tennis

□うさちゃん
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日吉誕





テニスコートのフェンスの向こう側に、一羽のうさぎが居ることを俺は知っていた。無論本物のうさぎではないし、耳が生えているわけでもない只の幼なじみな訳だが、一つ年上の彼女は身長が低いからいつもフェンス際をぴょこぴょこ跳ねながら俺を待っている。その姿を初めて見た芥川先輩が、彼女を「うさぎみたいだC」とか言ったから、彼女は氷帝テニス部員の間で専らうさぎやらうさちゃんやらと呼ばれていた。かくいう俺も、以前からかってうさぎさんと呼んだら面白い反応が返ってきたから、以降なんとなくうさぎさんと呼び続けているのだが。今日だって何時ものごとくフェンス際をぴょこんぴょこんと跳ねながら俺と忍足先輩との試合を覗き込んでいる。別にただ家が隣なだけだし約束している訳でもないのだから先に帰ってくれて構わないのに、いつだってどんなに遅くなったって彼女は頑なに俺と帰るのをやめようとはしない。

「なんや日吉、今日もうさちゃん待たせとるんか」

「別に待たせてなんかいませんよ、勝手にあの人が待っているだけです」

「ふうん…」

忍足先輩は彼女に向かってにこやかに手を振る。忍足先輩曰く、うさちゃんはあどけない感じが可愛ええ、そうだ。彼女とアンタ、同い年ですよ。と言ったらせやなあ、なんて曖昧な返事が返ってきたのはそう古い記憶ではない。同い年の女子に対して普通うさちゃんなんて呼ぶか。彼女も気色悪いと感じないのか。まあ、感じないからああやって満面の笑顔で腕をブンブンと振り返しているのだろうが。ひとしきり彼女に愛想を振りまいた忍足先輩はラケットを肩に乗せながら俺を見やる。

「日吉、うさぎって寂しいと死んでまうんやて」

「迷信です」

「どうやろなあ?」

生かすも殺すもキス次第やでえ、とふざけた口調で忍足先輩が言うのと同時にホイッスルの音が遠くでした。部活終了の合図に、思わず出掛かった舌打ちを喉の奥に押しやる。なにがキス次第だ、この色魔が。




「若、さっき忍足くんと何話してたの?」

帰り道、彼女が白い息を混ぜながら零した言葉にまた舌打ちしたくなった。嫌な言葉が思い出されて腹立たしい。

「…うさぎさんのことですよ」

うっそりと答えたら、試合の邪魔しちゃった?ごめんね、なんてとんちんかんな言葉しか返ってこなかった。鈍いうさぎ。鈍すぎて全然気付かない。期待させておいて色恋沙汰に疎すぎるアンタに、俺がどんなに寂しい思いをしているか。うさぎは俺のほうだ、死ぬかもしれない。忍足先輩にまで愛想を振りまきやがって。悔しい。言いたくないが、寂しい。

「…知ってますか」

「なに?」

「うさぎってキスしないと死ぬそうです」

俺の言葉に彼女は至って冷静だった。冷静に、冷たい唇を俺のかさついた唇に押し付けた。冷たくて、それはそれは優しかった。

「寂しいうさぎに、人工呼吸」

彼女がゆっくりと吐き出した言葉が白い息になって空に浮かぶ。うさぎって、どっちがですか。そう言ったら、お互いに。って彼女は笑った。ひとまず俺は、まだ生きていけるらしい。無論、彼女も。



うさちゃん

2011/12/05
HIYOSHI Happybirthday!

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