紫電清霜

□16. 武士道
1ページ/6ページ





文政七年の盆明けのこと。
赤楝を迎え入れた喜十郎の弟子たちは、相変わらずの日々を過ごしていた。
武術の稽古と妖術の稽古を繰り返し、里と道場の行き来をする。
道場に住み込みである環那と赤楝は、喜重郎の身の回りのことをこなしつつ、鍛錬に明け暮れていた。


「環那」


赤楝が夜の稽古をするというので、付き合っていた環那。
名を呼ばれたので動きを止めて視線をあげる。


黒い髪に赫灼の瞳である男は、相変わらず矛盾を連想させる顔立ちだ。
対する環那は温和と麗人を体現した姿。
赤楝は自身の矛盾を抱えた容姿は気にしていないようだったが、環那の視線は気にしているようだった。


「あの、聞いてもいいですか……?」


「なんだい?」


「爛のことなんだけど」


赤楝から出てきた名前に、環那はくすりと微笑んだ。
悪い意味ではない。いつか、環那自身が親友になると信じている男の名前だったからだ。


烏丸の姓を名乗る者は天狗の血筋を引いている。
対して春霞は白狐であり、元来この種族同士は仲が悪い。


だが、環那からしたら知ったこと。
当時の妖界からしたら環那の存在は異端でもあっただろう。爛の環那に対する態度の方がよっぽど正常であった。


「私は教養がなく、妖界の歴史についてそこまで知り得ていません。ですが、天狗と白狐が仲が悪いというのは、見ているとわかります」


「そうかな?僕からしたら、爛くんが僕を特別視してくれている証拠だと思うんだけど」


照れ屋なんだと思うよ。とへらっと環那が返せば、赤楝は思わず苦笑い。


「そうでしょうか……?」


「それで、どうしたの。爛くんについてなにかあった?」


「いえ……。日々邪険にされているので、環那のことが少し心配だったんです」


「あはは、ありがとう。でも僕はちっとも気にしてないよ」


「……」


「僕は爛くんとゆくゆく親友になる予定だし、妖界の中で伝承され続けている天狗と白狐の仲についても、どうでもいいさ。僕は爛という男を見ているから」


「……私の取り越し苦労でしたね。安心しました」


赤楝がへらっと笑うので、つられて環那も笑顔になる。
そのまま優しい空気のまま稽古が再開されるかと思っていたが、赤楝は間を置かずに視線を下げてしまう。
環那は左手に構えた竹刀を思わず解き、赤楝に近寄る。
僅かな音で声をかければ、赤楝から思わず本音が溢れた。


「本当、環那は凄いですね……」


「赤楝?」


「爛があれだけの態度でいても、君は君の信念を貫こうとしている。誰に左右されることなく」


ぽつりと続けられるものは、か弱く不安そうだった。


「私は……そんな爛と環那の関係が羨ましいです」


「……」


「言いたいことを言い合え、お互いを認め合う……。己への自信があるからこそ、できることなんでしょうね」


赤楝の目に見えたのは、薄暗い水面のようだった。
清らかな湖、いや泉や湧き水に毒が盛られたあとのような仄暗さ。
ぼそぼそと続く声は、環那でなければ聞き取れなかったかもしれない。


「もしあの時……私がもっと強ければ―――」


―――刹那、環那の異能が働いた。


環那の能力は、茜凪が持っている直感能力も備えていたが、一番は未来予知だったかもしれない。
予知した未来が不穏なものであれば、それを変えるために行動することができる。


「千与様を……人間なんかに―――」


「赤楝」


環那は赤楝から感じられる、冷徹な空気を感じながら思わず彼の腕を掴んだ。
環那に触れられたことをきっかけに、赤楝は自身の感情が渦巻いていたことに自覚する。
噛み締めた唇からは、血が滲んでいた。


「それ以上、その感情に支配されてはいけない」


「……」


「君の過去に何があったのかは知りたいと思わない。大切なのは今の君だから。でも―――」


―――それ以上、心を……憎悪に染めてはいけないよ。
環那は暗に視線で告げていた。


「……すみません」


環那は出会った当初であるこの頃から、赤楝の危うさを感じ取っていた。
気付くたびに語りかけ、彼の未来を闇に引き摺り込まれないようにと声をかけ続けていた。
赤楝ははぐれ者だったこともあり、身にまとう憎悪の空気が具体化しやすかったのかもしれない。
環那にはわかってあげられない部分もあるだろう。


「―――再開しましょう」


折り目正しく告げ、竹刀を構えた赤楝。
一重の瞳の奥に秘められた底冷えする光は、どこへ向かうのだろうか。
環那は願わくば、どうか幸せがあって欲しいと強く望むばかりだった……。





第十六華
武士道






.
次へ
前の章へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