黒き憂鬱

□第一章 四話
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嘘のような本当の日々



 目の前の惨状を引き起こしたのは俺ではない。
 そう、海音はつまらなさそうに、面倒臭そうに視線を落としながら思った。
 これを引き起こしたのは海音ではない。事実上がそうだったとしても、その原因を作り出したのはこの男たちだ。それが無ければ決してこんな状態は生まれなかっただろうし、海音もこんな手間をかける必要は無かった。
 全く首謀者は誰なのか。詰まらないことをする。こんな一般人を使ったところで、海音がやられるわけも無いというのに。
 蔑みの色さえ交えた視線で呻く男たちを見下した後、少し前に別れた姉を探す為にと歩き出した。
 何処にいるか。宛があるわけではない。けれど宛が無くとも、何処に連れ出されたのか、なんて事は目処など立てなくとも解りきっている。酷く解りやすく単純な男達だから。
 心無しか普段よりも歩む足早く、海音は中庭へと向かった。




*   *   *




 海音が雪音を大切に思う理由は、姉だからというそれ以外に、肉親というそれよりずっとずっと重要な問題がある。いっそ嫌いにすらなりそうな程に、深刻で、重要な問題が。
 けれど決して嫌いになれないのもそれが原因で。つまるところ、複雑で他人には理解し得ないものだ。

「ちっ……」

 腕を捕えられ今にも殴られようとしている姉を前に、海音は小さく舌打ちをした。
 予想していた通りだ。姉は確かに他の仲間に比べ弱いし、力も普通の女並だ。だが、合気道を心得ているし流石にマフィアの一端だ。幾ら男だからといって、そこらの一般人相手に負けるだなんて事は普通ならば有り得ない。いつもはあっという間に片付けるし、相手からは触れさせもしない。
 それなのにこうして今捕えられているのは、度の過ぎたお人好しが原因だった。
 雪音は、人より何倍も人の事を考え、人の痛みを理解し、人の苦しみを理解出来る。それのきっかけと原因が海音にあるから、海音は姉のお人好しも見過ごしてきたし、そういったところは彼女の美徳でもあるし、だからこそ大切に思うところもあるのだが、それでもそのお人好しが原因で彼女が命を落としかけた事だってある以上、そう暢気な事を言っていられない事も事実だ。
 今だって、命を落とす、とまでいかなくとも、危機にさらされている。
 反撃すればいいものを、一般人が相手だという事、あの男達が、ほぼ命令されたに近い形で仕掛けてきている事を理由に、雪音は恐らく避けるだけで反撃は一切しなかった。だからこそ、今ああして捕えられている。本当に、お人好しにも程がある。
 ここからでは聞こえないが、雪音を捕えている男とは別の男が雪音にその汚い顔を近付けにたりと笑っている。恐らく振るうのはただの暴力だが、あの顔は姉を卑しい目で見ているそれだ。嗚呼、忌々しい。

「綺麗な顔に傷がつくのは残念だがな…けどアンタが悪いんだぜ?夜玖だかなんだかしらねぇが、あいつにべったりで俺たちの邪魔してるからなぁ?」

 狙いは、やはり夜玖。
 解りきっている事ではあったけれど。それにしたってただの一般人を使ってマフィアを襲撃するとは、随分馬鹿な真似をしたものだ。
 ―――雪音が相手なら、効果的かもしれないが。
 隠れもしていない。極普通に少し離れたところから様子を見ていただけだというのに、全く気付かない男共に近付く。雪音は恐らくとっくに気付いているだろう。それでも何も合図しないという事はつまり。

「うぐっ…」

 手を出しても良いという事だ。
 男の鳩尾に強い蹴りを入れる。雪音を捕えていた一際大きな男だ。
 自由になった雪音が当然のように海音の隣へと並ぶ。驚いたように硬直していた男たちが、一瞬にして我に返ったかのように二人へと向かってきた。
 こうなってしまえば正当防衛。雪音にとっても彼らを相手にその腕を振るえる理由が出来る。まだ決して本気ではないが、向かってきた男を放り投げた―――ように見えるが、あれはただ男が自らそちらの方向へ身を回転させただけの話だ。そうでもしなければ、骨が折れてしまうから。
 合気道というのは実に厄介なもので、あまり力を入れずとも骨を折る事が容易に出来てしまう武道だ。だから骨が折れてしまわないように、合気道をかけられる者達は自ら身を投げなければならない。それは決して、大袈裟なわけではない。
 海音は海音で、それを横目に見ながら自分へと向かってきた男を最小限の動きで蹴り飛ばす。30秒程も立てば、初めに10人程居た中で立っているのはたった4人程だった。
 ち、と舌打ちをして向かってきた男がその手に持っていたのは鋭利なナイフ。
 そんなもので、とも思ったが、向かっているのは他の男を相手している雪音の方――、男と同じように盛大な舌打ちを一つしながら、姉の前へと躍り出る。
 雪音は雪音でそれに気付いていてなんとかしようとしていたのだろうが、万が一にも彼女が傷付くような事があれば、海音は自分を抑える自信が無かった。自分が傷付く事によって、雪音がどうなるのかもしっかりと理解してはいたのだが、それでも海音にとっては姉が傷付くよりは幾分もマシだ。

