紫電清霜 弍

□45. 覚悟
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視界の片隅に見える桜が、とても美しい。
渓谷の中、滝から流れる水音。風が桜の花弁を連れ去る気配。空に薄紅色がひらひらと舞う。
穏やかで、温かい気温。
平和ともとれる時間。
ここは戦場の端っこで、決して平和な世界ではないのが現実で驚きに包まれてしまうと思う。


だけど、もっと驚くべきことが起きた。



―――桜が舞うきっかけとなった風が吹く前まで、時を戻す。


座り込んだ地で私は、はじめくんに対してずっと抱えていた疑問と不服をぶつけた。


どうして烏丸の里へと遠ざけたのか。
なぜ私に妖の羅刹から守らせてくれなかったのか。
はじめくんが私に対して何を思っているのか。
拒絶や拒否、煩わしさなのか。
そうだとしたら、どう詫びてから本当のお別れを告げるべきか。


お互いに立ち上がろうとしたまま始めてしまった会話は、想いのぶつかり合いだった。
考えている間に感情が昂ぶっていくのを自分で感じる。
理由はいくつもあったけれど、大きい理由はひとつだった。


【散りゆくものの運命に、妖であるあんたが巻き込まれる必要などない】


そう告げてくるはじめくんの寂しそうな気配。
なにかを必死に隠しているようだと思えた。


武士が日の本から不要となる。
この日の本から、近い将来消えてなくなるということ。
斎藤 一という男が追い続けた夢が、研ぎ続けた爪が、泡沫となり消えてしまう。
彼がこれから行く末は、己の信念を曲げない限りは死にゆく運命であること。
死ぬこと以上に、信じたものを貫きたい覚悟があるから、傍に置くことはできないと告げている。
妖の羅刹から守ってくれと頼めば、未来のないはじめくんの為に私が傍にいるだろうと予測している。
私がはじめくんを見殺しにできないことを見越していて、妖界の暗黙の了解に触れることも―――悟っている。

だから拒絶し遠ざけたのだと、ようやく彼の思考が理解できた。

なんて悲しくて、優しいものなのか。
目頭が熱くなるのを止められない。

人間の戦の最中、もし私がはじめくんを守れば妖界の決まりに背くだけではなく、私が死ぬ可能性も考えているのかもしれない。
はじめくんが死ぬことになったとしても、彼は新選組として最後まで誠を掲げて戦うことを望んでいる。
己が信じている武士という道の、終わりが近いとしても。


―――でも。
心が昂ぶっていく。
はじめくんの考えを否定している。


もし、この世から武士がいなくなったとしても。
刀を腰に差すことがなくなっても。
新選組として戦う日々がもう来ないとしても。
この戦に負けたとしても。


世界がはじめくんを不要だと拒絶するわけではない。


武士とは何か。
刀を差さなければ武士でいられないのか。
江戸幕府に仕えるから武士なのか。
自由に刀を抜き、人を斬り殺すことができれば武士なのか。


きっと、そうじゃない。


彼が思い描く『武士』とは、そんな見てくれや外見的なものではないと信じてる。
例え刀が奪われて、幕府がなくなったとしても。
誇り高く潔い魂は、誰にも汚されることはない。
汚すことは許さない。
はじめくんが、はじめくんが想い描く自分で在る限り、表されるのは武士ではないのだろうか。
ならばそれは刀を差すから武士でもなく、殿様に仕えるから武士だという定義ではない。


武士とは生き様を表すのではないか。
確証のない言葉が、口を突いて出てしまった。


―――そこからはもう気持ちを抑えられなかった。
なにを口走ったのかもあまり覚えていない。
ただただ、はじめくんにはじめくん自身を認めて欲しくて、自分自身を必要として欲しくて……


「―――……何故、俺にそこまでこだわるのだ」


問いと共に灯っていた彼の瞳の色。
どうしようもないとでも言いたげな、自嘲するような諦めと喜びを携えた色。
張り詰めていた空気が僅かに変化したのを悟る。


問われた意味を考え、改めて自問した。


京にいた頃と、彼を慕う憧れは変わっていないか。
大切で、大事に想う気持ちに偽りはないか。
彼と離れたことで、盲目的な夢だったと覚めた自覚はないか。
問いかけて、問いかけた。
それでも。


「ただ、貴方が好きなんです」


理由が見つからない。
好き。
大好き。
ただ、それだけ。


命を助けてもらったことは、彼との出会いのきっかけにすぎない。
縁があり関わりを持ち、深く知れば知るほど、好ましいと思うばかりだった。


「はじめくんのことが大切です。だいすきです。そう思うことに理由は必要ですか……?」


彼が自嘲しながら尋ねてきた理由に検討がようやくついた。
私の答えを知っていたんだ。
そして、答えを知っている上で問いかけることを笑っていたんだ。


はじめくんが諦めたように口角を少しだけ上げる。
彼が彼を認めて、否定せずに生きてほしい。
貴方は誇りを貫く強さがある。
それは間違いなく誰もが認める武士であると私は信じている。
ちょっとでもいい、伝わったのであれば―――嬉しくて堪らない。


