TexT;ぬらり(不倫依存症)

□衝動・前
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「もうがまんできない、竜二」
魔魅流がそう言ったのは、薄暗い宵のことだった。
まだ明るいようで本当は暗くなってきた、だって魔魅流の表情が見えないから。
竜二はそんなことをぼんやりと考え、どうして切羽詰まった声なんだろうと思った。

「がまんできない」
繰り返した魔魅流は、竜二をひたと見据える。
「選んで、竜二。…オレと別れるか、秀元と別れるか」
見えない表情は、歪んでいたのだろうか。
それとも、あれは、泣き声か。


「…で、どうしたんだ、お前は」
雅次の声は、明らかに面白がっていた。
呑みに行きたい、と竜二が雅次を呼び出したのは、たぶん初めてだ。
ホテルの最上階のバー、大きくとられた窓の向こうには一面の夜景が広がっている。

「別れた」
「誰と?」
「魔魅流と」
ふうん、とわざとらしく感嘆してみせる程度には、先が読めていたのだろう。
「まあ、そんなもんだろうな。けど竜二、よく無事に帰って来れたな」

「何でだ」
「そんなことを言うくらいだ、相手は思い詰めていたんじゃないか?」
「刺されそうになった」
ほう、という声は意外そうだった。
「刃傷沙汰か。どうやって逃げた?」
「包丁を持ち出したから、オレが死んでもいいのかと言ってやった」

「それで?」
「ボロボロ泣きだして、莫迦みたいに謝るから、そのまま置いてきた」
「愁嘆場だな」
「まあな」
大した感情も見せずに淡々と話す竜二を、雅次は興味深く眺めた。

「…なんだ、じろじろ見て」
「いや。やけに冷静だと思ってね」
「過ぎたことだ」
言ってあおる酒のピッチは、常よりわずかに早い。
「私を呼んだ理由は、それか?」
「そんなもんだ。…言える相手も、他になくてな」
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