短編 風の舞
□風の舞 ・ 霧、雷、 菊
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「じゃ、そゆことだから。普通に、頑張れよ、オッサン」
病棟と研究棟を連結している廊下の突き当たりに、どちら側からでも利用できるレストルームがある。街中のカフェとは大違いの落ち着いた色(くすんだとも言える)のビニールのソファーが、せめて楽しくという掃除婦の配慮で花のような配置に並べられている。(見様によってはキノコにも)デッドスペースになった角には、液晶以前のTVボードだったと思わしき5角形の台がコンソールの役割を担っている。申し訳程度に飾られた花は、夏の名残のヒマワリだ。
今、一方的に喋って、キルアはその古いTVボードの影に消えた。正確には、キルアの声が聞こえている時間、顔を見ない事と、これは現実だと自覚しろと言う脅迫めいた前置きがあったが。
「満月の夜まで待て。月が白く空に浮かぶ頃には、クラピカを必ず帰す」
キルアはイルミと組んで仕事をしていると言っていた。病院へ姿を現すにはマズイ格好だったのだろう。幾分、緊迫した空気を纏ってはいたが、声は確かにキルアだった。オッサンとまで言われては疑いようもない。
繰り返される拉致に、どうしても、疑う癖がついてしまった自分をたしなめる。
そのままでいろ。
いや、実際、どうしろと言われて自由に動ける身分ではない。何も出来ない自分に、どうしても腹が立つ。クラピカにとって、自分が安全地帯であることを願う。
ふわふわした足取りで、研究棟に戻ると、手洗いを済ませたチュワとはちあわせた。
「レオリオ?ひどい顔色だ。少しは寝たのか?」
10枚のシャーレに培養した細胞が昨日3枚ダメになった。それでも、7枚残ったのは今までで最高で、この48時後にどれだけの数字を出せるかにかかっていた。
返事をせずに済まそうとするが、チュワに腕を掴まれる。
「頼む。レオリオ。俺のためにと思ってくれていい。今日はもう、帰れ。部屋で待ってやれ。な?」
観念して、しかたなく、小さく頷いた。
ギシギシと耳障りな音がする。
繰り返し、繰り返し、何かの警告か?
ボクに目視されて観念したのか?瞬間移動したか、もともと複数の個体だったか。火の玉のように透き通り、わずかにトリをかたどったソレが、ボクの回りを飛び回る。
耳を澄ますと、それは次第にヒトの子どもの声になった。しかも、いろいろな国の言葉で喋っている。ボクのチャンネルに周波数を合わせるように。まるで、古いラジオを連想させるその音は、ハングルまじりの雑音から一気にクリアになった。
「少しの間、器を貸してください」
「少しの間、器を貸してください」
「少しの間、器を貸してください」
ボクの身体を、器呼ばわりするなんて、頼みごとをするにしては失礼な奴だ。知らんふりを続けてみる。
「悪いようにはしません」
「悪いようにはしません」
「悪いようにはしません」
三回づつ繰り返してワンセットになっているのか?単に念押しなのかは不明〜。さらに聞こえないふりをする。
「時間を下さい」
「時間を下さい」
「時間を下さい!」
おっ?最後には 「!」と、強調してきた。おもしろい♡
「じゃあ。すこしだけ」
また、ギシギシという雑音が耳の傍でしたのを微かに聞いた。
グレが御膳立てした器に意識を乗り換える。
思ったよりも一回り大きな器だ。筋肉のバランスのとれた足。厚い胸板、広い肩、長い腕の先には、意外にも薄い手のひらと、その先には繊細な指があった。
本人の気の廻りに自分を流す。躯体を緩やかにカーブし、四肢の末端に沁み渡るころには、俺はヒソカのフォルムに馴染んでいた。
静かに瞼をもちあげると、目の前に震えるピカが居た。
ここに連れ込まれて、どれほどの時間が経っているのか分らない。安ホテルの窓は、外壁に後付けされた看板によって昼でも光を取り込むことは困難になっていた。
部屋に見合わぬ大きさのベッドは、おそらくここで組み立てるか、窓から入れるかしたはずだ。見るからに不衛生なその薄いシーツをピカは身体に巻きつけて座っている。器に対する怒りが芽生えたのを瞬時に抑える。(今は、俺がヒソカなのだ)
