短編集  「月の詩」

□居待ち月
1ページ/1ページ

居待ち月







 明日、発つつもりだと言うと、あからさまに不機嫌になった。だから、言うのを躊躇っていた。・・言わずに黙って去るのも無礼だと思い直し、ようやく口にしたのだった。

「ピカ・・お前・・」

ここに居ろと言われると思った。そして、それを遮るかのように私は庵の外へ出た。

「水を・・」
「ああ」



ヨ−クシンからの帰路、回り道をしただけのことだ。
(生きろ、ひとりじゃない)
これに対する、返事のようなものだ。高額で取引された緋の眼は、複製だった。あの時、確かに私の両手の中にあったのに・・。文字通り、すり抜けていったのだった。では、本体は何処に有る?複製には、何らかの仕掛けが施されてはいなかったか?もしかして、師匠ならば、私が気が付かぬ間に掛けられた何かに気が付くのではないか?センリツには、適当に理由をつけてライト氏に伝えてもらっている。私が戻るのが遅くなれば成る程、センリツに迷惑をかける。師匠が、どう引き留めようが、やらなけれはならない事を、放るわけにはいくまい。


 源泉から静かに湧き出でる水は、やがて小さな流れを作り下流へと流れ出す。ちいさな小川は、途中で他の流れと合流し、やがては大きな流れとなる。それは決して留まることは無い。滝や池、湖、途中には自分の不本意ながら、時には地下に潜り人工的に固められたコンクリ−トの枠に沿って進まなければならないこともあるだろう。だが、それもいつかは大海に出る。

 私は、既に一つの小さな流れとなった。

 留まれば、心を病み、腐ってしまうだろう。

 うまく説明できるだけの、語彙が、欠けている。ならば、いっそ、何も言わずにいようか・・。水面をにらみつけていると、背後から知った気配がした。ギリギリまで気が付かないフリをする。

 私は、見てしまったのだ。

 同じく、水面に映った師匠の、泣きそうな顔を。



(ここに居ろ)


 声に出さない言葉が、聞こえてしまった。

 










 発すれば、私が困るということを解って、言えないで居るのだ。そして、不自然な態度に表れる。不器用なヒトなのかも知れない。それはお互い様だが。

「二人っきりの時は、素直に成ったらどうだ?」
「その言葉を、そっくり貴様に返してやる!」

師匠は、私に触れようとし、すぐさまその手は空を切った。

逃げ場を失った私は、滝壺めがけて身を投げたのだ。

 
 いや、正しくは、後ろに跳び退いたところに地面が無かったのだ。
背面から落下する。刹那、遠ざかる漆黒の瞳を見た。師匠の叫びが聞こえた。不思議と、これで終わりとは思わなかった。
 私は精一杯、甘えているのだ。貴様の円の中ならば、何をしても助かるのだと・・。












「危ねぇ事をしやがる!そんなに死に急ぐな!」



 何をどうやったら、私を助けられたのか?不思議だ。その念の仕組みを知りたいと少し思った。ぶつぶつと文句とも独り言ともとれる言葉を話すのを、私は背中で聞く。思ってもみない優しい言葉に、目の奥が熱くなった。振り返るタイミングを逃したまま、気が付かずに寝たフリをした。
 どれぐらい時間が経っただろう?師匠と目が会った。

「今、何時だ?」

「お前なぁ、気が付いて最初に言う台詞が、それか?」

投げやりな言葉と裏腹に、瞳は揺れていた。








「たまには連絡をする。これでどうだろう?」

「ああ。危ない時は、呼べ。いいな?」


今度は、目を逸らさずに、ゆっくりとひとつ、瞬きをした。



             



 金木犀の花が咲きだした。


「俺の一番キライな季節だ」

 訳は聞かないでやった。






   -- 了 --









※ 居待ち月(いまちづき)   十八夜のことです。



















金木犀が香る 
ただでさえ ひと肌恋しいこの時期に
雄猫は 出ていくと言う

懐いたと思ったのは
俺の 思い上がりか?

手を伸ばせば届く距離
ひらり
跳びやがった

ばかな

堕ちながら 眼が言った
「捕まえろ!」 

そこは
「助けてくれ!」 だろうがっ




コイツの構い方が 少しわかった


金木犀が香る秋

俺はまた 独りになる

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