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□プールサイドに、さんにんぼっち
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白石蔵ノ介は練習のあとに必ず暗闇の中のプールに行くのが日課であった。勿論謙也や財前が家路についたあとである。ひやりとした冷気に包まれた校舎はいつも物悲しい。その中でもプールは、いつだって夏の幻想に置いていかれてしまったかのように静かで、ひんやりとしている、と水の張られていない水槽の中央に寝転がった白石は感じるのだ。大阪の秋の夜空に星は無い。月の光だけがゆっくりゆっくりプールと白石を照らしていた。だから、静かで自分とプールしかこの世界に存在しないような錯覚を覚えていたから、白石は隣に一人の影があったことに、影が声を上げるまで気付かなかったのだ。

「毎晩静けさに身を沈めて、白石くんは何を想うの?」

ころころと笑う少女がいつの間にか白石の隣で体育座りをしていた。あどけない顔をしているが、恐らく同い年かそこらであろう。驚いた白石はその身を慌てて地面と垂直に戻した。制服に黒い髪の少女がそこにいた。

「…びっくりしてもうたわ。初めて会った人にいけずするなや、自分」

白石の言葉に少女はまた笑う。笑いながら、会ったのは今日が初めてじゃないよ、白石くん。と言った。君が毎日ここに居たの、私はずっと知ってるよ。プールと君とずっと二人で寂しかったの、知ってたよ。と続けた。

ふと白石はこの少女とならこの静かな時間を分かち合ってもいいかもしれない、と感じた。俺と、プールと、彼女。歪な三人組だが三人で星を見たいと思った。今日は見えなくても冬の寒い日ならきっと見れる。白石は名前も知らない少女にそう話した。少女はその白石の言葉に何も返さず、だけどひどく緩慢な動作で自身の小指と白石の小指を絡めた。何故かプールがふわりと暖かく感じた。じゃあ、毎日ここに来て。少女はそう言って指を離す。白石が笑いながら頷いたのを確認して、少女はプールサイドの端に消えた。

だけど彼女は来なかった。次の日も、その次も、次も次も次も―。いつだってやっぱり白石とプールはふたりぼっちだった。秋は早足で過ぎ、冬になり、でも少女は現れなかった。やがて年が明けて、白石はプールに足を踏み入れた。ここに来るのは今日が最後だった。老朽化したプールの改築が明日から新年度までに行われるらしい。とびきり寒くて、寂しい夜だった。

プールの中央に寝転がって、白石は空を見つめた。こぼれ落ちてきそうな程の星が見えた。最後までこの空を彼女と見ることは出来なかった。そして白石はあの日に出会った少女にはもう会えないだろうことを多分わかっていたのだ。理由なんてありはしないが、それとなく感じてはいた。だから今日会えない事だって最初から期待などしていないのだ。三人で星を見ることは決してない。三人はおろか、白石はつまりずっと、最初から最後までひとりぼっちだった。

なのに、なんで俺はプールサイドに彼女の姿を探してんねやろ。なんであの日の約束、まだ律儀に守ってんねん。そう呟いた声はゆっくり寒空に白い息になって溶けた。毎晩静けさに沈んで、何を想うの?決まっとるやろ、君を想っとったんや。君に出会う前から、ずっとずっと、それこそ産まれた時から、きっとずっと。そう続けた声に返事はやっぱり無くて、それが悲しくて白石は水槽から這い上がった。冷たい風が吹いて、月がプールを照らしていて、白石はプールの縁に立ってゆっくり後ろを振り返った。

中央にぼんやりと、彼女が立っていた。黒い髪があの日みたいにさらさら揺れて、彼女はまた笑っていた。笑いながら、星を見ていた。

約束、守ってくれてありがとう。

彼女の声が風と一緒に白石に届いた。瞬き一つした白石の眼に、もう彼女は居なかった。そこにはいつもと同じ、月の光に照らされたプールだけが映っていた。だけどきっと月には、白石とプールと彼女の三人が映っているだろうと、白石は寒空の中、想うのだった。



プールサイドに、さんにんぼっち

2011/09/24


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