プレビュー画面表示中

共犯者[11]


二人の体温が浸透したシーツは暫くの間、高杉に安眠の時を与えていた。
目を覚ましても、この心地よさから離れるのに苦労した。

(あれ、今何時…)

近藤が出かけてからどのくらい経つのか。
窓の外の明るさからして真昼間だと思う。
時計を見ると1時を過ぎていた。
慣れない部屋の香りや室温に五感が乱れるのを感じながら、高杉は腰を上げる。

(寝たらすっきりしたな…)

勝手ながら洗面所を使わせてもらった。
両手の器に溜めた水を顔にかけ、そのまま鏡を見やる。
ああ、酷い顔だ。高杉は思わず噴き出した。
このままホラー映画に出られるとさえ思えてきた。

苦しかったな、とここ数週間を遠い昔のことのように振り返る。
数週間前は、こんな静かなひとときを過ごせている自分は想像できなかった。

人殺しにならなくてよかった。
高杉は近藤に心底感謝した。

(まだ行けるよな、俺…)

一人でも、ちゃんと生きていけるよな。

閉ざされかけた普通の人としての道を、再び照らしてもらったのだ。
これを無駄にするわけにはいかない。

「あ、そうだ…」

飯でも作っといてやろう。せめてもの礼に。
冷蔵庫の中を漁ると、上段におかめ納豆やひじきの煮物があり、
その下にはスーパーに売ってそうな惣菜、さらにその下にはご飯を詰めたタッパーがあった。
あとは麦茶と、豆乳。どんな組み合わせだ。

(どんだけ健康的なんだよ、あいつ)

どこぞの兄さんは甘いもの好きで糖尿病寸前だというのに。
思わず比較してみて、可笑しくなった。
その男に惹かれた自分は危ない橋を渡る方が好みだということか。
だがその結果を見ろ。こんなにも自分はボロボロじゃないか。

(少なくとも俺は、超がつくほどのマゾヒストではないわけだ…)

ご飯入りのタッパーとひじきの煮物を取り出す。
これらを混ぜて、チャーハンを作ってやろうと思う。
銀八以外に丹誠込めて飯を作ろうなんて、何年振りだろうか。
肉体が隅々まで疲れきっている半面、精神世界のほうは透明に近い。
先に進むために何を解決すべきなのか、はっきりしたからだ。

殺すことでも、許すことでもなく。
それはとてつもなく、辛いことなのだろうけど。













クラス中が騒然となったが、近藤だけが胸を撫で下ろしていた。

突然ですが、坂田先生が緊急入院されました。
昨夜、誰かに頭や身体を殴られて救急車で運ばれたそうです。
詳細は分かりませんが、おそらく最近巷を騒がせている、チンピラに絡まれたのではないでしょうか。

病院側がそれとなく事情を察してでっち上げてくれたのか、自分たちが慈しみ深い神様の目にとまったのか。
何より救いだったのは、銀八と高杉が同居していることを学校側は知らなかったのだ。
高杉の住所は、元々親の仕送りで一人暮らししていたアパートになっているらしい。

暴力事件はよくあることだと、生徒らはその話を信じた。
物騒だね。気をつけようね、特に女の子は。今日は寄り道はよそうよ。
そんな会話が鼓膜を掠る程度に聞こえてきた。

それにしても、と近藤は思う。
仮にも担任が重傷を負わせられたというのに、誰ひとりそれを案ずるものはいない。
案じているのは自分の身と、その友人らの身だけ。
沖田は違うかもしれないが、それでも坂田の心配というよりは、高杉の心配だろう。
これが現状なのか。このクラスの生徒と担任の、距離感なのか。

(何だか可哀そうだな…あの人も)

多分、本当に彼のために尽くしていた人物は高杉だけだったのだろう。
ならば何故、もっと優しくしてやらなかったのだろうか。
ああ、そういう性格なんだなきっと。
そんな性格でも愛されるって得だよな、と近藤は彼を憐れむ半面羨ましくも思った。

朝のHRが終わり、重々しい空気から解放され廊下で伸びをしていると、土方がそそくさと近寄ってきた。

「ちゃんと来たんだな…」

よかった、と安堵の息をつきながらも、笑っていいものかどうか戸惑っている様子だった。

「現場に、居合わせたのか…?」
「ああ…」

あの一報を聞かされて、犯人が高杉だと分かったのは土方くらいだろう。
沖田もそこまでは気づかない。

「俺のせいだ…まさか、こんなことになるなんて…」
「………」

否定は出来なかった。それで苦しんだのは近藤も同じだからだ。

「終わったことは仕方ねえ」
「だけど…」
「お前が謝ったところで、何もなりゃしねえさ」

逆に事が面倒臭くなるかもしれない。
土方がこれから成すべきことはただ一つ。
二度とあの二人のことに首を突っ込まないことだ。
罪悪感を消し去りたい気持ちは分かるが、それを報いとして受けとめ、背負って生きてほしい。


