが柔らかく笑む。
それに答えるようにムスカも笑った。

「そうですね。…ナツメ嬢、見てみたいとは思いませんか?」
「この文字を使った王国を、ですか?」

ナツメがムスカの方を見ると、ムスカは目を細め頷いた。

「そうです。やはりあなたは頭が良い。私の言わんとする事をすぐに理解してくださる」
「いえ、そんな」
「さすが将軍の愛娘さんだ」

ムスカは今この場にいない上司の顔を思い浮かべ、打ち払う。
あのタヌキには全く似ていない所を見ると、母君はとても美しい人だったのだろうなどと考える。

「…いえ、あの………」

恥ずかしそうにうつむくナツメを、ムスカは出来るだけ優しい声で呼んだ。


.
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