短編  下弦の月

□下弦の月 Episode
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パキッ

まるで。乾いた小枝を手折るような音がした。聞き逃しそうな、かすかな音だった。それは、ピカの身体の中から聴こえたのだ。


 肩を抱いたから、軽く拒み、絶に成ったのだと思った。

 服の中身が透明になり、ピカの質量が消えうせた。
 まさか! という思いが、全身を駆け巡る。これがダミ−だと?
 恐るべし・・・具現の力。


 かすかに輪郭を形どる皮膚の組織が気化し始める。


 ここで、何故か、夢だと決めた。信じたくない自分が、無意識に現実から逃げているのだ。

 一瞬、一瞬、一瞬。
静かに。
ピカが蒸発していくさまを、叫ぶでも泣くでもなく、ただ見つめる。

 足は既に無い。肩、まっすぐな背中。大好きな細い指先も。胴も腰も、からっぽだ。

 睫は確かに濡れて、遠くを見ている。
ピカの本体はとっくに俺から離れていたわけだ。それがいったい何時なのか?考えようとしても、思いつかない。思考が既に遮断されている。こうなってもまだ、信じられない自分が、そうしているのだ。






 金の髪が、まるで水中にある様に、ゆらめき、一本一本が次第に消えていく。もはや、顔面を模る皮膚は無く、最後にピカの象徴とも言える眼が静かに・・・だが、俺を真っ直ぐに見据えた。  全身が鳥肌に粟立つ。 このダミ−でさえも、俺の心を奪い金縛りにするだけの力を十分に備えていると言うのか?いったいどれだけの念を込めてこれを作ったというのか?
 どんなに疑問を投げかけたとしても、答えてはくれない。凛とした声も、聞けない。
 



あの時、ピカは渾身の力で、俺に抵抗したじゃないか。俺は頭に来て・・もう少しで本当におまえを壊してしまいそうだった。自分勝手な欲を剥き出しで・・。

怖かった・・・そうだな?





『それに、ピカ。お前、今は旅団のトップだという話は、忘れた訳ではないだろう?向こうで、ふたり、黙ってお前の指示を信じて待っている。どうする気だ?それこそ、胸が潰れそうな想いで待っているはずだ。・・・・わかるな?』

 最後に言ったセリフがこれだ。(行くなっ!ここに居ろ。本当はそう言いたかった・・)まて。それに対してのピカの反応が思い出せない。あの時は、既に抵抗を止め、静かに聴いていた。放心したように・・。眼は?眼はどうだっただろう?

 抵抗を止めた時、色が薄くなったような気がする。何もかも、諦めたような・・いや、最初から薄い緋色だった。違う。抵抗を止める時、あの縋るような眼をしたんだ。これ以上無い・・・淋しい眼だった。ダレモワカッテクレナイ・・・ダレモワタシノキモチヲワカルモノカ

 それは、ピカがずっとずっと叫び続けた言葉だった。





 リバ−スは解除されていた。俺が上だった。進言ではなく、命令としてピカはこれを聴いたのだ。だから・・・・放心したあの眼・・・・何も返せなかったのだ。

 俺が、リバ−スの位取りを間違ったんだ。そして、ギリギリだったピカを追い詰めた!
なんという事だろう・・ピカは素直に俺の言う事を効いただけだ。但し、自分だけで。・・・自分からそんな場所に、戻りたい訳が無い。言葉の掛け違いだ。



  


  ピカ・・・お前・・。 
  これが -----別れ----- そうなのか?

 
 




 微かに笑った様に見えた。

 次の瞬間。泣きそうな目に変わる。

 キラリと光り、まわりの空気と同化した。

 
自分の体温が一気に下がるのを感じる。立っているという感覚も無くなった。心の均衡を保てない!
 
 たったひとりの愛弟子。金髪碧眼、中肉中背?やや細身か。おまけにパッと見、女っぽい。本人を目の前に言えば、回し蹴りで秒殺される。俺を「貴様」と呼びつける。弓を思わせるしなやかな動き、そして、容姿とは全く似つかわしくない強靭な精神力。厳しい誓約の果てに特殊な鎖を具現化し自由自在に操る。憎らしい先読みと難解な言葉遊びを得意とする、俺の司令塔。 感情の激しい起伏を担当する心分身の小竜というダイモンを伴っている。本人はいたってク−ル。その為、気持ちの表現が下手で突っ張って見える。実は恐ろしく寂しがり屋だ。既にブラックとされる、クルタのラストエンペラ−。激レアだ。



 ただ、コイツを護りたかった。死に急ぐコイツを繋ぎとめたかった。  


 呼びにくいと言うと、それでは
「ピカだけではどうか?」と、小さくつぶやいた。「・・・他の者には、呼ばせない。貴様にだけだ」照れている時と、嘘をついている時は絶対に眼を合わせない。

 黙って泣いている時も、肩を抱き寄せた時も、決して俺を見なかったではないか・・。今頃・・・。

  
 

 この精密で微細なダミ−は、ほとんどの成分を水から造り出しているのだ。HがふたつOがひとつ。たったこれだけの単純な分子構造は、いたるところに存在し、具現のキッカケには困らない。特に、水神を崇拝し、自らも水遁の術を一番得意とする、俺の傍には常に水の流れが存在する。これにいち早く気が付いたのもピカだった。
 
 教えるほどにみるみる成長する姿が憎らしくて、黒の円の内で俺にだけ見せる寝顔が可愛くて。 

 



 さっきまで、そこにあった人形は残らず気化し、俺の手は空を切った。
 ピカ・・・おまえに触れたい・・・


 消えるのを待っていました、とでも言うように、一陣の強い風が俺の背中を押した。








 ドサッ



身体が地面にぶつかる音を耳が近くで聞き取ったのを最後に、俺は意識を手放した。


  






 夜になり、下弦の月が空に昇る。

 

 呼ばれなければ発動できない【影】の能力が新月に向かうこの周期、弱まる。これほどの打撃ならば、呼ばれても発動できない。
 それも計算ずく。

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