Story
□In a cadenza
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10.
「るるるるん、るるるるん、るーるー」
怪しげな鼻歌を上機嫌に奏でて、シェシィリエはくるりっと廊下でターンを決める。
つかの間、扉の前で椅子に腰掛けた見張りの役人と目が合い、どちらともなく妙な笑いが顔に浮かんだ。
見なかったことにして下さいが見て取れる表情のまま、ドアノブを回そうとする手に、焦って腰を浮かせ止めようと延びてきた見張りの手を、知らずヒラリと交わす。
そして開いた入口に身を滑り込ませ、後ろ手に扉を閉ざしてしまった。
ドンっバン、と扉の外で見張りが椅子ごと倒れる音に、何事かと目を見開き窺うみたいに扉の木目を注視する。
いくら視線を注いでも、向こうが透けて見えるわけもないのだけれど。
「何してるの?」
見られた…っ!
ビクリと肩を盛大に揺らし、顔を青ざめさせる。とてつもない失態を冒した気分だ。
何を言われるのか、と恐る恐る声のした方を振り向き…そして目を見張った。
奇怪な行動を取ったシェシィリエに、突き刺さる視線が二つ。
「え、…」
てっきりシリスだけだと思っていたのに…部屋を間違えたのかと一瞬首を捻り、でも見張りいたしなぁと眉を八の字にする。
外出禁止で入室禁止のこの部屋に、どうして他人がいるのだろう。
「えーと…」
椅子に座ったまま首だけ振り返る娘から、じとりと湿っぽい視線が注がれ、オロオロと怯えを含んだ眼を連れに向ける。
笑ってない微笑が返ってきた。
「邪魔…しました?」
…聞くまでも無かったかもしれない。
若い娘と美貌の男の組み合わせ。しかも娘は頬を涙で濡らし、男は向き合うように立っている…何が有ったかは想像するに難くない。
「僕ちょっと、忘れ物したので」
気まずげにあさっての方を見て、嘘なのが丸分かりの台詞で取り繕う。
「待って」
言い終えるか終えないかの内に出ていこうとした背中を、取り澄ましたほろ苦い声が引き止めた。無視させて下さい!と叫びたくなる喉を、力をこめて押さえ付けて振り返る。
「ちょうど話が終わったところだから、出ていかなくてもいいよ」
睨み上げる娘の視線がとても痛いので、僕は出ていきたいです。という心の叫びは誰にも届きそうにない。
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