戒律の魔女
□灰色の幸福
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「どういうことだ?」
しなやかな黒髪を乱暴を指の間に通し強く掴み物騒な面持ちのまま呟けば、もう殆ど唸りに近い声が滑り落ちた。
「如何なされました」
紫とも紺とも付かない瞳に浮かぶ怪訝な色を覗き込み、解放した自分の髪の代わりにその不可思議な瞳と似た色の髪を引っつかむ。
元より痛覚を持ち合わせていないのか類い稀な忍耐力のなせる業か、忠実なる使い魔は顔色一つ変えずに主人の両目を見つめ返した。
「"扉"が開いた」
黒い瞳が宿すのは果てなく広がる闇だ。
虚ろに深く深く沈んでいくだけの底無しの深淵、どこまでも堕ちていきたいような心地にさせる誘惑の瞳。
その誘いに流されてしまえれば楽なものを、主人の口にした短い言葉に包まれた重みが心を引き止める。
「朔まではまだ日にちが有るが、こじ開けたにしては歪みが少ない」
思い起こす様に睫毛を伏せた主人の白い頬に、慎重に延ばした手を緩く添える。
「あの方が…?」
「解らない」
儚い表情とは裏腹のハッキリとした物言いで首を振り、添えられた手を振りほどく。
「"鍵"を持っているのは何もあの方だけじゃないからな」
温もりを失った褐色の手を引っ込めて、神妙な顔付きで眉を寄せる。
「お聞きになられては、いらっしゃらないのですね?"鍵"の回る音を」
「ああ」
"鍵"を使えば扉を封じる"錠"が外れる。
"魔女"にはその音が聞こえるという…扉も鍵も錠も、それらは全て固有名詞で比喩でしかないというのに。
金属が鍵穴に差し込まれ噛み合わせが解け小さな鉄塊が落ちる幻の音を、"戒律の魔女"は確かに聞くのだそうだ。
経歴こそ多少変則的ではあっても、ただの使い魔である朱朱には想像するしか出来ないが。
「探ってみようか?」
真っ赤な唇を朱朱の耳に寄せて囁く。
微笑を含んだ甘い闇に、朱朱は今度こそ飲み込まれていくのだった。
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