Prelude
□Prelude〜リマラエル〜
1ページ/21ページ
8
白馬で走り港に着いた二人は、リマラエル行きの船に乗り込んだ。
その船には商人らしき人達が乗っていたが、カゼリアの民と思えし者は一人もいなかった。
二人は適当な場所に座り込んだ。
皆憔悴しきった顔をしている。
商人の老女が優しい表情で風音たちの前に立った。
「あんた達、カゼリアの人かい?生き延びたなんて運が良いよ。元気出しなよ。」
そう言うと、前にパンを二つ置いて去っていく。
そのパンに手をつける事もなく、二人は無言で過ごした。
ここ数日食べていない。
しかし、空腹を全く感じないのだ。
睡眠も満足にとれない。
ウトウト寝付こうとしても、すぐに目が覚めてしまう。
気がおかしくなりそう…。
風音は抱えている膝に顔を伏せた。
ここから消えたい。
「可哀想にね。全滅だって。」
「俺も後一足遅れてたらここには居なかったな。」
商人たちの会話が耳には入ってくる。
過去の事と割り切れない。
無惨な死。
皆何も悪いことしてないのに…。
あんなの、酷すぎるよ。
ゆらゆら揺れる船に身体を任せながら、風音は胸が締め付けられそうだった。
悲しみは空っぽの胃を刺激し、時々吐きそうになる。
それを必死に堪える。
ヴァルジェの前で惨めな自分をさらけ出す事が嫌だった。
リマラエルの港が見えてきたのは船で一日半後の事だった。
隣りの国と言ってもそんなに離れていないと分かる。
建物はヨーロッパ風。
着ている物は華やかなドレス。
中にはキリスト神話に出てくるような衣を身にまとった婦人もいる。
ヴァルジェと風音は周りを気にすることなく船を降りた。
そして歩き出そうとした時、男性が目の前に立ちはだかった。
「ヴァルジェ=カゼリア=フォード様ですね。リマラエル王の命令でお迎えに参りました。」
青年は礼儀正しく頭を下げると、馬車を指さした。
「あちらに馬車をご用意しました。」
柔らかな物腰で促され、風音たちは言われたまま乗り込む。
疑う余地もなく、その雰囲気から城の使いだと理解した。
カゼリアの事を興味で訊かない所も、風音の好感を得ていた。
城へ向かう馬車の中、風音は活気づく街を眺めていた。
唯一カゼリアと平和協定を結んでいるリマラエル。
そこには元気な声が飛び交っていた。
馬車で走ること一時間程で城が見えてきた。
その間、カゼリアの情報を聞き、数日間港で待っていたとその青年から聞いた。
青年の名はクレイク。
真っ赤なマントを身に付け、とても紳士的な態度をとる。
若いながら、城では地位が高いようだ。
城へ着くとクレイクはドアを開け外に出た。
「どうぞ、風よみ様。」
頭を下げ敬うように言うクレイクを、風音は見上げた。
居心地悪い感じだが、嫌な気はしない。
「ありがとうございます。」
小さな声で呟くと、風音はゆっくり馬車から降りる。
リマラエルではレディーファーストが常識らしい。
風音に続き、ヴァルジェもその地に降り立つ。
そして寂しげな表情でリマラエル城を見上げた。
「どうぞ、中へ。」
凜としたクレイクの声に、ヴァルジェは力強く頷いた。
その顔にはもう先程の寂しげな表情は見られない。
一歩づつ歩き始めたヴァルジェの後を、風音は慌てて着いて行く。
風音にとってヴァルジェしか頼る者がおらず、少しでも離れる事は恐怖でしかなかった。
あの時ヴァルジェは風音に、今まで見せたことのないような厳しい目付きで言った。
『リマラエルへ行く。お前は今から“風よみ”として来てもらおう。』
風音自身、必要とされていないと分かった。
それはとても悲しい事実である。
しかし“風よみ”としてだけでも、この地まで連れて来てくれた事に感謝しなければならない。
お前など必要ないと言われるより遥かに良い。
城への橋を渡りきり門に差し掛かった時、両側に立つ門番が一礼した。
先頭にクレイクが立ち、歩く。
クレイクのサラサラの金の髪が風になびいた。
門の中に入ると、城で働く者たちは頭を下げ、興味の目を向けた。
曲がりくねり奥まで行くと立派なドアがあり、その前で立ち止まる。
「こちらです。」
そう右手でクレイクが指した時、目の端に人影が映る。
左を見ると、そこには綺麗な少女が儚げに立っていた。
年の頃は風音と同じくらいで、赤とピンクの美しいドレスを身につけている。
長い髪をなびかせ、育ちの良さそうな顔がヴァルジェに向けられていた。
「姫…。」
クレイクが驚き目を見張る。
ヴァルジェも彼女を見つめ、一歩足を進めた。
「お久しぶりでございます。ヴァルジェ様。この度は何と申し上げれば良いか、言葉が見つかりません。」
神妙な表情で言うリマラエルの姫に対し、ヴァルジェはその前まで歩み寄った。
「久しぶりに会うのに、こんな報告ですまぬ。」
「いいえ、ヴァルジェ様の命が助かっただけで十分です。神に感謝します。」
「ミラノ…。」
ヴァルジェは切なそうに眉をしかめると、彼女を抱き締めた。
ミラノと呼ばれた姫もその胸に自然と顔を押し付ける。
それは、二人の時間が止まったかのようだった。
風音は久しぶりに感情を表情として表すヴァルジェを見て、胸が締め付けられた。
私にはあんな表情したことなかった…。
なのに…。
あんな切ない表情を彼女に向けるなんて…。
風音は無意識に二人から視線を逸らせた。