story

□マツバ
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手首を掴んだ冷たい手のひらは、まるで脈でも確かめるように指を滑らせた。
親指が肌越しに血液の流動に触れ、確認するように力を入れる。
そのたびに僅かに伏せられた睫が、浅く儚げな陰を目元に落とした。

「そんな顔を」
「……」
「されたら、何だか怖くなります」
「…そうだね」

スルリと滑り抜けた手のひらは、力無く宙に投げ出された。
会うたびに行われる儀式めいたそれは、最初こそ違和感があったが今では習慣付いてしまった。
彼がいつも、そうだから。
生きているのを確認するように脈に触れる。
手首。首筋。血の流動。鼓動。
まるでそうでもしないと、幽霊と人間の区別が付かないとでもいうように。
そして確かめた後は決まって幽かに彼は微笑むのだ。
それが安堵なのか、自嘲なのか、私にはわからない。
憂いを讃えた瞳はいつも、常世を見詰める為に生きた人間を見極めるのだから。
紫紺の虹彩に囲まれた瞳が向けられる。
笑みを含むそれを見れば、彼は表情全体でフワリと笑った。

「行こうか」

再び手首を掴んだ手のひらに引かれ、止めていた足を進める。
散歩をしようと、不意に言い出したのは彼だった。
おそらく意味なんてないのだろう。
ただ最近晴れの日が続いていた。
だから、ただ外を歩きたくなったのだろう。
日の目を浴びることを厭う肌は白く、ひんやりとした冷たさだけが伝わってくる。
そんな彼が自ら言い出したのだから、気まぐれでも何でも私は良かった。

彼に誘導されるがままに道を進んでいく。見慣れた町に変わりはない。通り過ぎていく民家、茶屋、踊場、古びた塔。途中擦れ違った小さな子供の笑い声に、ふとしたように足が止まった。同時に童歌が鼓膜を揺する。

――勝って嬉しい花一匁。
――負けて悔しい花一匁。
――あの子が欲しい。
――あの子じゃ分からん。

「ああ…花一匁…」

十人程度の子供が二組に別れ、手を繋ぎながら歌っている。
ただ片方の組の方が人数が多い。
歌い終わったところで大きな声で名前が叫ばれ、じゃんけんが始まった。
勝っても負けても無邪気な笑い声が響く。
そして歌は再び冒頭へと戻った。

「懐かしいですね」
「やったことあるのかい?」
「なんとなくそんな気がするだけなんですけどね」

苦笑混じりに返せば、彼もまた苦笑を返した。
遠い昔のことだからあまりはっきりとは覚えていない。
ただ名前を呼ばれるのも、最後に一人残ってしまうのも、不安だったことだけ漠然と覚えている。
手を繋いだ友人たちの名前が次々と呼ばれ、抜けては入ってくる。
当時の友人たちなんて朧気にしか覚えてないのに、妙なところだけが記憶の片隅に確かな輪郭を持っていた。
――子供たちの花一匁の歌が延々と響く。
幾重にも重なる声が言葉の羅列を奏でている。
頭の中で懐古の念を呼び覚ますそれに、ふと気が遠くなる錯覚を抱いた。
同時に彼の声に我に返る。

「知ってるかい?」
「!」

ハッとしてその横顔へと視線を向ける。
彼のその瞳は未だ子供たちに向けられたままだった。

「花一匁は人買いの歌なんだよ」
「人…買い…?」

唐突過ぎる言葉に、一瞬理解ができなかった。
しかし反芻して咀嚼したその言葉の意味に、目を見開く。
彼はまだ子供たちを見ている。
頭の中で延々と響いている歌が、急に大きくなった気がした。
それがこの瞬間に鼓膜から伝わってくる歌と重なる。
途端に子供たちに得体の知れない恐怖を抱いた。

「昔は人買いなんて当たり前だったから、きっと戒めみたいなものなんだろうね」
「戒め…」
「うん。昔は、人は一匁で売られていたらしいからね」
「……」

呟いた彼は、剣呑に目を細めた。
ひたすらに一点の空間を凝視する瞳に、思わず息をのむ。
何か、見えているのだろうか。
そう思った途端震え上がるほど恐くなった。
立ち去りたい衝動に駆られ、彼の服を掴む。
歌が延々と響いている。
微動だにしない横顔に戦慄した。

「一匁は重量の単位の一つで、確か…3.75グラムだったかな」
「!」
「他にも小判1両の60分の1で、お金の単位でもあったんだよ」
「重さと…お金…」
「そう。だからね、その昔、人はそのくらいの価値でやり取りされていたんだ」
「……!」

氷塊が背筋を滑り落ちる。
一匁という重さ。
一匁という金額。
人の価値。

「一匁は…人の魂は3.75グラムなんだよ」
「!」
「そしてそれは一匁で売り買いされるんだ」
「……」
「人は、安い生き物なんだね」
「でも、」
「それでも買われなかった子供は、それ以下の価値なのかもしれないね…」

視線は再び遊んでいる子供たちへと向けられた。
いつの間にか人数は片方に大分偏っていて、もう片方はたったの一人になっていた。
それでも歌は続いている。
延々と歌は響いている。

――買って嬉しい花一匁。
買われた子供。
高く売られた価値のある存在。
――まけて悔しい花一匁。
売られた子供。
売れ残った価値。

どちらも忌々しいのに、何故勝ちたいのだろうか。
価値がないより、あった方がいいからだろうか。
一匁。3.75グラム。
命はひどく軽い。
一匁。小判の60分の1。
人はとても安い。
そんな人買いの価値など、残酷な位置付けは誰も欲しくはないのに。
それでも売れ残ってむざむざ殺されるくらいなら。

「…行こうか」
「!」

ふとしたように呟かれた言葉に、肩が強張った。
ぎこちなく彼を見れば、その瞳は哀しげに伏せられる。
何故かそれを見るのがひどく辛くて思わずそらした。
代わりに子供たちがいた方に視線を向ける。

しかしそこには、誰もいなかった。

「僕はね…」

彼はゆっくりと歩き出す。
私の手首は、いつの間にか彼が握っていた。
その指先が手首の脈に触れる。

「僕は売れ残りなんだと、思うんだ…」
「……!」

風が吹き抜ける。
髪がうねり、木の葉が舞った。
そらされてしまった彼の顔を、私は見ることができない。

「でも、もし君が…」

この3.75グラムしかない重さを。

「一人だけ」

たったひとりぼっち。
売れ残って、しまったから。

「買ってくれたら、嬉しいな」

いくらでも、金額はまけるから。
花一匁の歌が延々と響いていた。






20100530

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