戒律の魔女

□空白は白く
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 おっとりとした仕種でなだらかな肩から白衣を滑らせると、椅子の上に軽く畳んで入口に腕を組んで立っている生徒に笑いかける。

「いらっしゃい、怪我をしたのかしら?それとも熱が有るの?」

 生徒の頬にかかる黒髪が億劫そうに払われ、丸みを帯びた頬が微かに歪む。

「止せ」

 黒い瞳に潜む妖しい揺らめきが、流し見る視線にどこか挑発的な色を加味して瞬く。
真っ白な夏服の清潔ささえ侵食する、危ういまでの色香だった。

「日呉 藍、ねぇ…?」

 日呉は日暮れ。
呉藍は紅、アカとアカ。

「…気持ちが悪い」

 すっとぼけた表情で首を傾げる日呉を生徒が睨めつけ、その視線に肩を竦めて日呉は破顔した。

「それはあまりのおっしゃいようですこと、他の方々には概ね好評なのですけれど」

 鈴の様に可憐な声はガラリと質を変え、耳を打つ音は段々と低くなっていく…吸い込んだ息を全て吐き切った後、下がり続けた声は一定の音域で落ち着いた。

「それほどまでにお気に召しませんか」

 傷付いた色を浮かべた両目に睫毛の影が落ちる。
薄く眉を寄せる日呉の姿は、触れれば散ってしまいそうに儚かった。

「気に入らないね」

 スパンッと即答すると生徒はズカズカと室内を横断し、白衣の掛かった椅子にドカリと座った。
人差し指でネクタイを緩めると気怠く頬杖をついて、日呉を目で見上げる。
赤い雛芥子を思わせる可憐でいて妖しく華やかな女、けれど白い喉から発せられるのは丸きりバリトン歌手の様な男声。
耳に心地好い美声には違いないけれど…いや、だからこそ余計に気持ち悪い。

「何でわざわざ女に化けた?男だろう、お前」
「保健室には女の保健教諭と相場は決まっておりますので」

 顔を顰めた生徒が蟀谷を指先で揉みながら呆れた口調で言うのに、日呉はにっこりと笑って返した。

「何の相場だ」

 溜め息混じりに言うと訝しげに日呉の眉が寄り、揶揄う光を散らつかせた瞳に覗き込まれる。

「おや?もしや妬いていらっしゃる?」
「ハッ、まさか」

 ヨイランは日呉の瞳を見詰めたまま鼻で笑い、椅子に掛けられた白衣の襟首を掴んで右腕を動かした。

「有るわけがない」

 バサリと翻ったそれが日呉の頭に着地し、幼子が良くやるシーツのお化けに似たものが出来上がる。

「似合ってるぞ」
「…ヨイラン様」

 ニヤリと笑うヨイランに日呉は男の声で微かに苦笑し、ズルリと剥ぎ取った白衣を無造作に下に落とした。

「あれの様子は?」
「そろそろ頃合いかと」

 足元で一瞬大きく膨らんだ紫がかった紺色の炎は、焦げ跡も灰さえも残さず燃やし尽くす幽界の焔。
その不安定な揺らめきがヨイランの玲瓏な美貌に凄みを、日呉の女性らしい美貌には艶やかな花を添える。

「餌はどうだ?」
「然したる障害もございません、全て滞りなく」
「なるほど」

 紫の焔が空気に同化して、まるで最初からそこには何も無かった様に消えていく。

「さすが食いつきが良い」

 紅を引いたように鮮やかな唇が見る者に訴える、食らいつきたくなる様な妖艶さ。
それを裏切る鋭さを黒い瞳に秘めて、ヨイランは笑った。


「良い頃合いだ」


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