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明日から、
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「え?」

待って。全然意味が分からない。いつ、どこに、誰が行くって?

「だから、春休み明けから大阪の四天宝寺中学校に通うけん。寮暮し」
「な、なして?」
「目の治療の為さね」
「…ふぅん」

春休みに入ってから家族がなにやら忙しそうにしていたのは気付いていた。長期休みだから、うちには秘密で旅行の準備とかしているのかな、だなんて淡い期待もしていた。

「いなくなって寂しかね?」
「べっつにー。それよか兄ちゃんちゃんと一人暮らし出来るか心配たい」

あぁ、なんで素直じゃないんだろう。寂しいに決まってるじゃないか。
意地っ張りと気付いているのか、頭をぽんと撫で、居間を出ていった。
ソファーに寝転がりぼんやりと考える。

春休みってあと4日間しかないじゃん。あと4日しか一緒にいられないじゃん。なんでもっと早く言ってくれなかったのだろう。

(兄ちゃんいなくなるってどんなんかな…)

少なからず自分は生まれてこの方、ずっと同じ家で暮らし、同じ生活をしていたのだ。それが4日後には変わる。意味は分かっているが、想像は出来ない。

(でも、ほら、治療終われば帰ってくるさね。帰って…くる)

本当に?放浪癖がある兄だ。きっと祝い事とか休みになったからといって、帰って来るような兄ではない。ずっとそばで見てきたから分かる。

(…今のうちに構ってもらお)

そうとなれば即行動。勢い良く起き上がり、階段を駆け上がって兄の部屋へと向かう。別にやりたいことなどない。でももうそばにいられないのなら、嫌という程そばにいてやろうじゃないか。
不器用ながらの精一杯の甘え。
ドアを勢い良く開け、寛いでいる兄に向かって声を掛ける。

「兄ちゃん!」
「んー?どぎゃんしたとね」
「今からなんかすっと?」
「いんや、特になか。ミユキはなんかしたいと?」
「え、別に」

悪いことなど何もしていないのに、目が泳いでしまう。
これが兄ではなく姉だったら、おしゃべりしようとか、メイク教えてとか、それこそ話に花が咲くのだが、残念ながら兄だ。それに自分もそこら辺の女の子よりも活発で、アクティブで、多少ボーイッシュのところがあるのも十二分も承知だ。テニスばっかりしていたので、世の女の子は家で兄にどのように構ってもらってるなんて知らない。

「なら散歩に行こうかな。ミユキも行く?」
「へ?あ、うん。行く」

ゆっくりと動く兄をぼぉーっと見て、感付かれてるのかな、と思った。何も考えてなさそうで、なかなかに勘がいい兄だ。バレているとやはり恥ずかしい。
可愛くない妹だな。

いつもの見慣れた道を兄と二人歩く。テニスコートへ続く道。4日後は一人で歩く道。少し後ろを歩き自分より遥かに大きい背中を見つめる。

(テニスやめてって言えんもんな…。テニスしてる兄ちゃん、何よりすいとうし。兄ちゃんテニスしてなきゃうちもしとらんかったし…)
「――ばい」
「…え?ごめん、聞いとらんかった。何?」

つい立ち止まって聞き直してしまった。兄も立ち止まり、そこで初めて振り返った。表情は苦笑いをしている。

「つまらそうばいね」
「そんなことなか!ただ…」
「ただ?」
「兄ちゃんも、桔平兄ちゃんや杏ちゃんの様にいなくなるだと思って…」
「寂しい?」
「寂しくなか」
「うん」
「平気」
「そっか」

特に何をどうこう言うこともなく、そのまま前を向いて歩きだした。自分は視力がいいはずなのに、兄の背中が霞み、ぼやけてきた。
…ああ、涙か。
乱暴にそれを拭い、兄の横まで走り、並ぶ。
腕を組もうと思ったが、身長差がありすぎるため、服の裾をちょこんと摘んだ。

