TexT;ぬらり(その他)

□秘書、雅次氏の受難
1ページ/2ページ

「次男坊は気楽やってよぉ言うけど、ボクは生まれてこの方、気楽やって思ったことは一度もなかったわ」

染み一つ無い、純白の大きな花弁を幾つも咲かせるツツジの垣根を見つめながら、秀元は零すように呟いた。

「……」

手入れの行き届いた芝生の上に置かれた木製のベンチに座っていた竜二は、自分の腿に頭を乗せ、ベンチに横になっている秀元の頭に、そっと手を置いた。

「…次男で、社長にはなれんけど、蘆屋家の人間にはかわりないから、家の名前を汚さんようにって、ずいぶん早い頃から教育されたわ。ボクもまぁ子供やったし、成績が良ぉなるように素直に頑張ったわ」

そこまで話した秀元は、頭に置かれた竜二の手に手を重ね、軽い力で指を絡める。

「親に褒められたい一心で、頑張って勉強して、テストでもええ点数取って、通信簿の成績を上げたらな、今度は、兄貴よりもいい成績を取ったらあかんって、怒られたんよ」

おかしな話やろう?と笑い声さえにじませながら秀元は話すが、その指先は冷たかった。

「100点取って怒られた時には、さすがに、こんなんおかしいやろって思ったけど、どうにも出来ひんかった」

ただ真っ直ぐ、ツツジの白い花弁を見つめ、秀元は語る。

「……兄貴も兄貴でなぁ、飛び抜けて賢いわけやなかったから、たいへんやったんよ。 頑張っても頑張っても追い抜けん相手の方が、楽やったかもしれん。ちょっと気ぃ抜いたら、兄貴よりええ点数を取ってしまうし、逆に手ぇ抜きまくっても、今度は、成績が悪すぎるって怒られる。 ほんまに微妙な位置を保つのがしんどうてな…。けど、いつも褒められんのは兄貴で、ボクなんか見向きもされん」

秀元が横を向いていて、竜二からはその表情が確認出来なかったため、竜二は、ただ秀元の手を握り返した。

「なんでもかんでも兄貴基準、兄貴至上主義や。…欲しいものも、したいことも諦めてきた。それが当然や思てきたからな。 そうなると、自然とだんだん欲しいものが無いなってきてなぁ。物でも人でも、そない執着が持てへんかったんやけど…」

そこまで口にした秀元は、横向けの状態から仰向けになり、竜二を見上げた。

「君だけは違う。絶対に諦められんかった。…こんなにも恋焦がれて欲しいと思たんは、君が初めてなんやや」

狂おしい程の熱情を帯びた瞳で見つめられ、竜二は、何も言わずに、自分から秀元の唇に、唇を重ね合わせる。
何を、言ってやれば良いのか、竜二はわからなかったのだ。
ただ慰めるような優しいキスをした竜二は、唇を離した。

「…君が好き過ぎて…愛し過ぎて、君を失うんがむっちゃ怖い。」

秀元は、離れた熱を追い掛け、上体を起こして竜二を抱き締める。
それを嫌がらず、背中に手を置く竜二の手の温もりに、秀元は唇を震わせた。








「やから…ごめんな?」











耳元で告げられた懺悔の言葉の意味を、その時の竜二は、想像すら出来なかった…。


◆◆◆◆◆


新緑が萌える鬱蒼と茂る木々にある門が開いた時から、雅次は嫌な予感がしていた。
それは、洋風の豪邸の玄関を開けた時点で、確信へと変わる。
いつもなら、この家の家政婦がにこやかに彼を出迎えてくれるはずだが、今日、彼を出迎えたのは、黒い着流しをだらしなく着崩した男だった。
髪は少し寝癖がついていて、寝惚け眼の彼は、まさに今、ベッドから抜け出してきたとわかる寝起きの状態で、気を抜けば、立ったまま寝てしまいそうな眠たげな顔をしている。

「貴方、お1人ですか?」

今の時刻は、昼をとうに過ぎ、夕方に近づいた平日の午後3時過ぎ。
男は、そんな時間まで気ままに昼寝できる身分だった。
彼は、雅次が秘書を務める会社の社長夫人。
夫の収入は、彼一人を養うには十分すぎる程で、働かずとも豪遊出来る。