「海音……!」

 雪音の声が耳に届くのと、鋭利なそれが手のひらを傷つけるのとは、ほぼ同時だった。
 赤い液体が手首を伝う。それにも構わず空いた方の手で男の手を掴もうとした瞬間、別の細い手がかなりの力で男の手首を叩いた。最早殴ったと言っても過言ではない音がして、男はナイフを手放す。そのナイフを今度はその叩いた手が掴んだのを見てから、海音は刃の部分を握っていた手を放した。
 勿論痛いが、大した事ではないしそもそもこんなものはよくある話なのでこんな事で騒いでいても仕方が無い。袖から服の中へと入っていきそうなそれをぺろりと舐めてから、先程までとはまるで違う空気を纏っている姉を見た。

「何処を跳ね飛ばして欲しいか言いなさい」

 凍りつくような、口許は笑っているのに目が笑っていない、そんな冷たい笑みを浮かべて雪音は言う。ナイフは男の首にある。刹那、男の表情が恐怖に歪んだ。嗚呼、久しぶりに見た。姉のこんな表情。姉を恐怖の対象として見る輩。いつぶりだろうか。

「さぁ、答えなさい。なんなら四肢全て切り落としても構いませんよ」

 普段の雪音は、海音以外を相手に命令口調になる事はまず無い。こんな風に姉が怒るのは二つ。夜玖を貶した場合。それから、海音を傷つけた場合。
 お互いに依存し依存されて、共依存というそれに陥っている二人は、お互いが傷付けばそれがどれだけ些細なものであろうと、傷つけたものを赦さない。今回の海音の傷は、決して些細なものではないが、それでもマフィアとして危険なそれとして動いてる自分たちには日常茶飯事的についてもおかしくない傷なのだ。
 けれど、雪音は怒る。

「……姉貴、落ち着け。誰の差し金か……まぁ訊かなくても解りきってるが、一応訊かねぇと駄目だろ」

 もし雪音が傷付いた時に自分が落ち着ける自信などそうないが、けれどどちらかがこうして暴走した時に止めるのは暴走していないどちらかだ。
 今回はそれが海音だっただけの事。それでもナイフを納めない姉の手を取りそっと下ろさせてから、男ではなく雪音を庇うように前に出た。雪音の目からはまだ殺気が少しも消え去ってはいない。
 勿論、誰の差し金か訊く、だなんていうのはただの口実だ。そんなもの訊くまでもない。姉を止める為の口実だった。雪音は何か理由が無いとそのまま殺しかねない程、今は怒りに身を任せている。別に殺してしまってもいいが、それでは学校側で騒ぎなってしまう。
 姉が暴走でもしなければ、こんな面倒臭い事はせず直接夜玖に報告していただろう。海音は右手でそっと姉を制しながら、男に問い質した。




*   *   *




「……姉貴、あの力は使うなよ」

 今にも傷に手を翳しそうな雪音に先に忠告すれば、雪音は注意していなければ解らないくらいに小さく肩を揺らして海音を見た。

「やっぱり使うつもりだったのか。……あれは姉貴に負担かかるだろ」

 こういう時にはいつも言っている文句を言う。
 それでも雪音はいつまで経っても、あの力を使う事を止めようとはしない。特に、対象が海音である場合には余計に。
 最早泣いてしまうのではないかと心配になるくらい顔を歪めながら、雪音はすみませんと謝った。それは力を使おうとした事にではない。海音が雪音を庇って怪我をした事に対して、だ。

「……姉貴だって、そうしただろ」

 もし俺が刺されそうだったら。
 言外にそういい含めたところで、雪音はそれに反応も示さず持っていた救急箱で海音の手の傷の処置をし始めた。しっかりとこういう道具を持ってきている辺り、本当にこの姉は心配性だと思った。

「……これが終わったら、早く帰って夜玖様に報告しましょう」

 いつもの優しい声音ではなく、感情を押し殺したように淡々とそう言った雪音に、海音は内心で溜息を吐きながらそうだなと答えた。



これが戯曲だというのなら
(遊ばれるのは、私達ではなく貴女です)
(お前には勝ち目のない、ゲームだ)


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雪音視点何処に行った。
雪音視点にするとか何とか相方に言いながら、結局文字数的に海音視点で終わりました。シスコンブラコンもいい加減にしろよこいつら。
でも取り敢えず夜玖に報告する事で物語は進んだのでいいという事にしておきますええ。



(書き手:管理人B)



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