□愛の歌
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美しく舞い落ちる桜の花びらが棗の大きな瞳に映っていた。
何度見上げても大きな校舎。
公立とは比べものにならないその大きさと設備に感心しながら、生徒手帳に添付してある地図を見て進む。
入学式を行う講堂に集まらなければいけないのだが、棗は地図を読むのがめっぽう苦手だった。
地図を回す人は空間認識能力がないんだって、と修学旅行先で笑っていた友人は、そのときまさに地図を回した棗を見て絶句をしていた。
棗はそんなことを思い出して笑いそうになったが、地図を見てひとりで笑っているのは怪しすぎるとどうにか笑いをかみ殺した。
目印になりそうな建物は、と顔を上げた時突風が吹いて、落ちていた桜の花びらを巻き上げた。
空の青と薄紅が互いに相反し合い美しさを主張する。


「綺麗…」


誰に聞かせるでもない呟きはそのまま消えていくはずだった。
だが、その予想は外れた。


「おまえさんの声の方が、綺麗じゃよ」


耳に残る低いテナー。
その低い声で囁かれれば、誰もがその声の虜になるーーー。
銀色の煌めきと拍手は彼女を支え続け、感動に涙をこぼした顔は目蓋の裏にある。
なぜこんなにも心を惹きつけてやまない人に霞をかけることができたのか、棗はわからなかった。
たった一言で心も思考も身体の自由さえも簡単に奪い去った、その声。

ーーー真剣に歌いに来ている人に、迷惑ーーー

そういわれた時の歓喜すら一挙にふくれあがり、棗は鼓動すら止まったと思った。
早く早くと願う心とは裏腹に、驚きとうれしさに固まった身体はずいぶんゆっくりと棗を振り返らせた。
そこにいたのは、桜の薄紅を背負った銀髪のーーー。
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