連載

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「行くぞ」

未だ授業の始まらない、ざわついた教室の中でぼそりと、俺にしか聞こえない、重く低い声が響く。
驚いて顔を上げてしまい、その勢いで目にいっぱいに溜まっていた涙がまたつつ…と頬を伝った。

目が合ったそいつは、声の重さとは裏腹に、困ったように薄く微笑んで俺を見下ろしている。

「…………ゆう…じ?」

どこに?とか、どうして?とか、様々な疑問が頭をよぎるけど、真剣な表情の雄二に見つめられると、水を失った魚みたいに口をぱくぱくさせる事しかできない。

「たく…馬鹿野郎」

眉間に僅かに皺を寄せてため息交じりに呟く。それは誰に向けて言ったのだろう、俺を見ているようで、雄二の視点は僅かにブレている。

「…………あ、の」

――ガラガラッ

「はい、席について下さーい、授業を始めますよー」

ようやく口を利けたと思ったのに、能天気な長谷川先生の声で更に遮られてしまう。
皆が「だりー」やら「ねみー」やら文句を言いながらも渋々席に着く中、雄二と俺だけが空間から断ち切られたように立ち上がったまま微動だにしない。

未だ雄二から視線を逸らす事の出来ない俺に雄二が一瞬僅かに笑いかけ、視線を俺から長谷川先生に向けた。

「先生、コイツ熱あるみたいなんで、保健室連れて行きます!」

「えっ?あ、ちょっ、坂本君!?」

「…………な、雄二…っ!?」

先生が驚いて言葉を発した時にはもう、俺は雄二の手に引かれて教室のドアをくぐり抜けて静まり返った廊下を走っていた。

既に遠く離れたFクラスの方から、長谷川先生が俺達を呼ぶ声が聞こえるが、こうなったら雄二は止まらない。鉄人より遥かに温和な性格の長谷川先生はいともあっさりと諦めたみたいで、追いかけて来る様子も無い。

「…………雄二、何で…」

「あー…たまにゃサボりも良いだろ?」

そう言って、目に涙を溜めたままの俺を振り返り、ニッと笑った。

先程の昼休みの時とは違い、今はシン…と静まり返っている廊下を雄二が大股でズンズン進んで行く。
俺は腕を引かれ、雄二よりは随分リーチの短い脚をバタつかせながら、半ば引きずられるように雄二の後を行く。

「…………保健室、こっちじゃ、ない」

「あ?お前体調わりーのか?」

え、何?ついさっき保健室に行くって言ったのは雄二だろ。
何を考えてるのかさっぱりわからない。この行動も、さっきの台詞も。
聞いたところで笑顔でかわされてしまいそうだと、諦めて口をつぐんだ。

無言のまま廊下を曲がり、階段を上り、この時間は人の気配が全く無い文月学園の屋上へと転がり出る。
熱くなった目頭がふいに吹き付けた外の風に吹かれ、少しだけ火照りが収まった気がした。

「…………雄二…なんで」

屋上のドアを丁寧に閉める雄二の背中に声をかけると、廊下でのへらへらした雄二とはまるで別の、張り詰めた空気が漂う。

「お前、泣きながら授業受けるつもりだったのか?」

「…………それは…!」

見られていた。

明久と俺のやりとり…こいつはどこから見ていたのだろうか。

いや、違う。俺が気付かなかっただけだ。あの時、雄二はきちんと自分の席に腰を下ろしていたはずだ。

そう、俺はバカみたいに視界を明久でいっぱいにしていて、他など全く見えていなかったわけだ。

まるで小学生の恋愛だな、とバカにされても仕方ないこの事実。
所詮小学生レベルの一方通行恋愛なのだ。気持ちを伝える事もできず、気持ちが薄らいでゆくのを待つ日々。
多くの人間がそうやって初恋を実らせられないものだ。

そして見事、このザマである。
失恋する事もできず、成就など望むまでもない。


「終わらせちまえよ」


屋上に大きく風が吹いた。

雄二の放った台詞は、奴らしい威厳も無く、その口からぽろりと漏れ出たような物だったが、俺の耳には何故かはっきりと聞こえた。
聞こえた、が、直ぐに理解する事ができない。

「…………何、言って…?」

「明久に伝えて、そんで…終わりにしちまえ」


――ドクン

心音が一瞬で、走り出したように動き出す。

俺がずっと、心の奥に隠して、壊れないように大事に温めてきた気持ちを?

このままで良い。そうやって諦めていたはずなのに、それが自分の心に言い聞かせていただけのまやかしだった事に、さっき、気付かされてしまった。

もう今のままじゃいられない。
わかってるけど、でも でも。

「泣くな」

乾いたはずの脆くなった涙腺から、あれよあれよという間に涙が溢れる。
相手が秀吉や明久であれば、こんな情けない姿は絶対に見せやしないのだけれど…

目の前のクラスメイトには、幸か不幸か俺の1番みっともない姿を何度も何度も見せていたから。
   
   
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