紫電清霜
□10. 翻筋斗
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風が頬を撫でる。
撫でるというより叩くという表現が正しいかもしれない。
人よりも逞しい妖の体でなければ耐えられないかもしれない冷風を受けながら、茜凪たちは西国へと進み続けていた。
獣化した狛神の背中に乗りながら、茜凪は向かう先……鬼である風間の里を思い出す。
あの里に身を寄せていた期間はごく僅か。
風間家に出入りを希望していたのは茜凪自身であるが、居心地は良くも悪くもなかった。
特別良くして頂いたわけではないが、懇意にしている種の妖でもないのに厄介者扱いせずに置いてくれただけでも幸せなことなのだ。感謝はしている。
だが、同じくらい風間家頭領である千景に無理難題な仕打ちをされていた苦々しい記憶も鮮明に甦るのだ。
「(そういえば、次に会ったら殺すって言われていた気が……)」
思い返されるのは一年以上前のこと。
慶応二年の年の瀬に起きた、藍人の死の真実を巡る戦い。
最終決戦の場になった西本願寺にて、風間 千景は茜凪たちに加勢してくれた。
決着がついた去り際、彼は茜凪に確かに言ったのだ。
次に会ったら殺す、と。
だがそれも今思えば、新選組から風間の手先かと疑われぬよう茜凪に対しての気遣いだったのだと思う。
そんな細やかな気遣いができる男には見えないのだが、配慮と優しさを持ち合わせていることを茜凪は知っていた。
風間家の頭領である千景は、その器に足る男だと。
「出会い頭に殺されたらどうしよう……」
「は?」
―――鬼と妖は、恩義がある関係のためどうしても鬼の方が立場が上だ。
妖は鬼を守るために存在する。それが与えられた大義名分だった。
関ヶ原の戦い以降、困った妖たちに与えられた役目。
数百年の間守られてきた掟を本能というのか。
風間が茜凪を攻撃してきた場合、戦うことはできるが茜凪は風間の首をとることはできないと躊躇う。
なんだかんだ、彼に世話になったし恩を感じているからだ。
だが、風間が相手だ。冗談が通じていないのでは、と心配にもなる。
うんうんと頭を悩ませ始めた茜凪の横で、烏丸は怪訝そうな表情をしていた。
会わない方がいいのかもしれない。
でも、頭領は彼だ。話をしないのは筋が違う。
そもそも訪ねていくのも許されるのか……と考え出してしまえば迷宮入りだった。
「茜凪、大丈夫か?」
「私、風間に会いたくないかもしれません……」
―――結果、茜凪の願いは叶えられてしまうのだった。
第十華
翻筋斗
「ったく、相変わらず自分勝手な奴だなァ」
障子の敷居にちょうど腰掛け、ため息をついた不知火は出されたお茶を口にしていた。
風間家の侍女たちとは顔見知りなので、頭領が不在であっても不知火が座敷へ通されることはもはや当たり前になっている。
残されていた風間からの手紙……もとい、天霧が代筆したものは、風間が里を留守にするとのことが書かれていた。
理由は羅刹の軍隊を造り出し、人の世の政へ干渉しようとしている雪村 綱道を阻止するため。
そのために次に新政府軍と旧幕府軍が戦を起こすであろう場所を探るとのことで、江戸へと向かっているようだ。
共に行動をしているのは単なる腐れ縁の不知火は、なんとも感じずにしばし休息の時を楽しむことにした。
不知火が協力していたのは長州藩。
長州に恩義や義理があるわけではなく、彼は高杉という男に魅入られていた。
その高杉が失われた長州に、不知火は興味もなかった。
人の世に関わるとロクなことがない。
新選組と過ごしている千鶴も、いつか痛い目に遭うだろうとある意味心配をしているくらいだった。
そろそろ人間の世から干渉されない場所へ向かおうと呆然と考えていたところへ、疾風のような風が舞い降りた。
ゴォゴォと戸を揺らすそれには覚えがある。
鬼や人が成し得るものではない。
「ん?」
つまり、妖が訪ねてきたということ。
風間家に仕えているのは三頭がひとつ、北見だ。
だが、北見は式神師なので自然の理にあたる疾風を得意とはしていない。
思わず顔を覗かせれば、門前で騒ぐ声。
これには覚えがあった。
「ごめんくださーい!」
「狛神、体調は大丈夫ですか……?」
「まぁ……。さすがにこんなに長距離を、二人も背負ってきたのは初めてだからな。多少は疲れたが」
「だから途中からバテてたのか!言ってくれれば飛んだのに」
「その大火傷で本当に飛べんのかよ?どうせ俺様の脚についてこれなくて途中で迷子だろ」
「なっ、迷子にはならねーよ!何度か来てるし!?方向音痴ではないからな、多分!」
「不安な威張り方だな……」
「烏丸に狛神。それに茜凪か……?」
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