++ 暇潰し ++
根城から少し離れた小径にひとつの影。
背丈はすらりと高く、整った顔立ちは絵になりそうな完璧なパーツ。 銀色の髪が風になびき、深い金色を帯びた瞳が際立っていた。
彼は冷たい風に誘われ歩を進める。
木に覆われた道を歩くと落ち葉のざわめく音がやけに耳に残った。
見上げれば魔界には珍しい晴れた夜空。 白い月が寂しそうに、薄くひっそりと存在を示している。
大きな木の根を見つけ腰掛けると、蔵馬はしばらく空を見上げながら静かに息を吐いた。
頭を過るのは、間も無く現れるだろう少女の姿。 頭が良い訳でも、とりわけ強い訳でもない。 この魔界では、寧ろいつ死んでもおかしくないような弱々しい存在。
けれど、何故かその顔がチラつくのだ。
「ここに居たんだ」
早くも現れた薄い黄色の衣を纏った娘。 予想を裏切らず、白狐の姿がそこにはあった。
「……何だ?」
つまらなそうに返すが、そんなことは気にした様子もなく近づいてくると「驚いた?」といたずらに笑う。 来ることを予想していた蔵馬が驚く訳もなく、つまらなそうに一言「くだらん」と口にすれば、何故か更に笑われた。
面白くない。
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2人は決して重なるはずのない者同士だった。 人間界と魔界で育ち、価値観も生き方も違う存在。
唯一の接点といえば、互いに狐の妖怪であるというところだろうか。 こうして話をしていることが不思議なほど二人は違うイキモノだと認識していた。
いつだったか……蔵馬は彼女の前で言ったことがあった。
――――『たまに血を見ていないと、生きている気がしない』と。
返り血も浴びない蔵馬の装束は変わらず白く、血に染まった足元を見ても自分が殺したという現実感はわかなかった。
わずかについた指先の切り傷から滲んだ血を舌で軽く舐めとる。
罪悪感など無いが彼女がどの様な表情をしているのかは少しだけ興味をそそられた。
泣くか、叫ぶか、それとも逃げるか、
わざと刺し殺せるのではないかという鋭い眼差しを彼女に向ける。
しかし、彼女の反応はそのどれでもなかった。
少しだけ驚いたようで、少しだけ恐怖を感じたようで
……そして、頬に一筋…涙が流れた。
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それからだ。 あの顔が、頭を過るようになったのは。
「こんなところまでわざわざ来るとはな……、何か用か?」
冷たく聞こえたろう響き。
しかし、白狐はひるまなかった。 本当は優しい部分がある事も知っているから…彼女は薄い笑顔で答える。
「ううん。別に用事は無いの……ただ、姿が見えたから来てみただけ」
「物好きだな。 …危険だとは思わなかったのか?」
白狐を見やると、唇だけで笑って続けた。 急激に酷く残虐な思いが胸の中で渦巻いていく。
白い真新しい雪を踏み躙る間際のような、不思議と身体がぞくぞくと疼く感覚。 こんな高揚感に駆られたのは久々だ。
「気まぐれに、俺の手がお前を切り裂くかもしれんぞ…」
白くふわふわとした娘の笑顔を歪ませたい衝動が大きく膨らんでゆく。
「く…らま……?」
あまりにも冷く光る瞳に、白狐はゾクリとした。 今までの蔵馬とは明らかに違っていた。
残忍な瞳………面白がっている。
獲物を見つけた獣の瞳。
こんな蔵馬は見たことが無い。
狼の群れに放たれた羊のようで、逃げなければと頭の中で危険信号がなる。 それなのに、冷たい瞳はどこまでも鋭利で白狐を繋ぎ留めた。
ニヤリと蔵馬が笑った瞬間、 白狐は視線をはずす。
――見テハ、イケナイ――
「…白狐? どうかしたか?」
蔵馬が近づいて来るのに対し、白狐は本能に従い後ろに下がった。
「白狐」
楽しそうに名を呼ばれるたび、危険だと身体中が告げている。
「聞いているのか、白狐…」
何度呼ばれても顔をそらしたまま下がる白狐。
蔵馬はそんな彼女に「やれやれ」と息を吐くと、歩幅を広げて手を伸ばす。
ぎょっとした白狐が後ろに飛ぼうとするも後ろは岩山で、背中に岩が当たった。 これ以上、もう後ろには下がれない。
それでも止まらぬ迫り来る蔵馬から逃れんと右に走り出そうとした。 が、しかし一歩早く蔵馬の手に阻まれる。
右がダメなら左とばかりに方向を転換するが、やはり遅い。 左を向いた瞬間、蔵馬に当たり、崩れて積もった石山に腰を下ろしてしまった。
顔を上げれば上から見下ろす蔵馬の光る目と合う。 白狐の頭の両脇には、挟むように蔵馬の腕があった。
閉じ込められた白狐の上から声が降る。
「……どこに行くつもりだ?」
その声は静かで、けれど息苦しいほどの威圧感があった。
「く…らま」
恐怖に身体を竦ませる白狐は、逃げられない事が分かると恐怖の為かぎゅっと固く目を閉じた。
そんなに怯えるくらいなら、始めから来なければ良いものを。
まだ子供の幼さを残す姿と声も上げずに恐怖と戦う強情な態度。
笑いがこみ上げた。
嗜虐心のまま追い詰めた子狐に思いの外楽しませてもらったことを知る。
褒美とばかりに怯える白狐の顔を覗き込み、吸い込まれるように触れるだけの口づけを与えてやったのは、ほんの気まぐれ。
驚きで白狐が目を開くと、蔵馬の後姿が見えた。
「………………な…」
少しの間、言葉も出ずに座り続けた白狐は、突如言葉にならぬ悲鳴を上げた。
蔵馬は振り返らずに背後でそれを聞くと、クッと僅かに笑いをもらした。
良い気晴らしの道具を見つけた。 遊び甲斐のあるペット。
あいつがいれば、暫くは退屈から解放されそうだ。
―fin―
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