小説
□借金取りは紳士
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その借金取りが来たのは返済が滞ってから数ヶ月後のことだった。
チャイムが鳴った。
「こんにちは。突然の訪問をお許し下さい」
丁寧な口調で私のアパートを訪れたのは、シルクハットをかぶった紳士だった。
「どなたですか?」
私は慎重に問いかけた。白い手袋をしていて、マジシャンか何かの詐欺師に見えたからだ。
「失礼ですが、借金の返済にうかがいました」
私は父にこんな知り合いがいたかなと首を傾げた。私の顔色をうかがって紳士は微笑んで尋ねた。
「私は俗にいうサラ金と呼ばれる機関から派遣されてきたのですよ。聞こえが悪いのであまり大きな声では言えませんがね」
自ら名乗るところが怪しい。借金取りといえば、顔に傷のある男や、サングラスをかけて肩を揺すって脅してくるおじさんばかりだと思っていた。そう簡単に信じられなかった。
「そういうわけで利子も含めて五百万円払って頂いてよろしいですか?」
私は相手がひょろ長い体格ゆえ、つい声を荒げた。
「よろしくないわよ! 父は今いません。私にどうしろって言うの?」
紳士は身じろぎもせずただ優しく微笑んだ。
「いやはや参りましたね。しかし私も帰れないのですよ」
「そんなこと知らないわよ」
紳士は私が眉間にしわを寄せていている間も微笑んだままで、薄気味悪い。
「では、また明日も来ますので、お父様によろしくお伝え下さい。では」
紳士は脱帽し一礼した。見かけに騙されるもんか。紳士が気品の漂う動きで、アパートから去っていくのをずっと見つめていた。
その夜、父に借金取りのことを話した。ところが、父は寧ろ紳士を褒めはじめた。
「そいつぁ借金取りなんだろ? ドアをガンガン叩いたりしなかったんだろ? 心配すんなぁ、安全なサラ金から借りてんだよ。礼儀正しいのは、いいこった」
睨みつけた私を無視して父はお酒を飲み続けた。
次の日私は家を出て、誰かに見張られているような視線を感じた。
「おはようございます」
背後から声がして私は飛び上がった。昨日の紳士だ。
「こんなところで何してんのよ!」
私が怒鳴ると紳士は軽くお辞儀をした。
「返済を待っておりまして」
「まさか昨日からずっと家を見張ってたの?」
私が嫌悪の目で厳しく問いただすと、紳士はやはり笑顔で、
「いえ、私が見張っているのはお金の行方ですよ」と答えた。
「一緒じゃない! 帰って」
紳士は静かに説明した。
「失礼は承知なのですが、帰るにも帰れないのですよ。私どもの、金融会社は返済がきっちり取れるまで、引き下がることを許さないのです。なので、力のある者は手荒なことをしますし、知恵のあるものは消費者であるあなた方を騙すわけです。私はそういう金融界を変えるべく、返済を礼儀正しく、合法的に行おうと努めているのですよ」
らちが明かないので私は学校に向かった。紳士は立ち尽くしていた。どこか気の毒な表情を浮かべているが、つきまとわれてはたまらない。
駅の階段を駆け上がると汗だくになった。どうしても頭の中からあの紳士の姿が離れない。
汗を拭った。ハンカチが、すぐに湿った。ホームに電車が入ってきた風で、ハンカチが飛んでいった。私は拾おうとして指を伸ばすと、ハンカチの向こうの白い手袋の指がハンカチを摘み上げた。
「すみません、ありがと・・・・・・」
私は言葉に詰まった。
「どう致しまして」
取立て紳士だ。立ちくらみがしてきた。
「大丈夫ですか? 顔色が悪いですよ。最近は猛暑ですから、気をつけて下さい」
「あなたのせいよ!」
怒鳴ると紳士は妖艶な微笑みを浮かべた。
「おや、そうでしたか。しかし、あなたの安全を確保することも私の仕事ですから」
意味がわからない。私はどうもこの紳士が苦手だ。変な理屈ばかり持ち合わせている。
「あなたが怪我や病気をして病院に行けば、せっかく返せるお金も治療費で飛んで行きますからね」
私は紳士が口を開くたびに腹立たしくなって、電車に駆け込んだ。紳士は、ホームで私に軽く手を振っていた。
紳士のおかげで、授業も集中できなかった。友達が呼んでも、頭の中で紳士が笑っている。後ろから髪をひっぱられて、私は驚いた。
「ねぇ、さっきから聞いてないでしょ?」
「何の話?」
半分上の空でつぶやいた。
「今頃、編入生がいるらしいのよ」
休み時間になり、その話はすっかり忘れた。けれど、友達がまた私の髪を引っ張った。
「今度は何?」
「あれ、あれよ」
友達が指差す先には、文学部には珍しい男子の姿が。シルクハットに紳士服・・・・・・あいつか!