「どうしても、ってなら…」


言った後、土方の左頬を平手打ちした。
その鋭い音に、廊下を行き交う生徒らが動作を一時停止する。

「……っ」

痛い。土方は小さく呻いて頬を庇う。
驚愕の目で近藤を見やる。


「これで少しは、気持ちが楽になんだろ?」


自分の怒りの一部を、土方にぶつけるためでもあった。囁かな復讐、とでも名付けようか。

「後は俺の好きにさせてくれ。関わらないでくれ。俺はこの前みたいに、潔く引き下がるお前のほうがいい」
「…わかった」

近藤が初めて怖いと思った。その半面、優しさも同じだけ感じ取った。
近藤と言う男を手放したことを、土方は少し悔いた。
まあ悪いのは自分だから当然の結果なのだが。







(あり?)

帰宅すると、部屋は真っ暗だった。
高杉はまだ寝ているのか、とベッドを覗くが布団は丁寧に畳まれていて、彼の姿はなかった。
明りを点けると、テーブルの上にラップをかけられたチャーハンがあった。
その上にメモ用紙。


――食べてください。ちょっと出かけてくる。そんなに遅くならないと思う。――


文字に目を通した後、ラップを捲った。
食欲をそそる匂いが近藤の鼻腔を掠める。

「コレ、高杉が作ったのか…」

すげえ、と思わずそんな言葉を漏らした。
添えられていたスプーンで少し掬い、口に含んだ。

「うっま……」

何度も噛んで、美味を堪能した。これは男はほうっておかんでしょ。

(先生、あんたに作ってた飯は、これ以上に美味かったのか?)

嫉妬心にも似たものを、近藤は覚えた。
自分がどんなに努力しても愛情を注いでも、土方は坂田銀八との関係に走り、
高杉は裏切られても坂田銀八から離れられずにいた。
側にいるにせよ否にせよ、これからもその存在は、高杉の中で呼吸を続けることだろう。

「うまいな、うまいっ」

ひじきをかみ砕いていると、自然と瞳が濡れてきた。
俺だって泣きたいよ、まったく。
鼻をすすりながら、近藤は帰宅してからそのままの格好で皿の中身を平らげてしまった。

(そういや…何処行ったんだろ、あいつ)

今朝は顔色は悪くなかったが、やはり心配だった。
思えば連絡手段がない。
家で大人しく帰りを待ってた方が、て俺は親か。

(いや、待てよ…)

高杉の向かった場所。
近藤は財布と携帯をズボンのポケットにしまった。
Tシャツに短パンと部屋着もいいところだが、どうせ夜だしと近藤は玄関で靴を履いた。
高杉を迎えに行くか一瞬迷ったが、取りあえず走ることにした。
今は細かいことは気にしない。
近藤は財布に入っているスイカで改札を通った。








「すいません、面会許可を」
「ではこちらにお名前を」

手渡されたペンで自分の名前を走り書きする。
ペンと引き換えに番号札をもらった。
これを逃げ道を塞ぐための道具とした。

階段を一段上がるたびに乱れる心臓の音を何度も整える。
これが最後だ、と自分の胸に言い聞かせる。
何人もの看護師とすれ違い、その全員にきちんと挨拶をしたのは緊張を紛らわすためでもあった。

この日が来ようとは。

何処かで望んでいた。否、怖がっていたその未来がまさに、現在となった。
一世一代の大舞台に立つ思いで、高杉は深呼吸をしノックをした。
返事など期待してなかったので、待たずにドアを開ける。

ガチャリという音が静寂の中で際立った。
高杉は“待ちわびた”二人だけの空間に入り込む。


そこには横たえた頼りない銀八の背中があった。
否、いつだって背中は頼りなかった。
母性本能をくすぐられるような子供の背中だった。


(………)


じっとしているが、寝ているのではない。
この呼吸は眠っている時のものではない。
2年も一緒に暮らしているのだ。その違いくらい分かる。
全身麻痺で骨にもヒビが入っているから、恐らく反応したくても動けないのだろう。




