捧げもの

□優しい時間
1ページ/4ページ

「えーっと、あの服はどこにしまったかしら…」
朝早く良江がたんすの引き出しを開けて探していると、上から底が抜けるような叫び声が響いた。
「やっべええ!遅刻だぁ〜!!」
「あら!豪のこと忘れてた」
続いて階段をどたばたと駆け下りる音がしたかと思うと、音の主が飛び込んできた。
「母ちゃん、何で起こしてくれなかったんだよ!?」
「うっかり忘れてたんだよ。母ちゃん今朝はそれどころじゃないんだから」
豪には目もくれず、良江は探しものを続けた。
「朝ご飯はテーブルに置いてあるから。ないわねぇ…」
「母ちゃん、何探してんの?」
「服よ服!」
「ふく〜?」
「そう。昨日言ったでしょ。今日は出かけなきゃいけないって。あら、烈は?」
「烈兄貴?もう起きてんじゃねえの?」
言われて気づいた。いつも聞こえてくる小言が聞こえないことに。
「あの子が寝坊するなんて珍しいわねぇ。豪、ちょっと起こしてきてちょうだい」
「え〜!母ちゃんが行けばいいだろ」
「母ちゃん手が放せないんだから、しょうがないでしょ!」
そう言うと、良江は再び服探しに戻った。
「ちぇっ。オレだって遅刻しそうなのに」
豪は渋々兄の部屋へと向かった。烈は寝坊こそしないが、寝起きは良い方ではない。まあ自分も人のことを言える立場ではないが。豪が部屋に入るとベッドの端から赤い髪の毛が少しのぞいていた。
「烈兄貴!朝だぜ〜」
豪は烈の毛布をめくろうとしたが、すぐに引き戻された。
「おい、兄貴」
豪が文句を言うと、布団の中から返事が返ってきた。
 「寒いんだよ」
寒い?今朝そんなに寒かったっけ。豪が不思議に思っていると、毛布がゆっくりと動いた。
「今起きるからちょっと待って…くしゅん!」
思わず体をぶるっと震わせる。気のせいじゃない。寒気がする。なんとか起き上がろうとしたが、体に力が入らず再び布団に倒れてしまった。
「おい、何やってんだよ兄貴」
早くしないと遅刻するぜ。しびれを切らして毛布を取ると、寒さをこらえるように両腕を折り曲げている烈が目にはいった。体がぶるぶる震え、顔が心なしか赤い。
さすがの豪も烈の異変に気づいた。
「まさか…」
嫌な予感がして、豪は烈のおでこに手を当てた。少し熱い。
「烈兄貴!熱があるじゃねえか!!」
言われて烈も自分のおでこに手を当てた。確かにそんな気がしないでもない。
「すぐ母ちゃんに知らせねえと!!」
「だめっ!」
烈が叫んだ。豪は驚いて烈を見た。
「お母さんには、言うな…」
「はあ?何言ってんだよ兄貴」
「お母さんは今日出かけなくちゃいけないんだ。それなのに…」
もし言ったりしたら、あの心配性の母のことだ。行くのを止めて看病すると言い張るだろう。烈としてはそれはなんとしても避けたかった。しかし豪には理解できなかった。
「兄貴…、わけわかんねえよ!なんでそんなこと言うんだよ!!」
「豪、言うな…」
「なんでだよっ。なんでしんどいのに我慢しようとすんだよ!オレ、母ちゃん呼んでくるからな!!」
「おい、豪!」
言うが早いか豪は部屋を飛び出し、下へと下りていった。烈は止めようとしたが、立ち上がったとたん体全体がふらついてしまった。その間に下から「母ちゃん、烈兄貴熱がある!」という豪の声が聞こえてきた。ほどなくして良江が豪と一緒に部屋へと入ってきた。
「烈!熱があるって本当かい?」
烈は豪をにらんだ。豪は良江の後ろに隠れた。
「こら!豪は心配して知らせてくれたんだよ。どうしてにらみつけたりするのっ!!」
そう叱りつけると、良江は懐から体温計を取り出した。体温計が鳴るや否や、ぱっとすぐに取り上げられた。
「37.5分…。やっぱりちょっと熱があるね。氷枕つくってくるから。後で一緒に病院いこうね」
母さん、今日は家にいるから。そう言ったとたん、烈はがばっと起き上がった。
「だめだよ!僕は大丈夫だから出かけて!!」
「何言ってるの!熱があるのにひとりにしておけるわけないでしょ!すぐに戻ってくるから、おとなしくしてるんだよ」
ぴしゃりとそう言うと、良江は部屋を出ていった。自分のことを怒っているであろう兄と一緒にいたくなくて、豪も良江の後についていった。
「母ちゃん。烈兄貴、大丈夫かな…」
心配そうに聞く豪に、良江は優しく微笑んだ。
「母ちゃんがついてるから大丈夫。それより早くしないと、学校遅れるわよ」
「けど烈兄貴、オレが母ちゃん呼びにいこうとしたら、「言うな」って言ったんだぜ」
それを聞いて、良江の手が止まった。
「やっぱりそうだったんだね」
「やっぱり?」
「そうじゃないかと思ったんだよ。それで豪、何て言ったの?」
「しんどいのに我慢すんなって」
「そっか。そうね。その通りだよ」
良江はそうつぶやくと、かがんで豪を抱きしめた。
「豪、教えてくれてありがとう。そうじゃなかったら気がつかなかったわ。あの子、自分じゃ絶対言わないから」
「母…ちゃん?」
いつもの母ちゃんと違う。豪はそう思った。優しいんだけど、どこか諭すような口調。
「さあ!学校行っといで」
突然いつもの調子に戻った良江に、豪は驚きつつも少し安心した。
「うんっ!オレ、行ってくる!!」
豪も元気よく頷いて、学校へと出かけていった。
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