短編集

□幸せな瞬間
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幸せな瞬間ってどんな時だろう。
心からの笑顔の瞬間ってどんな感じなんだろう。

一人一人違うその思いを特別なあいつと共有出来るのなら、俺はもう何も望まない。



『幸せな瞬間』



俺は窓枠に肘をつき、頬杖しながら欠伸を噛み殺した。
日だまりの午後はとても気持ちよく、眠りに誘われるのと戦っていた。
校庭では他クラスの男女混合ソフトボール大会が開かれており、賑やかな声が聞こえた。
夏が終わり涼しくなってきた今日、球技大会に向けての練習だろう。
その中に、人一倍張り切っているあいつの姿を見つけた。


「とーらちゃん。何見てんだよ?」
「あ?」
後ろの席の五島ことゴドーがシャープペンで俺の背中をつついてくる。
「別に。」
「可愛い子でもいるのかよ?」
「授業に集中しろよ。」
ニヤニヤ笑いながら訊ねる奴を睨み付けるが効果はなし。
俺と夏海が付き合ってると知り、いつもからかいたくて仕方がないのだ。
「あれって3組だろ?良いよなぁ。俺も混じりてぇ。」
授業中もお構いなしに窓の方にぐいっと身を寄せ覗き込む五島を無視することに決め、黒板に向き直った。
「夏海ちゃん、可愛いよなぁ。」
無視。
「小さいし、ギュッてしたくなるよな。」
無視無視。
「柔らかいんだろうなぁ。」
無視無視無視。
「俺のものにしてぇ。めちゃくちゃにしてやる。」
「ゴドー!」
俺は無視を決め込めず、怒鳴りながら立ち上がり振り返った。
その瞬間、黒板消しが飛んでくる。
「そこ、静かにしろ!」
教師の怒りを含んだ声が轟いた。




「お前のせいだぞ!」
「俺何にもしてないだろ?お前が勝手に立ち上がっただけで。」
教師に頼まれたプリントを多量に持ちながら、俺とゴドーは職員室への廊下を歩いていた。
「その口をきけないようにしてやろうか?」
「虎ちゃん怖い。」
ブリッコをするゴドーに辟易して、俺はそっぽを向いた。
「でもさ、マジでお前ら何処まで行ったんだよ。」
「何処までって?何処にも行ってないけど。」
「またまたぁ、惚けるなって。親公認の仲なんだろ?夏海ちゃんとどうなんだよ。」
「お前にそんな事言うかよ。」
興味津々に眼を輝かせるゴドーから窓の外に視線を移す。
差し込む日差しはまだ暑く、俺は目を細めた。

ゴドーが言うような何かは、俺たちの間には存在しない。
付き合ってこの方、手を握ったのが最高だ。
これを奥手と言うのだろうけれど、どうも夏海を相手にすると手が出せないでいた。
あの夏祭りの日から一緒にいる時間は増えた。
お互い距離は近付いていると感じてはいるのだけれど。

「ご苦労さん。」
「失礼しました。」
教師にプリントを手渡しそそくさと職員室を後にした。
「なぁ、虎。マジで何したんだよ。」
「まだ言ってるのか?」
繰り返し訊くゴドーにウンザリして、俺は伸びをした。
「まさか、まだ何も?いや、まさかな。あんな可愛い彼女がいながら手を出さないなんて、真っ当な男の心理ではないぞ!って!」
演技掛かった立ち振舞いのゴドーの後頭部を平手で叩く。
真実だが、こいつに言われると腹が立つ。
「何す…!おい、見てみろよ。」

中庭に向かう窓を見ながら、ゴドーが声を潜め外を凝視した。
俺もゴドーにつられ、立ち止まり外を見た。
一階の廊下という事もあり、木々の間のカップルが見えた。
二人は近付くと自然な仕草で唇を合わせた。
風が二人の間を通り過ぎ、長い彼女の髪さらっていく。
その頬は少し朱に染まり、幸せそうな笑みが浮かんでいた。

「ゴドー、行くぞ。」
「え?もう少し…!」
「覗き見なんて趣味悪いぞ。」
俺は足早に歩き、その場を離れた。
いつもの俺なら興味深くその二人に見入っていただろう。
でも今はゴドーの指摘もあり、正直焦っていた。
あんなに他のカップルが幸せそうにしてるなんて…。
俺らって、どう周りから見られているんだろう。



部屋でベッドに寝転び漫画を見ていると、下で母さんと夏海の話し声が聞こえた。
この後ドタドタと階段を駆け上がる音がする。
いつもの事に俺は素知らぬ顔で漫画を見続けた。
「虎ちゃん!」
勢い良くドアを開けると夏海が我が物顔で入ってくる。
「今日授業中に立ち上がって騒いで怒られたんだって?」
「何でそれをお前が?」
「やっぱり本当なんだ。五島くんから聞いたんだよ。」
笑いながら夏海はラグに座り込む。
「ゴドーの奴。」
「だいたい何でそんな事したの?」
「別に。」
「別にじゃないでしょ。」
夏海は立ち上がると俺の漫画を取り上げ、顔を見おろしてきた。
「今度の目標は一緒の大学なんだから、内申書ちゃんとしてよね。」
「げ…。まだ俺ら一年だぞ。」
そんな先の事を考えられていると思うと、俺は顔をしかめた。
「虎ちゃんは3年でも短いんだから、出来る時にきちんと勉強してよね。」
「へいへい。」
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