「ああ、1人だ」

「家政婦の方は?」

「帰らせた」

雅次の言葉に、言葉短かに返した竜二の返答に、雅次は言葉を失う。

「また勝手に…」

何を勝手なことをしているのだと、雅次は眉を寄せ、顔をしかめる。

「昨日から数えて、この家の主人が2週間も留守にするんだ、1日や2日、暇を取らせてやっても罰は当たらんだろう。手当ても、通常どおり払う」

何も問題が無いと言ってのけた竜二は、欠伸を噛み殺す。

「社長はいなくても、貴方が、いるでしょう? 今日の夕食はどうなさるおつもりですか?」

竜二が家事など一切出来ない人間だということを知っている雅次は、ますます不快そうな顔をした。
雅次の問いに、竜二は、雅次が右手に持っているケーキの箱に視線を向ける。

「残念、貴方用はこちらですよ」

それに気付いた雅次は、左手に持っていた渋めの色の紙袋を渡す。

「夕飯ではありませんが、貴方が食べたがっていた、たね屋の水饅頭です。」

老舗和菓子店の銘柄入りの紙袋を見ていた竜二は、ケーキの箱に視線を戻し、そっちは?と尋ねる。

「家政婦さん用の差し入れですよ…生菓子ですからね、いらっしゃないのなら、会社の方へ持って帰ることにします」

中身はシュークリームで、一般の主婦が渡されてもお返しに困らず、気がねなく家族で食べられる安価なもので、竜二の口には合わないと判断した雅次は、竜二ご機嫌伺いも済んだため、帰ろうとする。

「待てよ、もう帰るのか?」

それに気付いた竜二は、がしっと雅次の腕を掴んだ。

「……まさか、こっちが食べたいなんて、意地汚いこと言いださないでしょうね?」

竜二が言い出しそうなことに気付いた雅次は、竜二を振り返り、苦笑いを浮かべる。

「……今は、洋菓子の気分だ」

それに、うっと詰まった竜二だったが、雅次の目を見て告げた。
その態度に、雅次は、秀元が、良く竜二のことを“お姫サン”と表現するのが何故か、その理由を改めて納得する。

「わかりました、1つ差し上げましょう。……貴方が1個を完食出来るかわかりませんからね」

1つ、と言った時の竜二の顔は、まさに、けち臭い、と言わんばかりで、雅次は、すぐに1つしかやらない理由を口にした。
そして、賞味期限が印字されたシールを剥がし、箱を開けてシュークリームを1つだけ取り出して渡す。

「…ビニールに入ってるシュークリームなんて初めて見た」

雅次に渡されたシュークリームを見た竜二の一番最初の感想はそれで、ずっしりと重く、意外と大きなシュークリームに、竜二の視線は釘づけになる。

「そうでしょうね。…お茶を煎れますから、リビングへ行きましょう」

今ここでビニールを開け、竜二がシュークリームを食べだしかねないと思った雅次は、仕方なく靴を脱いで家に上がることにした。
リビングへ行くなり、竜二は、アイボリー色の大きなコーナーソファーに座り、シュークリームが入っているビニールを開ける。
中からシュークリームを出した竜二は、大きく口を開けて、それにかぶりついた。
しっとりしたシュー生地から、とろり、とカスタードクリームが流れ出てくる。
それを食べる、というより、竜二は啜る。

「お口に合いますか?」

キッチンでダージリンをいれて戻ってきた雅次は、テーブルの上に、ポットとティーカップ、そして、茶葉を蒸らす時間を計るための砂時計を置いた。

「不味くは無いが…くどい…」

シュークリームの中には、カスタードクリームがたっぷり詰まっていて、その多さに、竜二は辟易しだす。
しかし、完食を断念するのはどうも負けた気分になった竜二は、そのまま食べ進める。

「あ…」

その時、薄いシュー生地が破れ、竜二が食べ進めていた反対側から、生クリームが垂れた。
竜二はとっさにそれを手で受けとめたため、着物を汚さずにはすんだが、彼の手に生クリームが落ちる。

「……」

しばらく自分の手に落ちた生クリームを見ていた竜二は、舌を出してそれを舐めた。
手のひらの生クリームを舐めた後、指を一本づつ口に含んで竜二は舐める。

「…行儀が悪いですよ。今、おしぼりをお持ちしますから、やめて下さい」

思わず指を舐める竜二を凝視してしまっていた雅次は、指で眼鏡を直し、努めて冷静な声で竜二を注意する。

「もういい」

指を舐め終わった竜二は、何事も無かったかのように、また食べ掛けのシュークリームを食べだす。

次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