「おいで・・」
頭の中で、どう切り出せばいいか考える前に言葉が出ていた。
差し出した右手に、恐る恐るピカが自分の左手を乗せてきた。
キラリ
薬指が光る。(身に着けていたか・・)
熱い想いが内側から押し寄せる。
今から俺がやろうとしている事は、ヒソカのソレとは違うと自分の中で区別を付けたいのだ。だが、フォルムはヒソカ。それなのに、ヒソカではなく俺だとピカに・・・・しかも、ピカには俺の記憶が無い。無理はわかっている。いや、分かっていない。ただ、ピカを痛めつけ壊すような暴力的な行為を阻止したいのだ。大切に宝物のように扱いたい。
枕元に見覚えのあるアルミの包みを見つける。
(二度目だな・・許せ、ピカ・・)
「おいで」と言われ、考える前に手を乗せていた。
ヒソカの掌とふれ、そこでハッと自分に驚く。部屋を見て、ここで出来ることは、ヤルか寝るしか無いと悟った。ならば、出来るだけ少ない傷で・・と思うのは本能か?なにをされてもいい、ただ、命があることと、それから・・コイツの前で緋の眼になんかなるものかっ!それだけを誓う。
軽く乗せた手から、驚く速さで手首を返され強く引き寄せられる。当たった胸からは静かに大きな鼓動が聞こえた。しばらく胸に耳を押し付けられる形で静止する。いやおうなしに聞かされる鼓動は、なぜだろう?聞き覚えのある音だった。ずっと昔?いや、最近まで、いつも私の傍にあったような。だが、それは掴もうとすれば、かろやかに、時には嘲笑うかのように巧みに私の心を躱し、伸ばした腕からすり抜ける。まるで、雲を掴むように。やった!と思った次の瞬間には、指の間から水のように流れ零れ落ちてしまった。
レオリオは、そのことを知らないようだし、こちらから話を切り出すには、あまりにも抽象的すぎて、それが何だったのか?個体か?物体か?人か?動物か?その名前さえ浮かばない。ただ、唯一、現実だと分からせたのが、桜の枝の2連のバンクルだった。
「つっ・・うっ?」
頬に軽くキスされる。(おかしい。嫌悪感はしないのだ)
私の反応を観察しながら、目の前のヒソカは両手で耳をはさみ、私の顔を凝視している。まるで、帰りの遅い子を心配する親のような目で。
大きな手が指を開き、うなじを這う。逃げられないようにしっかりとガードされ、ゆっくりとベッドに倒される。もうひとつの掌が頬から首筋に降りていく。唇を奪われる?と思ったら、意外にも額にキスが落とされた。
(丁寧な扱いだ)
自分の置かれている状況を冷静に分析している自分が可笑しくて・・
笑った
この状況で、どうしてそんな顔が出来る?
俺に向けられたものではない、柔らかな表情。ピカは今、ヒソカに笑顔を見せたのだ。
俺の中の悪魔が、むっくりと起き上がる。
纏ったシーツを剥ぎながら、掌で、せわしくピカのフォルムを確かめる。ようやくシーツを剥いたと思えば、ご丁寧にシャツを着ていた。(と、いう事は、俺は、間に合ったのか?グレ、礼を言うぞ)
腰に跨り、アルミの中身を取り出す為に両手を離した。ピカは顔を見られたくないのか、シーツを手繰り寄せ顔に被る。ただ、耳だけは次にヒソカがどう動くか?何も聞き逃さぬように澄ましている。反撃の機会を探っている様子だ。
シーツを取り去り、壁に向かって放り投げる。驚いたという素の表情をかすかに見せたが、すぐにそれは消えた。こちらに真っ直ぐに向けられた視線に不思議な力を感じた。明確に意思を持って集中した時のピカの能力は、計り知れない。サイコキネシスを使われる前に媚薬を使う事にした。見た目形はピンク色のグミキャンディのようだ。人差し指で唇を撫で、軽く開いたところを中指の先につけたそれを舌下に落とす。とたんに、足をバタつかせ暴れる。吐き出させないように口を覆い、頬に耳を当てパチパチと爆ぜる音がしなくなるまで待った。
身体の力が抜け、柔らかに弛緩していく。
潤んだ瞳は、瞬きとともに涙の筋となり、頬を濡らした。俺はそれを舐め味わった。
ゆっくりとシャツのボタンを解き、熱い舌先で丹念に胸の突起をこすりあげる。ついばみ、ころがし、吸い上げ、時には軽く噛む。
