「俺に構うなよ」





そういいながら荒垣さんが私に触れる手は優しい。私が無意識に荒垣さんに伸ばした手を彼は上手に、これ以上は駄目だと言外に匂わせて退けてしまう、その動作ひとつ。荒垣さんが、お前はもっと自分を大事にしろよ、と溜め息をついていいながら私の手を退けるために触れる指の固さに、私は一人鼓動を早くする。その後、私の頭を撫でる行為は、私のことをかわいがってくれていると言う証で(多分コロマルのように)けれど女の子にはなれないと言われているようなものだから、触れてくれて嬉しいのに、悲しい。

私から荒垣さんの手に触れるとこれ以上は駄目だと言わんばかりに遠ざけようとする。そのときに私の中指にはまる指輪を親指でふと思いついたように撫でる、その行為、ひとつ。ねぇ、荒垣さん知らないんですか。女の子がたった身動き一つでいろいろな期待をして裏切られて悲しんでいること知らないんですか。私の指を撫でながら、指、細ぇな、とぽつりと言うから私はどきどきしてしまう。











私はこの薬指に指輪を嵌めたことが、ない。

指輪が薬指にはまることに嫌悪感を抱いていたのは多分無意識のうちからだ。

誰かのものになる自分、誰かのものだと主張する自分、どちらも傲慢だと思っていた。

この間、ゆかりちゃんと出かけたときに行ったアクセサリーショップで、彼女が言っていたことを思い出す。指輪は、彼氏にもらうためにとっておかないとね。私はそれに曖昧な笑みで返事をした記憶がある。大抵の女の子は形にされるのが好きだ。

そうして、私も形而上的に女の子だということ。荒垣さんに指を撫でられて期待する心は、ゆかりちゃんと同じように、指輪を好きな人から欲しがる女の子そのもので、私は困惑する。この薬指が、誰かのものになってほしいだなんて。

けれど、幸か不幸か私が少し好意を示すだけで身動く荒垣さんは、いろいろなことを恐れているからきっと私に指輪なんてくれないだろう。彼が恐れているのは、何かを残すことだ。自分が残したものによって私が悲しんで不幸になってしまうことを恐れている。

だから、私は荒垣さんに世間で言われる当たり前のことをするのがひどく、怖い。

当たり前のこと?ようするに好きと言ったり、触れたり、異性間にある当たり前の行為だ。その好きが親愛のものであったとしても、荒垣さんは私が好意を示すような態度をとると居心地が悪そうな態度を取る。私はそれについ罪悪感を感じて体一つ分距離を開ける。そんなことを日々重ねていくうちに私たちの関係はただの先輩、後輩にも当てはまらない、仲間よりも近しくて、親友では物足りない、名前が付けられない関係になってしまった。

夜に二人きりで出かけることも珍しいことではなくなったし、ご飯を食べるときはお味噌汁から手を付ける私の癖も、三角食べができなくてお漬け物を最後に残す癖も知ってる。私の苦手なトマトを、仕様がねぇな、と最近は私が何か言う前に食べてくれる。何が好きで、何が嫌いか。買い物や食事を一緒に重ねる度に、短期間のうちに私たちはお互いの詳細を知るようになった。

私は、正直な話、男性とこんなにも近しい距離になったことがなかった。

よく二人で食事して、ちなみに相手は男の人なんだけど、私の食べ物の好き嫌いとかも何も言わずにわかってくれて、時々私にご飯を作ってくれたりして、一緒にスーパーとかに買いものにいくような人との関係ってどういったらいいのかな?

そんな風に曖昧な表現で私は友達の理緒や沙織に聞いてみた。理緒は、それって茜の彼氏の話?ときょとんとした顔で尋ねてきたし、沙織は家族のようね、と微笑んでくれた。愛を感じる、だそうだ。ゆかりちゃんにはなんだか怖くてまだ、話せない。彼女の潔さが好きな私には、彼女に「じゃぁ、荒垣さんのことどう思ってるの?」なんて聞かれてしまうことが怖いのだ。



「それって恋じゃないの?」



恋を今まで知らなかった理緒や、私がそれを無意識のうちに避けていると知っている沙織はそんなことをきっと言わない。けれど、ゆかりちゃんはそう言ってしまう。屈託なく、純粋に。誰かに話すことでこれは加速してしまいそうで、みんなの中だけで動いてしまいそうなのが怖かった。順平やゆかりちゃんに話せばきっと背中を押してくれる。でも私は臆病だった。