「…兄ちゃん?」
「んー?」
「…寂しい」
「知っちょる」
「いじわる…」
「何年ミユキば兄ちゃんやっとると思っとっと?素直じゃない妹けん」

分かってる。でもずっと一緒にいた分、むずかゆい言葉なんて恥ずかしくて言えない。
無造作に頭を撫でられ、オレも寂しかね、と言った。

「これから先、ずっとうち一人?」
「なん言ってなっせ。ミユキは家族と毎日一緒にいられるけん。なんも変わらんさね」
「兄ちゃんいなきゃ家族みんな一緒じゃない。それに兄ちゃんいないだけで全部変わる。考えられんばい」

本当に困ったように笑いながら頬を掻いている。頭を撫でていた手は、裾を摘んでいたうちの手を握っている。やっぱり大きいな。

「うーん、ほんとはミユキに言うつもりはなかったばい。だけん親がミユキに言わないで行ったら大泣きするからって。言ったら言ったでこうなること分かってたけん、だから嫌だったと」
「なんか、色々ひどい」
「でもほら、女の子はみんな家出てお嫁に行くばい。今から慣れておけばいいさね」
「…はあ!?兄ちゃんバカっ!?」

なぜ、こう、色々と空気が読めないのだろうか。今関係ないじゃないか。お嫁とか何年後の話だ。そもそも相手がいないではないか。

「ミユキばかんなりむぞらしかね。だから直ぐにお嫁にいけるけん。悪い虫を追い払えないのが癪ばい…」
(本気で言っちょるから怖いわ…)
「ばってん、暇あれば帰ってくるけん。安心しなっせ」
「……ほんとに?それ、嘘じゃない?」
「あー…、交通費の面を考えると、月一ばい」

月一。放浪癖且自由奔放な兄だ。良くて3ヶ月に一回、というのが妥当な数字だろう。
考えているうちをよそに、空いている手でポケットをごそごそしだし、差し出された。

「だから、これ」
「携帯?」
「そ、ミユキの」
「え、うちの?」
「これあれば、いつでもメールとおしゃべり出来るばい。それなら寂しくなか」
「…少しはね。でも、ちゃんと帰って来てよ」
「妹との約束はちゃんと守るたい」
「いつ行くん?」
「明日」

明日、か。4日もなかったな。今日で最後か。もったいない時間の使い方したなぁ…。もう夕方じゃん。明日の今はもう隣にはいないんだ。

「泣きなさんな。一生の別れじゃなか。離れてても兄妹ばい」
「…うん」
「さ、帰るけん」

帰り道はやたら静かで、遠くで遊び回る子供たちの声だけが響いていた。

兄が大阪に行く日。昨日があまりに普通すぎて何一つ実感が湧かない。いつも通りの夜ご飯で、特別なことなく終わった。

(お別れかぁ…。大阪…)

逢いたくなったら、自分から逢いに行けばいっか。そう思ったら、かなり吹っ切れた。
遠慮がちにドアがノックされ、兄が様子を伺うように入ってきた。

「そろそろ行ってくるばい。ミユキも途中まで来る?」
「うん」

兄と共に部屋を出て、親の車に乗り空港へ向かう。特に会話という会話はなく、お互いに窓越しの風景を眺めていた。

長い長い道程もあっという間に目的地に着き、いよいよ別れの時が来た。

兄はこの先のゲートを潜る。自分はこの先には行くことが出来ない。
やっぱり、やっぱり寂しいよ。どんな形であれ、別れはさ。

「それじゃ行ってくるばい」
「…ちゃんと帰ってくる?」
「うん。またすぐ逢えるばい。じゃあね」

頭を撫でて、後ろを振り返ることなく歩いていった。
大きな背中に、控え目に手を振った。その手がいやに寂しかった。呆気なかったな。兄の気遣いだろう。

「…いってらっしゃい」

この言葉は兄に届いただろうか。明日からはどんな“当たり前の毎日”が始まるのだろう。

お互い、この日から新たな一歩。
帰ってきたら、一番に言うんだ。

おかえりなさいって。


――――――――
仲良し兄弟ほど、寂しいんです。


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