REBORN!

□美しきメロウ
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クラシカルなフォノグラフの上で回転するレコードがばちりと音を飛ばした。一瞬の雑音のあと、それは再び軽快でどこかノスタルジックな旋律を流し始める。ケセラセラ、なんて素晴らしい言葉なのだろう。私はフライパンで玉ねぎを炒めながら抒情に瞼を閉じる。途端にケセラセラと共に耳を侵食する波の音。…波の音?

「てめえは客人を無視して随分とご機嫌だなあ?」
「ノックも無しにずかずか女の子の部屋に入ってくる男なんて客人じゃないわ。貴方がドアを勢いよく開けるから音が飛んじゃったじゃない。あとドアくらい閉めて」
「外の通りまで音漏れしてんだから今さらドアなんざ閉めようが関係ねえよ」

そういってアルマーニのスーツ野郎こと獄寺隼人は懐から煙草を取り出すのだった。ドアを閉めようと玄関の間口まで行けば、堂々と黒塗りの高級車が路上に駐車されているのが見える。駐禁きられればいいのに、とぼんやり思った。最近、この男の訪問のせいでご近所に妙な噂が流れてしまっているのだ。あすこのお嬢ちゃんは、悪いマフィアに引っ掛かってる、とか。お隣に住んでいるマダム・ダンカンが流したらしいその噂は、まだ彼女がことの真相を知らないがゆえにただの妙な噂で留まっているものの、本当は事実である。というより獄寺の容貌を見て彼がマフィアでない一般の人間だと思うひとは果たしているのだろうか。銀髪に黒いスーツ。巧妙に隠されているから見えないものの、彼の仕立ての上等なスーツの懐には彼愛用のデザートイーグルが潜んでいるし、ギミックの仕込まれたスーツには何があるか分かったものではない。この男の通り名は"ドン・ボンゴレの右腕"であり"スモーキン・ボム"であるのだ、俺に近づくと火傷するぜ、を見事に体現しているのである。いやむしろ火傷どころでなく、俺に近づくと腕が吹っ飛ぶぜ、ぐらいだろうか。とりあえず見た目も中身も凶悪であるということにかわりはない。

ドアを閉めてしまえば、潮の香りも波の音も即座に遮断される。ケセラセラの音だけが流れるリヴィングに戻れば、獄寺はフォノグラフを見つめながら煙草の煙を吐き出していた。

「レコードなんて持ってんのか」
「昼食ならまだ出来てないわよ」
「なるようになる、ねえ」

無視か。獄寺は骨張った人差し指でレコードの表面をなぞる。またばちりと音が飛んで、ケセラセラのフレーズが意味もなく繰り返された。













獄寺隼人に最初に出会ったのは秋の満月の夜のことである。その日、私は仕事を終えて自宅で遅い夕食を作っていた。そしてオリーヴオイルを絡めたパスタにガーリックを加えた時に、ことは起きたのだ。

夜半にしては珍しく家の前の海岸から声が聞こえてきたのだ。勿論会話は聞こえないものの、どうやら若い男と中年の男の二人がなにやら話しをしているようである。酔っ払いだろうか、コンロの火を止めてパスタ皿を片手に窓を開けると、海岸沿いに黒い影が二つ浮かんでいた。しかし何かおかしいのだ、確かに影は二つ、しかし二つのうち一つが明らかに人の形ではないように見える。あの日、私はここで気付けばよかったのだ。ここはシチリア、マフィアの街であることに。

暗闇に目を細めて見れば、それは大きなドラム缶であった。その前にはスーツの男がドラム缶に話し掛けているようである。待て、何かがおかしい。どうしてドラム缶に話し掛けているのだ。あの、人間が一人入りそうな大きさのドラム缶から、なぜ人の声がする。男はドラム缶を蹴り倒すと、それは重そうな音を立てて倒れる。ドシャッと倒れたドラム缶に私は瞠目した。

く、くび!人の首が飛び出ている!

