アリスインナイトメア







「お願いだよ。助けて…白蘭」

紫色の空。
泣き叫ぶような鳥の声。
生暖かい風。
生気のない花々。
薄暗い森。
少年は蔦の絡まる大木を目の前に、声を震わせた。

「この僕にお願い?そりゃ大変だ」

ピチャン。
真っ赤な雫が大木の上から滴り、少年の頬を掠めた。
錆びた鉄と生臭い匂い。
少年は表情を歪めて、それでも声の在処を探す。

「でもきっと僕のところに来ると思ってたよ。アリスちゃん」

大木の枝の上、白髪の青年が脚を組んで座っていた。
ボロボロに見えるヴィンテージ調のニットとパンツを着こなし、いつもマシマロの袋を抱えている。
奇妙な色の猫の耳と、細長い尻尾を生やした不思議な青年。

「アリスなんて呼ぶな。 俺の名前は綱吉だ!」
「あはは。でもここでの君はアリスだ。それ以外の何者でもない」

ムキになって叫ぶ綱吉に、白蘭と呼ばれた奇妙な青年は薄らと笑みを浮かべる。
紫色の瞳の奥が笑っていないことに気が付いて、綱吉はすぐに身を小さく縮め、俯いてしまった。
白蘭の紫は底の見えない深い色をしていて、目を合わせるのが怖い。
飲み込まれて溺れてしまいそうだと、いつも思っていた。

「ははっ、そんなに怖がらないで。今、僕は機嫌がいい。すごくいい。大抵のことなら許してあげられる位にね。で、用件は何だったかな?」

けらけらと陽気に笑い声を上げる白蘭に、綱吉は俯いたまま口を開いた。

「この世界から、逃げたいんだ」

「どうして?君は自ら望んでこの世界に来たんじゃない。現実の世界から、この夢の世界に逃げてきたんじゃない」

その通りだけれど、はっきり言われると辛かった。
泣きそうになるのを我慢して、少年はふるふると首を横に振った。

「そうだけど、でも、このままじゃダメなんだ…白蘭」

白蘭は綱吉の体を眺めた。
綱吉の腕も脚も傷だらけで、痛々しいばかり。
特に首には何かで締め付けられたような紫色の痕が鮮明に残っている。
にやり、と白蘭の唇が歪められた。

「最近、おかしいんだ」

綱吉の握った拳が震えている。

「最初はあんなに、優しかったのに…っ」

そう声を振り絞った綱吉は、涙を零していた。

「愛してるっていいながら、鞭を打つんだ。傍にいて欲しいっていいながら、首を絞めるんだ。昔と同じ表情で…!」
「へぇ?困ったサディストになっちゃったねぇ、彼も」
「今日は逃げられないように骨を折るって言われて、それで…っ」

綱吉はその時の様子を思い出したのか、青ざめて座り込んでしまった。
そんな綱吉を見つめて、青年はまた愉しそうに笑った。
それはそれは、愉しそうに。

「でもねぇ、君はハートのクイーンの可愛いアリス。彼のモノに手を出すってことは、即ち死ぬってことだ」
「白蘭…」
「流石の僕でも、彼に首を斬られちゃうだろうね。なんせ彼は、この不思議の国の支配者なんだから」
「白蘭!」

縋りつくように、綱吉が懸命に叫んでくる。
白蘭は見えないように、小さく舌なめずりをした。

「それ位のことを僕にさせようっていうんだよ?君は」
「お願いだよ…もう、白蘭しか頼れる人がいないんだ…」

最初は楽しくて仕方なかった不思議の国。
金髪の美しい女王も、優しく温かい愛情を注いでくれた。
けれど少しずつ、少しずつ、周りのものが壊れていった。

そして気付いた時には、こうしてまともに話が出来るのはこの白蘭だけになってしまっていた。

どうしてそうなってしまったのかも、これからどうしたらいいのかも解らない。
だけど、これ以上ここに居てはいけないことだけは解ってしまった。
頭のどこかで、警告の音がずっと鳴り響いている。

必死な形相の綱吉に対して、白蘭はゆっくりとマシマロを口に運んで暢気に頬張った。

「勿論、それに似合うお返しはしてくれるんだよね?」

今までになく、口端を吊り上げて笑う。
まるで、裂けてしまいそうな程。
少年は一度俯いたあと、白蘭を見上げた。
覚悟を決めた瞳をして。

「交渉成立♪」

ごくん、とマシマロを飲み込んでその喉が動いたのを見た瞬間、白蘭はすでに目の前に立っていた。
白く長い指が、綱吉の左胸に押し当てられる。
ああ、紫に飲み込まれる。
綱吉は動けなかった。

「ハートのクイーンの調教を受けた可愛いお人形だ」

愛らしい表情。
細く小さな体。
純粋な心。


愛欲を煽るようなその表情。
浅ましい欲望を受け入れることに馴らされたその体。
穢されても傷つけられても尚、美しいその心。



(現実世界にいた時から、ここに呼んでからも。ずっと君だけを見ていた)



「この僕を満足させるに相応しい。…沢田綱吉」


ねぇ、知ってた?
君がこの世界に逃げてくるように仕組んだのも、僕。
君をハートのクイーンの傍に置いて、そこから逃げ出せないようにしたのも、僕。
そして君が、僕に助けを求めてくるように仕組んだのも。

この世界で、君の全てが僕だけになるように。


「やっと僕に相応しくなってくれたね」


全部、君を僕に似合う僕だけのモノにするための準備にすぎない。


「僕の、アリス」

僕は微笑んでその小さな体を引き寄せる。
唇を重ねれば、柔らかなマシマロの感触がした。
今度は見えるように、舌なめずり。
アリスの顔が歪んだ。


今更そんな顔したって遅いよ。
君は今、覚悟を決めた筈でしょう?

永遠に僕のモノになると。

「安心しなよ。君が元の世界に戻る方法なんてないんだ、本当は。僕が君を見つけた時から、君はこうなる運命だったんだよ」


これからは僕が愛してあげる。
他のモノなんて何もいらなくなるぐらい、いっぱい愛してあげる。


「さぁ、楽しいパーティを始めよう」


僕がつくった、この狂った世界で。









彼なのか女王なのかよくわからないたぶんディーノさん。
関係ないですけど、八兆ぶんのひとつに、やっぱり白蘭さんがつなちゃんを好きになっちゃうパラレル世界があってもいいんじゃないかなぁとこれを書きながら思いました。

[TOPへ]
[カスタマイズ]




©フォレストページ