「何のコスプレ何だろうね?」
友達のいう通りだ。よく見るとまだ若い青年だと初めて知った。
「何で学校にいるのよ!」
怒りを爆発させる私を不思議そうな顔で見つめ返してくる。
「いけませんか?」
「当たり前でしょ!」
「えっ二人とも知り合い?」
胃がもたれてきた。
「ここまで追ってくることないでしょ?」
「学校で金遣いの荒い異性と恋人になっては、返せるお金もすぐに飛んでいきますからね」
頭にも血が上ってきた。恋人のことなど考えたこともないが、私は大声で反論していた。
「恋しちゃいけないっていうの!」
「いえ、どうせ恋をするなら私とつき合って下さい」
紳士の真剣な眼差しが、私の頬を眩しく包むようだった。まさか、こんな展開になるとは思わなかった。紳士があまりに大きな声で、しかも堂々と話したので、周囲の歩みも止まってしまった。言葉を失っていると、紳士は淡々と理論を述べ始めた。
「その方が返済のための節約術も伝授できますし、無駄遣いもせずに済みます」
私はもう顔を真っ赤にして叫んだ。
「帰って」
紳士は微笑んだまま動こうとはしないので、私の方から駆け出していた。
めったに欠席、早退のしない私が早退したので、母は私が病気になったと思いこんだ。実際、身体もだるかった。
「何か買ってきて欲しいものある?」
私はためらいがちにジュースを頼んだ。紳士のせいで、気がめいっていると、素直に言い出してもよかったのだが、とても紳士のことを口にできる気分ではなかった。友達に何と思われただろう? 大勢の学生に見られていた。思い出して、また顔が熱くなってきた。
「じゃあスーパーに行くから待ってってね」
私が頷くと、独特の口調が聞こえてきた。
「では私が買って参りましょう」
エプロン姿だったが、シルクハットはかぶったままの紳士が、母から小銭を預かり買出しに出かけようとしているではないか!
「何で家にまでいるのよ」
怒鳴ったつもりが、悲痛な嘆き声になった。
「ああ、彼は今日からウチの家政婦をただで引き受けてくれる藤原クリスさんよ。アメリカ国籍らしいわ」
母の説明に私は絶句した。
「今日からこの家でお世話になります。安心して下さい。家賃は払いますし、お風呂を覗き見はしません」
「そういうことじゃなくて!」
「返済の手続きの手間も省けますしね」
それから紳士は一年も居座り続けた。父と母は家事や仕事を何でもこなす紳士を有難くさえ思っている。私もいつの間にか、紳士が家にいることが当たり前になっていた。お金の話をするとき以外は害のない人間だ。それに、みるみるうちに借金も返済できた。あと数ヶ月で返済できるぐらいまでになった。
鏡の中の私は純白のドレスを着て不安げな顔をしている。
「きれいなウエディングドレスですよ。ほらもっと笑って」
係りの人が私に微笑みかけた。ぎこちなく頷く私の側に彼がやってきた。
赤いじゅうたんの道が光と共に開けた。私は不安げに隣の男性の腕に手を回した。拍手が私達を取り囲んだ。
「こんなのでいいのかな?」
隣の紳士は相変わらず微笑んでいた。
「成り行きというものです。節約のおかげで、こんなに大きな結婚式になったじゃありませんか」
「そうだけど」
「私は幸せですよ」
はじめてのプロポーズを思い出した。あの言葉がプロポーズだったとは言いがたいが、思わず噴出してしまいそうになる。父が借金をしていなかったら、私達は出会うことはなかったのだ。紳士に優しく指を握られて私もつぶやいた。
「私も、今とっても幸せ」