「あっ・・・うっ・・やっ・・」
(俺だ、ピカ・・・)分かる訳も無いが・・・
自分のしている事の矛盾に、
笑った
すると、どうだろう?ヒソカの胸を押しあげ、かすかな抵抗をしていたピカの両腕が、しなやかに首に巻きついた。
薬の仕業だと分かっている。だが、ピカの唇がディーと、俺を呼ぶ形になった。それまで、ギリギリ、壊さぬように優しくと・・・。そのストッパーが外れてしまった。
シロが目の前に飛び込んでくるまで、ただ、夢中だった。
「キルアか?やっと繋がった。ああ。帰って来たんだ。いきなりだぜ、ビックリするわな。ホンモノか?何だそれ?とりあえず、知らせたぞ。ああ。助かった。礼は弾むと言いたいが、こればっかりは出世払いで頼むわ。じゃぁな。切るぜ」
何日も空いているのに、まるで朝出かけて時間通りに帰宅しましたと言う様な風情で、顔色一つ変えず、クラピカがテーブルでアールグレイを見つめている。この季節に熱い湯を沸かしリーフがジャンプしながら円を描き踊るさまをぼ〜っと眺めるなど、キルア風に言えば、「イケてない」と、言える。だが、
オレの機関銃乱射のような質問を浴びても、眉ひとつ動かさず、手を洗い(ついでに顔も洗っていた)シャツを着替え、むっつりと席につき、やっと聞けた声が、たった一言、
「アールグレイ」
だ。
煎れないわけにはいかなかった。
湯気を追いながら、焦点の定まらない目は、漠然と瞼を開いているというだけで、実際、何も見てはいなかった。
薬を取りに遣いに出ただけのことだ。帰宅して顔を洗い、いつものようにレオリオに声をかけた。
レオリオは、例えるなら雪崩。堰を切ったように私に向かって話しかけてくる。私はそれらを雑音とみなした。
自分の中で、整理が付かないことを、レオリオに話す段階では無いと思った。
窮地に立ったとき、よくあるのだが、これを引きでまるで空から見下ろしているようなもう一人の自分が存在する。今回、例えるならば、こうだ。
目隠しで現地に連れて行かれ、さあどうぞ、と視界が開ける。すると、とんでもない絶叫マシーンに既に乗っている。有無を言わさず動き出し、恐怖と、それでも終点に着けば終わるだろうと見当をつける。降りていいよ、さようなら、と。
まるで、地に足がつかない、そんな状態だ・・・。
「くくっ・・」
何を考えているのだろう私は。
笑えた。
チュワにメールを入れた。すぐさま返して寄越した文面に、ハイハイ・・と相槌を打つ。
R:『ごゆっくり』
ダイニングに腰掛けたまま、クラピカは動かない。
その様子を、自室の開け放ったドア越しに注視する。
「くくっ・・」
笑うというよりも、呻く、に近い声。スマホをベッドに放り投げ、ダイニングに引き返す。
肉体は、そこに居るのに、内側を全部、何かに持って行かれる!?そんな気がして、咄嗟に手首を掴んだ。
ガシャン
意思を持った生き物のように、紅茶の液体が倒された器を起点に正確に放射状に広がる様が、スローモーションのようだ。
触れられる事を、これほど極端に拒否られたのは初。ハッキリとした拒絶。だが、裏返せば、それだけオレを意識しているってことじゃねえか?動かず待つしかなかった。だが、気持ちを何処に置いてきた?
「オレを見ろ、クラピカッ」
掴んだ手首を一層強く握り締め、逃がさない。大切に扱いたい想いと同じ量で、壊してしまいたい衝動に駆られる。
「は、なしてくれ、レオリオ」
「それはこっちのセリフだ、クラピカ。だんまりがお得意らしいが、それじゃオレには何にも伝わらねえ」
「痛いと言っているんだ」
「おめぇがこっちに身体を向ければ済むことだ。だいたい、手を放した途端、次は何時帰ってくると保証は無え。怖くて放せるか」
「レオ・・」
言い終える前に急に身体の力が抜けていく。激昂から一転、虚脱。またこの症状だ。しばらく出ていなかったが、治ったわけではなかったらしい。
「あのう〜声、かけたんだけど、なんかさ、・・って、おっさん、何やってんの?」
「キルア・・」
この状況。どう見ても、オレがクラピカを殴り倒したようにしか見えない。どうする?オレ・・。