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それってどうなの
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珍しく早く部屋に戻ってきたので誰もいなかった。大抵誰かがいるのでこの部屋で一人というのが少し珍しい。たまにはこう一人でのんびりするのもいい。そう謙也は思っていた。

いつもうるさい部屋は静まり返っていて、ほんの少しメランコリックになる。
誰もいないことだし、スピーカーから音を出してバラードを聞こう。いつもはロック系を好んで聴くが、時にはバラードもいいものだ。

流れてきたのはエモ系バラード。テンポは80と遅めだが、ドラムもしっかり刻まれていて尚且つピアノもちょうどいい合間に鳴っているので、不思議と遅いと感じない。ベースもよく移動しているのも一つの理由かもしれない。

「あー疲れた。あ、謙也さんお疲れです!」

曲の世界観にどっぷり浸っていたら、同室の神尾がほんのちょっぴり疲れ気味で入ってきた。きっとまた伊武のぼやきでも聞かされていたのだろう。

「お疲れー」
「本当につか…ってえ!それバラード!?無理っす!止めてくださいっ」
「え、ああ、すまん…」

ただ事ではない気迫に負け、そろそろと音楽を止めた。止めた途端、神尾は胸を撫で下ろし安堵のため息をついた。
なんだかよく分からないが大袈裟だ。

「バラードとか、こう、テンポが遅いんで、どうも、こう、なんて言うんすか、スピード命のオレには、こう、落ち着かないというか、その」

身ぶり手振りでどうにかこうにか伝えようとする神尾がなんだか可笑しくて、つい笑ってしまう。なんとなく言いたいことは分かる。

「謙也さんはバラード普通に聴けるんですね」
「そりゃそうだわ。普通にーっていうけど、神尾はどう聴いてるん?」
「2倍速で聴きます」

これぞ関西人顔負けのドヤ顔がやってきた。当たり前、常識だろといいたげな顔だ。

「えぇー、初めて聞いたわ。それバラードの意味ないやん」
「そんなゆっくりの聴いてたらオレのスピード魂が廃ります」
「なら聴かなきゃええやん」
「だって好きなアーティストの曲は聴きたいじゃないですか」

だからと云って2倍速とはいかがなものかと。いくらスピード命の謙也といえど、さすがにバラードはそのままで聴く。ローテンポだからこそ伝わるものや響くものがあったりする。

「きっとあれや。バラードの魅力に気付いてないんや」
「まあオレは音楽に求めるものはリズムとスピードですから、本来聴かなくてもいいんですけどね」
「ほんならさ、もし好きな女の子が一番好きな曲はバラードで、好きなジャンルもバラードで、2倍速なんて邪道よーってなったらどうするん?」

きっと神尾には想いを寄せている人がいるのだろう。ぴたりと動きが止まりしばし沈黙が流れ出した。
もちろんこんな反応が反ってくるとは思っていなかったので、謙也は内心地雷を踏んだか焦ったが、考えてなかったとぶつぶつ声が漏れていたのでその心配はなさそうだ。

「…そっ」
「そ?」
「それでもオレのリズムは変えられないぜーっ!たぁちばなぁさぁーんっっ!」

言うだけ言って、部屋を飛び出していった。言葉とは正反対に涙を浮かべていたのは気のせいだろうか。
再びこの部屋に静寂が訪れた。もちろん謙也は呆然としているだけで、やっぱスピード命の奴は行動も早いんだなぁと染々思っていた。

「橘…。気になるなぁ。千歳、分かっかなぁ」

男であっても恋愛沙汰は興味があるもの。自分が暇な事もあるが、出ないことを承知で電話を掛けてみる。直接会いにいけばいいのだろうが、奴はどこをふらついてるかは全く見当がつかない。
一定でなっていた電子音が切られ間延びした声が聞こえてきた。

『謙也かー。どぎゃんした?』
「お、おう、出るとは思わんかったからびびったわ」
『気付けば出るさね』
「変なこと聞くけど、橘って兄弟いる?」
『ん?杏ちゃんのこと?むぞらしかさね。ミユキとどっちがむぞらしいか決められないが、あー、でもミユキは元気系、杏ちゃんは綺麗系かなぁ。でもどっちも活発な子だしなぁ。兄としてはミユキの方が…、あーでも杏ちゃん…。あっ、桔平〜、ミユキと杏ちゃん、杏ちゃんの方がむぞらしいさね?えー、ミユキ?うーん、隣の芝生は青く…ってあれ、ああ、電話しっぱだわ。えーと、白石じゃなくて、そう、謙也だ。すまんばい〜。で、なんだっけ?』
「あ、いえお気になさらずに。失礼シマシタ」

千歳に妹関係の話は金輪際しないようにしよう。
でもそうか。きっと神尾は橘の妹、杏ちゃんが好きらしい。
なんとなくだが、交際を申し込むには橘と千歳の2人の了承を得ないといけない気がする。お互いシスコンがすごそうだから大変そうだ。
でもひとつ言えることは、

「バラードを2倍速で聴くような奴とは交際を認めなそうやなぁ…」

けれど、そんな壁をも乗り越えられる情熱を神尾は持っているから、勝利を手に入れられるだろう。
と思ったが、あそこの部員は橘には頭が上がらないからやっぱり無理なのかもと思った謙也だった。

―――――――――――
ただ単に2倍速のネタをしたかっただけです。


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