人を好きになることは、もしかしたら悲しいことなのかもしれない、そう思ったのは荒垣さんにであってからだ。

荒垣さんのことを考えると左胸が痛くなる。割けるようなその痛みは柘榴のように鮮やかな切り口を伴うのではないかと私は空想する。そして同時に安らかな気持ちになる。荒垣さんのことが好きなのかなと思えば、なんだか誰にだって親切にしたくなるような、そういう満たされた気持ちになる。

それはやっぱり悲しいことだし、貧しいことだと思う。本当は荒垣さんを思わなくても当たり前に親切な心が必要だし、安らかな方がずっといい。健康的な心ってそういう心じゃないのかなって思っているのだけれど、私はそれでも荒垣さんのことが好きだ、不器用なあの人が好きだった。











荒垣さんは不思議な人で、二人きりでいつまでも沈黙を抱えていられる。もちろん話をするのが嫌いと言う意味ではない。どちらかというと荒垣さんは気を使う人だったし、不自然な会話の途切れ方なんてさせなかった。

ただ、話が終わって訪れる沈黙に荒垣さんは緩やかに微笑んでくれる。私はその横顔の輪郭をなぞるのに必死になる。それは私の心が永遠に乱されることなく過ごせる、そう、9月はそんな時期だった。いつも荒垣さんは一緒にいたし、私は順平にお前は本当に荒垣さんが好きだなぁ、と飽きれた顔で言われるくらいわかりやすく好意を示した。

2009年の9月は完璧と言いたくなるようなしなやかな風が残暑を撫で付け、快適な時期だった。大型台風が訪れるまで、その気候は崩れなかったし、適度に雨も降って夏の乾いた地面を潤した。

台風が来るまで夜はいつも晴れてくれたから、私は荒垣さんと思う存分外食をしたり、買い物をしたり、コロマルの散歩にも行けた。私の中の荒垣さんはいつまでもこの完璧な中の9月にいる。











「お前さ、それでいいの?」



順平の顔は少し歪んでいた。悲しそうにもとれるし、おこっているようにも見える。そんなの荒垣さんは喜ばねぇよ、と順平は言った。



「真田さんじゃないけどさ、そういうのあの人は好きじゃないと思う」

「そうだね」

「閉じ込めて、閉じ込めて、大切にして、荒垣さんはお前を前に進めなくしたかった訳じゃないだろ」



でも忘れられないのだ。そういうと、忘れないのと立ち止まるのは別物だろ、と順平は言った。少年は成長が早くて私はいつも憂鬱になる。



「・・・誰かがいなくなることって、悲しいんじゃなくて、こんなにも後悔することだったんだな」



そんなやけに哲学的なことをぽつりと言って、言い過ぎてごめんな、と順平は私の肩を叩いて去っていった。











人の余白を感じるときはいつだろうか。

郵便届けから荒垣真次郎宛の手紙が溢れ出ていたとき、教室から席がなくなってしまったとき、寮の部屋のネームプレートから荒垣の名前が外されたとき。そのたびにわたしは「わかったから、もう放っておいて」と言ってしまう。

ただ私は、あの体温を覚えていたいだけだった。私に触れるときのおずおずとした指先や、上手に私が荒垣さんにのばした指先を捕まえ、これ以上はだめだと言わんばかりに、髪を撫でて私を大人しくさせる。時々首筋にあたるひんやりとした指先に私はいつもぞくりとしていた。お風呂の温まりきっていないぬるさで抱きしめているような、眠りについてしまうようなその温度にもっと触れていてほしいと思っていた。

私が手を伸ばさなくては、その温度はいつも手に入らなかった。荒垣さんは決して自分から触れようとしてこない人だったから。

私はそれにいつももどかしさを感じてしまう、言おうか言わないかいつも悩む。

このもどかしさを例えるなら、作文用紙に、つらつらと文章を書き続け、そしてどうしても埋まらない最後の余白にいらいらする、そういう気持ちに似ている。あと一言、一言でいいのになぁ。ずっと文字が詰まった作文用紙を見つめ続けると、何故だかその余白は愛おしくなってきて、これだけ文字を詰めたんだからもういいかもしれない、と思うようになる。この空白で全体のバランスをとろうなんておこがましい話だが、私は納得するしかない。完璧な余白なのだといいきかして。

一度だけ、荒垣さんから私に触れたことがある。無理やり押しはいった荒垣さんの部屋で。私の我侭にほとほと飽きれてしまった荒垣さんは、初めて自分から私を抱きしめてくれた。ニット帽の毛糸が頬にすれてくすぐったくて私はふ、と息を漏らしてしまった。荒垣さんはそれで私を手放してしまった。

これ以上はだめだ、と荒垣さんは言った。帰れ、と。その瞬間私の頭の中にはぽっかりとした余白があいてしまった。原稿用紙の片隅の余白。美しい余白。それをそっとしておきたかった。そのままの方が美しい気がしてしまったから。私は、帰る、と頷いてしまった。怖くなったのだ、全てが手に入ったら私はどうなってしまうんだろう。







そう、あの出来事は10月。9月じゃなかった。だから完璧になれなかったのだ、私たちは。私と荒垣さんはいつまでも9月の中にいる、完璧な9月。そう、永遠の、9月。

人を好きになることは悲しいことだ。悲しくて寂しい。私は荒垣さんを好きになっていろんな物事の絡繰りを知ってしまった。人は変わっていく生き物で誰かを好きにならなかったら親切になることなんてできない。そんな人間の貧しさを私は知りたくなかったし、それが悲しかった。荒垣さんがいないこの世界で、私は私を心配してくれた順平にひどいことしか言えなかった、みんなの言葉に耳を貸せなかった。





(誰かがいなくなることって、悲しいんじゃなくて、こんなにも後悔することだったんだな)





後悔している。

余白を全て埋めてしまえばよかったと思っている。順平の言う通りだ。私は荒垣さんがいないこの世界を悔いているのだ。

閉じ込めて、閉じ込めて、それで物語が結末をむかえるなら私はそれで構わなかったのに、世界はいつも解放を願ってしまう。私はわかっていた、恐らく。Ifの世界で息をし続けることの難しさ、9月の崩壊の音を。

いろんなことに気づき始めた季節はもう夏の終わりではなかった。9月はもうとっくに終わっている。カレンダーは12月。そう、終末への最後の決断が迫っていた。







永遠に、9月。











コミュMAX後。「帰る」を選んでしまった世界で。















































































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