緩やかに育ったこの感情が、恋と認めるだけで加速して、そして車道を外れてガードレールから飛び出してしまうのが怖いのだ、私は。恐らく。











「もっと俺以外のやつと一緒にいた方がいいんじゃねぇの」



いつものわかつからの帰り道に、荒垣さんは呟くようにそう言った。

彼のその言葉は私が距離を縮めようとすることに対しての臆病さから来ているともう私は知っているから別に傷つくことなんてない。ただ、寂しいだけだ。そんな風に他人を拒絶する荒垣さんが寂しいだけだ。

この人の不器用なところを好いて、一緒にいて、触れられたいと願ってしまうこれを、どこかで私は恋だよ、と誰かに言ってほしいと本当は願っていた。そうして心に平穏を与えてほしかった。二人で食事をして、距離を縮めて、好き嫌いをわかりあって、一緒に帰ったりする、この関係は普通の男女間の、一般的な距離の縮め方なのだと、私たちは恋をしているのだと。私たちがやっていることを誰かが恋だと認めてくれたら私はその人の足下にひざまずいてもいい。背骨が軋んでしまうくらい体を曲げて、その人にお礼を言うだろう。

ただ、「恋」と認めて、荒垣さんが私から距離を置いてしまうことが、私が一番恐れる悪夢だった。



「お前は、一緒にいれるやつ、いっぱいいんだろ。俺にあんまり時間割くんじゃねぇよ」



もったいねぇ、と私はそんなことを言う荒垣さんの前で、何度も今まで感じていたたくさんの言葉を飲み込んできた。

私、荒垣さんにしてほしいことたくさんあります。キスもしてほしいし、指輪も欲しいです。でも全部、我慢します。だから覚えていてほしい。荒垣さんと出かける夜に同じ夜がないこと、時々気がついたように歩幅を合わせてくれるときの高揚感、私が荒垣さんにのばす腕の若さ、猫背とぴんとした背筋が並ぶ二人の対象的な背中、時々ふれあった肘の熱さ、私が荒垣さんを好きだったこと。

それはいつも言えずにいた台詞だった。私自身の臆病さも原因だけれど、そんな告白をしたら荒垣さんに悲しい顔をされるんじゃないかと、私は恐れていた。だって彼はこの世界に何も残さずに旅立ちたいと思っている。私は荒垣さんを悲しませたくない。

私も、荒垣さんも本気になることに怯えている。本気って何?と私は自分に問いかける。相手のことをあいしている、ってことだ。好きと伝えたり、あいしてるっていったり、疑ってみたり、みんな当たり前にみたいにしていること。

私は、ただできたら一緒に外食をした帰りに、コンビニに寄ったりして、お互いが好きなものを選び合ったり、ときどき外で待ち合わせて出かけてみたり、あと一度だけでいいから真田先輩と並ぶような大喧嘩をして荒垣さんに顔もみたくない、なんてそんな恐れ多いことを言ったりしてみたかった。そういうことが荒垣さんとしたかった。

それはすごいことで、我侭なことで、そんなことを当然としているみんなはしあわせそうじゃないけれど、私と荒垣さんはどうしてか本能でそれが一番の幸福の形だって言うことを知っていた。それは私たちがそういう日常的なものからひどく遠ざかってしまった証拠みたいで、悲しかった。



(知ってほしい。普通のこと。注がれる水で自分の器が溢れそうに満たされること。撫でられることで心が凪ぐことを)



コンビニの寄り道や、お互いの好き嫌いを把握したり、待ち合わせに遅刻したり、喧嘩したり、そう言う当たり前のことができる幸せでこの世界は満ちるんだってこと。悲観的にならなくたっていいのだと言うこと。

逃げないで、と祈りに似た気持ちで私は彼の赤錆色のコートの裾をつかんだ。その自分の手を、指を、薬指を、見つめる。折れそうなほどに、か細い。この指にはもう何も嵌まらないかもしれない。永遠に失う哀れな私の指。でもそんなことはよかった。彼にこの言葉を言うことで、もうこんな夜など二度とこなくなるかもしれない。それでも。



(俺のことを好きなんて言う奇特なやつがいるとは思えねぇ)



いつか彼が言っていた言葉を私は思い出す。私は今、首を振る。そんなことはない。そんなに世界は寂しくなんかない。それを、私は教えたかったのだ、ずっと。世の中にはそんな奇特なやつがいるんだってこと。悪夢をもう私は恐れない。私がこの人の側にいれない世界より、この人が自分はひとりなのだと思う世界の方がずっと怖いから。どうしても彼に言っておかなければいけない言葉を伝えるために口を開く。





(すき、すきなんです、あなたのことが、)





指輪もキスもいらないから、この世の中を達観して、どうか、諦めないでほしい。







ミッシングリング/薬指



























コミュMAX後の告白の手前の主人公の気持ち





































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