彼につられて笑みがこぼれ、涙も目尻から流れて跡を残す。
頬に触れるはじめくんの指先が、涙を拭い続けてくれた。


「茜凪」


―――刹那が永遠のようだった。
心地の良い名前を呼ばれたと思ったら、投げ出されてた右手に温度が触れた。
指先に絡めるように、彼の利き手が届き捕らえられる。
触れられるだけで心が跳ねる、同じくらい踊る。指先に意識をとられていたら、頬に触れている手に力が込められて。
気付いたら、はじめくんの顔が―――今までで一番近くにあった。


「はじめく―――」


吐息が触れ合うくらいの近さは、恋しい名前を呼ぶだけで唇が重なりそうになる。
びっくりして肩が跳ねれば勢いで右手も反応してしまう。
私の動きを感じた彼がその先を躊躇した。


鼓動がうるさい。
強く脈打ち、周りから音が消えて自分の心臓の音しか聞こえない。重なるように別の鼓動も聞こえる気がして、それがはじめくんが持つものだと気付いたのは随分と後のこと。


どうして? と問いたかったけれど、至近距離で交わるはじめくんの瞳の光の強さが、今までと宿す意味を変えていた。


どこか冷静な意識が、素直になっていいと言う。
体の内側から熱を帯びて、心も体も沸騰させるのではないかというくらいじんじんした。
力んでしまう全身、瞼、どうしたらいいかわからなくて不自然に結んでしまう唇。
無理やり先へ進まないあたりが、控えめな彼らしさを示していた。


怖くないといえば嘘になるけれど、初めての相手が彼であるというのは至福だ。
ふと、影法師戦のときに七緒に口移しで血を飲ませたことがあるが、あれは回数に入れないことにしよう。と決める。
距離がなくなりかけた私と彼の間で、冷静さを保つために意識が言い訳がましいことを言う。


無意識にはじめくんの指先と絡めたそれに力が篭った。
視界いっぱいに憧れた彼がいて、今までより存在を意識した。
どちらかといえば線が細い部類に入り、小柄な彼だけれど骨格や筋肉は男性のもので男であると強く意識させられる。


―――羞恥心に勝てない。
一挙手一投足、見逃したくないのに耐えられない。
ついに薄目をしていた瞼も落とした。
頬に添えられた手が角度をつけるように携えられれば。


「―――……っ」


「……―――」


遠慮がちに、それでいて優しく想いを伝播させるように唇が重なる。
永久ではなかったはずなのに、時が止まった。


私の鼓動も、はじめくんの鼓動も。
風の音も桜が散る気配も、水の流れすらも、すべてが消える。
たった二人しか世界にいないと思えた。


触れて伝わる熱、温度、微かに震える感触。
接吻がこんなに多くを伝えてくれるものだなんて初めて知った。


「(はじめくんは……―――)」


―――まるで青い炎だ。
表面上では熱さが伝わりづらいのに、本当は真紅より高熱を帯びた炎。
面には出ない想いの強さ、深さがある。
そんな彼が、心の内側に抱いてくれたものが伝わってくる気がした。


深く、強く、想ってくれている。
想い返してほしいだなんて考えたことはなかった。
ただ貴方に憧れて、絶対的な味方でいたい。
そうすることで、斎藤 一が在りたい自分になるための道を進んでいけるのならば、それがいい。
憧れで、大切で大好きだと何度も伝えてしまっていた。


そんな“想い”とは、時に負担になると最近知った。
過去のこと、絶界戦争のこと、里での記憶のこと。
色々思い出して、想いは強さの糧になると同時に、重圧にもなると身を持って実感する。


彼にとって私の想いが邪魔になったから。
妖と関わると碌なことがないと再認識してしまったから、拒絶されたのだと密かに私は決めつけていた。
彼に問うまで不安で仕方なかったんだ、と今更自覚する私は思った以上に抜けてるのかもしれない。


「(この人は……―――どうしてこんなに優しいんだろう)」


気付いた時には、全身から力が抜けていた。
身を預けるように、捧げるように。
はじめくんと溶けて交わってひとつになるような、口付けは―――最期の日まで私を立ち上がらせる糧になる。


この口付けは、将来への証でも約束でもない。
想いを形に残すため。
心の中で灯し続けるための封を唇で誓った瞬間だった。




第四十五華
覚悟







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