カラ松恋愛事変

□路地裏の猫
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はぁ、疲れた…。
最近途端に忙しくなった私生活に、肩の凝りを感じて痛む。
最近眠れていないからか、目もしょぼしょぼとしてくる。

はぁ、今日は早く寝てしまおうか。
でも、論文提出の締め切りも近づいているし、まだ眠れない日々が続くだろうな。

先のことを考えると、ため息が溢れて仕方なかった。

とぼとぼと歩いていると、何故か周りがざわついた気がした。
そんな違和感に気づいた時雨は、辺りを見回し、後ろを振り向いた。
するとそこにいたのは見知った顔で、その顔は獲物でも狙うかのように鋭い眼差しをしながらこちらに全力疾走していた。
その顔をみた時雨は戦慄が走り、反射的に駆け出していた。










はぁはぁ呼気荒く二人は立ち止まった。

「なんで逃げるんだよてめぇ…」
「追いかけられたら誰でも逃げるでしょ!」

しかも猛禽類のようなあの目。
逃げるなと言われても逃げ出してしまいたくなる。
先ほどまで追いかけられていたことを思い出すと、時雨はぶるりと体を震わせた。

あー…、めちゃくちゃ怖かった。
呼吸を落ち着けながら辺りを見回すと、いつの間にか人気のない、路地裏についてしまっていた。
この光景を、自分はどこかで見たことがあるように思える。
ちらりと一松くんの方を見ると、彼も呼吸が落ち着いたのか、膝についていた手を元に戻していつもの猫背の格好になっている。

そして、一松くんは私の方を見ている。

「なに?」
「いや、えーと。」

なに?と聞かれてしまうと、困ってしまう。
こちらのほうが、なんであんな必死に追いかけてきたの?と問いかけたくなったからだ。

えーと…と次の言葉を彷徨わせていると、一松くんの右手に袋がぶら下がっているのが見えた。
その中には猫のパッケージが見える。

「ね、猫に餌あげにきたの?」
「そう。」
「そっか」

会話が終了してしまった。
なんでだ、どういうことだろう。
一松くんが何を求めているのか全く分からない。

「一松くんがあんなに足が速いとは思わなかったよ」
「僕も知らなかった」
「え?!知らなかったの?!」

自分で聞いて自分で驚いてしまった。
彼は普段、どれだけ運動することがないのだろう。
今はパーカーとジャージに隠れているが、脱いだら結構、むっちり体型なのかもしれない。
そんなことを思うと、少し面白くなってきてしまった。
こんなこと絶対に目の前の彼には言えないのだが。

「今変なこと考えただろう?」
「そんなことありません」

変に勘のいい彼の発言にどきりと変に心臓がなる。

え、いま私言葉に出して思ったこと言ったりしてなかったよね?
そんなことを不思議に思っていると、一松くんが無言で歩き出してしまった。

え、これは置いてけぼりというやつなのか、それとも付いて来いという意味なのか分からなくて、呆然と立ってしまう。

でも、この前はそれで付いて行ったら、壁に足ドンされて激怒されたんだよな…
そんな、少し前のことを考えてうーん…と唸っていると、一松くんが振り向いて、視線が合う。

「何突っ立ってんの?」
「へ?」
「間抜け面、さっさと来なよ」

そう一松くんは言うと、また歩き出した。
そんな後ろ姿を見つめながら、一松くんも変わったよなぁと思う。
少し前の彼なら、私に話しかけることなんてなかったのに。
そう思うと、少し嬉しくなって、やっぱり少しは仲良くなったんじゃないのかなぁと思ってしまう。
でもそれと同時に、ついこの前聞いたカラ松くんの発言も思い出す。

一松くんは、飽きた…。と発言をしたらしい。
実際毎週のようにカラ松くんと一緒に来ていた一松くんの姿はこの前は現れなかったし、だから、すっかり私のことを愛想尽きたのかと思っていた。
だけど、今日は突然追いかけられたし、付いてきていいと言われるし、一松くんはやっぱり、分からないことだらけの謎人間だなぁ。
そんなことを思いながら、いつもの路地裏で猫に餌を与え始めた一松の隣に座り込んだ。

隣に座っていいかな?また怒られるかな?と思ったが、その時はその時だと時雨は腹を括っていた。

相変わらず猫たちは一松にとてもよく懐いている。
その鳴き声も高くて、甘ったるい。大好き大好きーと愛の告白をしているようだった。

「もてもてだね、一松くん」
「まぁね。」

ちらりと横顔を伺うと、一松くんの顔が程よく綻んでいて、私もなんだか笑顔になる。

「ほら」
「へ?」

ほら、と渡されたのは開いてある猫缶で、何のことかわからず首を傾げていると、「あげてみなよ」と促される。
その猫缶を見つめる猫たちの視線を感じながら目の前に置くと、そこに猫たちが集まってくる。自分のすぐ近くに。

