01/17の日記

17:11
妄想に浸るのは、楽だから。現実よりも、ね。(その3)
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などと。


うちの想いも本気だったらなーなどと更に妄想を重ねるjadeであった





昨日の日記の最後らへんにも書いたのだが、

その関係性に萌えるのは、やはり何だかの障害があるからなのでしょかねぇ。




で、やはり“禁”はよいな〜などとしみじみ。

で、「軍服や袈裟も、禁欲的なトコがまた萌えるのだっ!!」と叫んでみる(笑)。



思想的課題はイズコへ

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17:07
妄想に浸るのは、楽だから。現実よりも、ね。(その2)
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ドン引きな内容を列ねてしまいましたが。



“禁忌”などと、堅苦しい言い回しでなくとも。


ほら、身の回りに無いこともない話題ではないか。


妻や夫、恋人の有る異性を好きになってしまうだとか、
憧れの教師がいるだとか。


妄想を加味したならば、ナースに萌えるだとかも、ある意味それでしょう?(笑)




要は、
“通常有り得ない(と一般に考えられる)関係においての、
恋愛関係、又は恋愛感情の所持により起こり得る営み”

の虜になるのは何故かということである。






とまぁ馬鹿が何やら論じようとしておりますが(笑)。

ひとまずソレは脇へ置いて。





ワタシの兄に対する想いは、やはりまやかしなのであろうとゆう自覚があります。


何故ならば

実際にそのような感情を抱いた時に生じる、嫉妬や苦しみが、無いからだ。



気になる相手(仮に男だとして)が、他の女と仲良さそうに話をしていたならば、少なからず嫉妬に纏わる想いが生じることであろう。



が。


ワタシには兄に対するそれが無い。


故に


ワタシの兄への想いは、

禁忌に憧れる腐れ脳内における妄想に過ぎないのだ

とゆう結論に達するのです。




で、ハイ。
さっき脇に退けた「?」の答えは、つまり今日のタイトルまんまなわけです。
先走りもいいトコだ





禁忌に対する憧れは

非日常に対する憧れの系譜のうちにあると思う。


それを自覚出来ず、或いは(無意識下であったとしても)妄想であると抑えこむことが出来ない場合、

それは何かしらの悲劇に繋がるのだろう。





と、ぼけーっと考えてみたりして

いや、その想いがマジもんだったらハナシは別よ?

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17:02
妄想に浸るのは、楽だから。現実よりも、ね。(その1)
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わたしは兄が好きです。

くりや2的な病かと思われますが。

が。

が、なのデス。色々と。


無論家族として好きなのだろうが。

それプラス。



禁忌に憧れる気持ちが、有る。




言わずもがな。

ヤバい思想(笑)。


純粋に、兄として憧れ慕う気持ちがある。
これ大前提。


それに加味されるのは、
なんとゆうか、偏執的なウチの腐脳、故。




下世話な話で。

もし実際に兄とシタならと、想像しようとした。


「しようとした」との表現通り、
試みはしたのだが、全く想い描けなかった。


その時点で、兄は恋愛の対象ではないことが証明されている。




異性として(んまぁ同性の場合もありかもだが)好きならば、手ぇ繋ぐってのから先のことをついシタクなるのだろう。が。

想い描けなかったとゆうことは、
やはりワタシの「想い」は、
単なるシチュ妄想悶えの類いなのであろう。
巷で見掛ける「お兄ちゃん」的な(笑)。


それが解った上で尚、
ワタシは、“兄のことを(恋愛対象として)本気で好きになれたらよかったのに“と思う。


それは則ち。


ワタクシの思想的課題。


―何故禁忌に憧れるのか―


である。




実際。

兄に対して、兄妹・家族として以外の思慕を抱いたのなら、それはそれは大変な事態になろうことは容易に予測出来る。


しかしながら。

それがたとえ脳内妄想が生んだ虚言であろうと、
兄へのふしだらな思慕を夢想するワタシは、

「如何に禁忌というものに憧れ、溺れたがっているか」

と、いうことである。

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