それは、コンクリ詰めのドラム缶だったのだ。私の脳みそのキャパを越えた光景である。中年が、ここまで聞こえるほどの金切り声で「待ってくれ!」と叫ぶもスーツの男は無視を決め込んでいるようで、無言のままドラム缶を足で転がし始めた。そしてついにドラム缶は、断末魔をあげながらシチリアの海底へ消えてしまったのだ。

…非常に大変なものを見てしまった。

思わず持っていた皿を落としてしまった私の足元で、パリンと派手な音がする。咄嗟に振り向いた男は、どうやら私が見ていたことに気づいたらしい、一瞬眼を瞠ると猛然と家に向かってきた。慌てて窓を閉め、震える手でドアに施錠をするが、海岸から駆けてきたらしい男はガチャガチャとノブを回し、挙げ句の果てには鍵穴に一発撃ち込んで難なくドアを開けてしまう。バン!と開かれた間口に、スーツで端麗な容姿の男が銃を構えて立っていた。思わずひいい、と情けなく後退る。絶体絶命である。

「ちょっと、さ、さっきの人、殺したの…?」
「…見ちまったようだな」
「く、口止めに殺す?」
「あんた次第さ」

そう言って男は銃の安全装置をガシャリと外した。本気のようである。いよいよ私の目には涙が浮かんできて、口の中はすっかりカラカラになってしまった。思えば二十余年、あっという間であったように思える。まだやりたいことも達成出来ていないのに、私はこんなところで見知らぬ人間に突如殺されるのか。そう思ったら気が動転して、必死に口が動いていた。

「言わないわ、絶対にあの人が誰であれ口を割らないし、何だってする」
「ほう」
「だから、お願いだから殺さないで」

涙ながらの訴えに、男は喉の奥でおかしそうにクツクツと笑った。

「情けねえな、随分と必死じゃねえか」
「当たり前じゃない、まだ死にたくないの」
「…さっき何でもするって言ったよな?」

やはりただでは済まないらしい。お金だろうか、それともこれはもしや貞操の危機なのか。身を硬くした私に男が発したのは意外な一言であった。

「飯食わせてくれ。腹が減った」
「……は」

意味が分からない。飯というのは、飯のことであろうか。完全に固まった私に、また男は笑う。しかし今度は銃をきちんと下げてくれたようだった。

「ボンゴレファミリーって知ってるか?」













獄寺隼人というらしい男にペペロンチーノを提供しながら聞いた話によると、この男はここら一帯のマフィアの総締めであるボンゴレファミリーの一員であるらしい。何でもボンゴレファミリーのボスである十代目ドン・ボンゴレは歴代きっての穏健派であり、またマフィアでありながらその権力をもってしてこの街の人々を守っているそうだ。そのボスの方針で、一般人には絶対に手を出してはいけないらしい。まあしかし話だけならこのドン・ボンゴレは随分ご立派な人物のように聞こえるが、マフィアということにはかわりはない。そのやり口に反抗的だったのが、さきのコンクリ詰めオヤジの率いる中規模グループであり、獄寺の任務はその男をあくまで穏便に暗殺することだったそうだ。

「暗殺に穏便もクソも無いわ!」
「まあ聞けよ。敵地に侵入した際には絶対にバレないように奴を連れ出したんだ、沈めたから死体も見つからねえ。つまりボンゴレが殺したと断言できねえ」
「迂闊に手出し出来ないってこと?」
「物分かりが良い女は嫌いじゃないぜ」

そう言って獄寺は右手に持っていたフォークをくるりと回した。そしてそれをビシリと私に向ける。

「つまり、あんたが話を漏らさなきゃ俺たちは暫らくは安心して活動出来る」
「待ってよ、絶対漏らさないって言ったじゃない」
「言葉じゃ確証を得られねえ。そこでだ、」

俺がお前を監視させてもらう。獄寺が言った言葉は死ぬよりはマシであるものの私を絶望させるには十分な一言であった。マフィアに監視されるなんて!

「冗談じゃないわ!」
「じゃあ十代目にバレないように殺すしかねえな、残念ながら俺は優しくないんだ」
「そんな…」
「監視といっても24時間びっちりくっついている訳じゃねえ。俺が毎日12時きっかりにここへ来る。あんたはその時に昼飯を提供してくれればそれで構わない」

なんでご飯まで出さなきゃいけないのよ!と言っても獄寺は命と引き換えれば安いもんだろ、と返すだけであった。そしてだいぶ気の動転していた私は、それを承諾してしまったのだ。そうしてその日から、マフィアの獄寺と私の奇妙な関係が始まったのである。



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