小さな扉
□神歌の楔
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ひんやりとした早朝、閑静な田舎町の外に出ている者はいない。葉は落ちて、木枯らしが吹く寒空の下に儚い旋律が響く。
悲しげで高く澄んだ声音は落ち着いた雰囲気で心地よい。遥か地平線の彼方からこちらに向かってくる旅人のものだろう。彼らを迎えたのは村人ではなく、天だった。
天使の羽根のように柔らかな雪は朝日を浴びて銀色に輝いた。それがきめ細かな白い肌をやんわりと撫でる。
フードから覗く青い瞳は冬空そのもので、どんな宝石にも引けをとらない。肌にかかる真直ぐな黒髪は青みがかっている。見たところまだ十五歳に満たない小娘だが、歌っている姿は凛と咲く白百合のようだった。
その少女の隣りを行く旅人は彼女より年上の少年。荷物を背負い、歌声に心を奪われつつ黙々と村に向かって歩いている。
やがて歌が終って辺りが銀一色に変わるころ、一言も話さなかった少年の口が開いた。
「お見事です。」
藍色の瞳が優しく笑いかける、少女は少し頬を朱色に染めて積もる雪に目を逸した。赤くなった手のひらに雪が落ち、じんわりと溶けてなくなってしまう。
彼女は瞳を閉じてその温度を全身で感じ、再びまぶたを開いた。
「ねぇフレイ、貴方は他の季節を知ってるのよね?この町に次に来る春というのはどんな季節なの?」
少女は少々必死になって従者に食いついた。不安で押し潰されそうな表情、紅潮している頬から全てを察することができるほど彼女は分かりやすかった。しかし少年は鈍感にも彼女の期待を裏切る。
「花が薫る美しい季節です。桜という花が雪のように散るのは絶景ですよ。」
少年は冬しか知らない少女を案じて包隠さず知識を話す。温かい光、色とりどりの花を彼はここ十年以上見てはいない。春に限らず暑い夏も、紅葉が美しい秋も彼には訪れていなかった。
過去の回想を繰り広げている少年の目には女の顔が写らなかった。暗雲が立ち込め始める冬の朝の出来事だ。
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