「うわぁ…どうしようたまらなく可愛い。」
「だろ?」

目の前には可愛らしい猫たち
隣にはいつも以上に優しい声音の一松くん
そんな状況に時雨は胸をほくほくとさせていた。

「ねぇ、一松くん。最近何かいいことあった?」
「…なんで?」
「なんとなく。」

今日はなんだか私に優しい感じたから。
そんなことを言えばまた罵詈雑言が飛び、罵れや!と脅されそうで言えなかったが、明らかに今日の一松は機嫌が良さそうに感じた。

「別に…」
「そう?」

一松の返事を聞きながら、猫たちの方を凝視する。
みんなで分け合って食べている姿がなんだか微笑ましい。
私も猫缶買ってくればよかった。
そもそも、一松くんが追いかけてくるから準備も何も出来なかったんだ。

「ねぇ、一松くん、なんで突然追いかけてきたの?」

さらりと先ほど感じていた疑問を尋ねてから、あ、聞いてしまった…と少し血の気が引く。
一松くんの地雷がどこだかわからないから、言葉選びは慎重にしなければいけないと分かっていたのに、
ついこの場の雰囲気がふんわりと温かいから、つい口を滑らせてしまった。

ひやひやしながら一松に視線を向けると、思いの外、一松くんはいつもの、少し怠そうな表情をしていた。

「あんたが、」
「わたしが?」
「僕に会えなくて寂しがってたらしいから」

そうぼそりといった一松くんの言葉に心臓がどきりと震える。
そのことは、たぶんカラ松くんから聞いたのだろう。
私が一松くんの「飽きた…」発言にとても落ち込んでしまったから。
だとしても、それを聞いた一松くんが、それを気にして私を追いかけたり、話しかけたりしてくれたのかと思うと、どうしようもなく胸がきゅう…と締め付けられて、嬉しくなった。

「仕方ないから追いかけた。」
「そうなんだ。」
「ねぇ、それ本当?」

そう聞かれたとき、一松くんとの視線がばちりと合う。
相変わらず何を考えているか分からない表情だ。
何を考えて、私にそれを聞くのかはわからないけど、

「うん、寂しかったよ。」

私は、ただ正直な気持ちを伝える。

「カラ松くんもね、寂しがってたと思うよ。」

そう言った瞬間、突然一松くんの表情が曇った。

「気持ち悪いこと言ってんなブス」
「ぶ、ブス?!?!」

突然の暴言に思わず立ち上がる。
するとそれを見上げた一松くんがにやりと笑った。

「なに?自分のこと可愛いとでも思ってたわけ?」
「別に、そんなこと思ってないけど…」
「トト子ちゃんの方が百万倍可愛いよ。」
「トト子ちゃんって誰?!?!」

突然貶されたことに、時雨は顔を背けて、また一松の隣に座る。
そんな時雨を見て、一松は「きひひ…」と怪しく笑う。
それがまた悔しくて猫に慰めてもらおうと一匹の猫を抱き上げて膝に置こうとすると、ピョンっと飛び跳ねて一松の方に行ってしまった。

「猫にも嫌われてるじゃん、ださ」
「う、うるさいな!!」

猫にも見放されて、とても虚しい気持ちになって、さめざめと泣き真似をする。
ああ、さっきまでなんだかとても心がポカポカしていたのに、なんで今はこんなにも悲しい気持ちでいっぱいなのだろう…
うう…と嘆いていると、一松に「うざい」と一言言われて泣き真似をすぐに止める。

すると突然お腹がぐぅ…と路地裏に響いた。


「……。」

一松くんからの無言の圧力を隣から感じて、さらに恥ずかしさに拍車がかかって顔に熱が集まる。
私の顔は、絶対首元まで真っ赤に違いない。
鳴ったのは、私のお腹だった。

「……。お腹減らない?」
「少しね。」
「…なんか食べに行く?」
「金ない」
「奢るよ。」
「あざーす。」

私が立ち上がると、一松くんも抱えていた猫を地面に放して立ち上がる。

「なに食べたい?」
「あんたは?」
「わたしはね…」

んー…と考えていると、ぱっと頭に浮かんだのは今川焼きだった。
それは、たぶんここ、路地裏にいるからだと思う。

「い、一松くんは?」

質問に質問を返してしまって本当に申し訳ないのだが、一松くんにまた伺うと、彼はぼそりと「今川焼き…」と答えた。

「今川焼きか…」
「なに?なんか文句あんの?」
「ううん、私もね。今川焼きたべたいなーって思ってたの」
「…あっそ。」

あっそ、という言葉だけ聞くと冷たく感じるかもしれないが、その声音と、表情がやっぱり優しさを帯びていて、やっぱり一松くん変わったな…と思う。



「もうあんなことしないから」

そうぼそりと一松が呟いたのだが、その声が小さすぎて時雨には聞こえない。

「え?なんか言った?」
「……あれ美味しかった、チョコクリーム今川焼き。」

そう一松に言われて、思わず時雨は吹き出してしまう。

「あれ、気に入ったの?美味しそうだったもんね」
「笑うなブス女」
「はいはい、もう笑いません」

そうは言ったものの、やはりクスクスと笑っている時雨を一松は一瞥する。
でも、その表情も悪くないな、と心の中で思い、閉口した。

「一松くんさ、なんか猫っぽいよね、言われない?」
「は?」
「いや、なんか、気まぐれなところとか。なんだかんだ愛され気質だよね」
「馬鹿にしてんの?」
「してないしてない!!」

ギロリと人一人殺していそうな眼差しを向けられて時雨はぶるぶると何度も首を横に振った。


「今川焼きたべにいこっか」



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