謙かす

□Pixie -番外編-
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番外編 −かすがとくりすます−

静かだ。
そう感じた。
布団の中にいるかすがは気づいていないが、外の景色は白一色であった。
一晩の間に薄っすらと積もったようだ。

あの、越後の国で見ていたのと同じまっ白い雪…。


■Pixie番外編 −かすがとくりすます−■



いつもと変わらぬ時間に目覚まし時計のアラーム音が鳴り響く。
かすがは、布団の中から右手を伸ばし、目覚まし時計のスイッチを押す。
「うーん…」
そう唸り声を上げたかと思うと、伸ばした右手をそっと布団の中へ引き込んだ。

しばらくすると今度は携帯電話の着信音が鳴り響き始めた。
「…起きますよ…」
かすがは布団の中でそう呟くと、今度は左手で枕元に置いてあった携帯電話を取った。

着信音を消そうと携帯電話の画面に目をやる。
そこには、『メール受信 上杉さん』という文字が表示されていた。
「う…!!!」
言葉にならない声を発すると、ようやくかすがはベッドの上で起き上った。
そして、辺りをそっと見渡すと、そっと受信したメールを開いた。

『うつくしい ゆきげしき ですね
 わたくしは いまにほんにもっどってきております
 かいしゃであいましょう』

日本に戻ってきている?
上杉さんが…。
そう考えるだけで、かすがの頬がほんのりと赤く染まっていく。


かすがの愛しの人、上杉謙信。
彼は社内でも評判な優秀な人物であった。
仕事もできる、人間としても完璧。
そんな彼に会社の業績拡大を掛けた海外進出の話が舞い込むのは、ごく自然なことであった。

そして、海外での生活と新たな仕事は、かすがに連絡を取る暇さえ与えなかった。
そんな謙信からの突然のメールに、かすがが喜ばないはずはなかった。



「おはようございます」
雪は積もっていたが、電車が止まるほどではなかった為、かすがは通常通り問題なく出社することができた。

毎日変わることのない風景。
見慣れた同僚たち。
でも、今日は少しだけ違っていた。
『上杉さんがいる』
そう思うだけで、かすがの胸が高鳴った。
今、どこにいるのかも分からない。
社内で会えるのかも分からない。
それでも、同じ建物の中で同じ空気を吸えること。
ただ、それだけで嬉しかった。


かすがは荷物を更衣室のロッカーに置くと、自分のデスクへ向かった。
席に着く前に、コーヒーでも買って行こうとロビーの自動販売機に立ち寄る。
ポケットから小銭を取り出すと、自動販売機の中へ入れた。

今日はいつもよりも寒いから、甘いカフェオレにしよう。
そう思って自動販売機のボタンを押そうとした時、背後からかすがを呼ぶ声が聞こえた。
「かすが…」
その声にかすがはぞくっとした。

聞き間違えるはずない。
この声を忘れるはずがない。
そっと、ゆっくりとかすがは振り返った。
この心の動揺を周りに悟られないように…。

「上杉…さん…?」
「ひさしいですね」
振り返ったかすがに、謙信は微笑みかけた。


やっと会えた。
一年振りだろうか?
やっと愛しいあの御方の笑顔を見ることができた。
それだけで、嬉しくて泣きたくなった。
でも、ここは会社だし他の人もいる。
かすがは涙をぐっと堪えた。
戦国時代の彼女であれば、ヘブンしているところだが、さすがにここでヘブンするわけにはいかなかった。


「げんきでしたか?」
「…はい。お元気でしたか?」
「ええ、もちろんですよ」
そう言うと謙信は、かすがに自動販売機のボタンを押すように促した。
謙信に会えた喜びでいっぱいとなり、自動販売機にお金を入れていたことをすっかり忘れていたのだ。
そっと、カフェオレのボタンを押す。
すると、隣の自動販売機で謙信もブラックコーヒーを買った。


二人はコーヒーを持ったまま、ロビーの椅子に腰かけた。
「とつぜんのきこくで おどろかせしまい もうしわけありません」
謙信は申し訳なさそうな顔をしてかすがに言った。

事前に連絡をするべきだ、とは思っていた。
それでも、忙しさにかまけて彼女の優しさに甘えてしまった。
今までも何度かこのようなことはあった。
彼女は、事前に連絡をしなかったとしても謙信に怒ることはなかった。
『会えるだけで幸せです』と微笑んでくれた。
それが、彼女の優しさであり、謙信への想いの深さであった。

そして今回もかすがは謙信の予想通りの優しい言葉を返してくれた。
「私は貴方に会えるだけで嬉しいです」
「かすが…」
自分の不甲斐無さに謙信はますます申し訳ないと思った。
でも、今日はクリスマス・イヴ。
せめてもの、との思いで帰国する前に空港で購入した免税店の紙袋を鞄の中から取り出した。
「おみやげです」
「ええっ?!ありがとうございます」
紙袋をかすがに手渡す。
かすがは嬉しそうに紙袋を見つめていた。
その顔は必至に平静を取り繕おうとしていたが、嬉しさがにじみ出ていた。
その様子が可愛くて、愛しくて謙信も自然と笑顔になった。


そして、もっとかすがを喜ばせたいと思い、謙信はそっとかすがに顔を近づけると、囁くように言った。

「くりすますぷれぜんとですよ…」




END
 

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