「おはよう……」




嘘偽りなくこの男と向き合う覚悟を決め、その言葉をかけた。


びくり、と背中が大きく反応する。



「……し…す、け……か……?」



その声はあまりに掠れていて、滑舌も酷い。
そうだった。口も麻痺しているのだった。

(俺の名前すら、まともに呼べないんだ……)

涙が込み上げてくるのを、高杉は口を押さえながら堪える。

ふと視線を泳がすと、ベッドのそばに食事の用意がしてあった。
看護師は来ないのか。否、銀八が食事を拒否したのだろう。


「そっち、行っていい…?」


顔が見える方に行きたい、と言った。

「手ぶらだから何もしない…ううん、そんなことをするために来たんじゃないから…」

銀八は今何を感じてるだろうか。
自分に凶器を振り上げた高杉に、未だ怯えているだろうか。
あるいは自分をこんな状態にしておいて平然と現れた高杉に、憎悪を抱いているだろうか。
あるいは別の感情か。
何でもいい。何でも受け止めるから、とにかく顔が見たいのだ。


「来、い……」


どんな状態にあっても、命令口調なところは一緒なんだな。
だが『来てもいい』と言ってくれて嬉しかった。

「有難う…」

銀八の身体の自由を奪った自分に、その資格を与えてくれて有難う。
そして、思い出を与えてくれて、有難う。
不思議だ。今は憎しみとかそういった汚い感情が一切ない。

高杉は足音をほとんど立てずにゆっくりと銀八の前にまわる。
僅かの距離を保ち、彼を見下ろした。


「………」


憎悪でも恐怖でもなかった。
彼は生きる気力を失った老人のようになっていた。
一瞬で再び濡れてしまった瞳を拭う。

「ごめん、ちょっと待って…」

一度緩んだ涙腺を締め直すのは一苦労だった。
目尻に溢れる滴を何度も指で掬う。



「…話があって、ここに来たんだ」



高杉は膝を折って、同じ目線に立った。
それまで床を眺めていた銀八が初めて、高杉に視線をくれた。

「こんな状態の銀八に言うのは、酷いかもしれないけど…多分そうでもなきゃ、俺は銀八が怖くて、ずっと言えなかったと思う…」

その存在を消し去るしかないと思ったのだ。
近藤が止めてくれなければ、やはり殺していた。


「聞きた、く…ね……」


銀八は高杉が言わんとしていることに怯えている様だった。

「なあ、銀八…」

彼の両頬に手を添える。
すると彼がぎこちない動きで首を横に振るのを、高杉は涙ぐんだ瞳で見つめる。

「生きてね…」
「……っ…」
「銀八がその苦しみを背負って生きることが、俺の望みでもあるから…」

自分も銀八によって刻まれた心の傷と、この左目と、
銀八の人生を壊した罪を背負って、生きていくから。

「せっかくだから、昔話でも…する……?」

高杉の頬には既に何層も滴の跡が出来ていた。
銀八の頭に自分の胸を持っていき、そこに埋める。
耳元に唇を寄せる。

「ショッピングセンターに行ったの、覚えてる?」
「…………」

銀八は胸の中で黙ったままだった。
どんなに楽しい話をしても、彼には別れの序章にしか聞こえないだろう。

「買ってもらった服、全部大事にしてあるんだ…」
「………」
「あの夜に告白されてさ、俺嬉しかった…」

人生で初めて、好きだな、と思えた。

「海も楽しかった…ケーキバイキングも。あ、でもケーキバイキングは銀八食いすぎだろ。何十個も一気に持ってくるから、俺の分も持ってきてくれたのかと思ったら、全部自分のだって言い張るから…あれ、周りに見られてて恥ずかしかったんだからな…」

今思えば何ていい思い出ばかりなんだろう。

「後さ、合鍵くれた時も嬉しかった…居場所が見つかったような気がしてさ。本当に…」
「…………」

喜んで銀八の家に転がり込んだ。
その日のうちに全ての荷物をまとめて、ここで暮らすんだと、小学生みたいにはしゃいだ気がする。

「何もかも上手くいく気がしたのに、な…」

何故、こんなことになってしまったんだろうな。

「俺、知ってたんだ…銀八も俺が知ってるの分かってて、やってたのかもしれないけど…土方と、寝たよな?」
「………」

その横顔に、否定の色はない。
病人を前にろくでもない話題は控えるべきなのかもしれないが、この男には自分の気持ちのすべてを伝えておきたかった。

「もうそんなことは良いんだけどさ…俺も、それで悔しくて、同じことやったわけだし…」
「………」
「銀八にぼこぼこにされて、左目潰されて…もう、お前にはついていけない、て思った…」

銀八の顔色を伺う。相変わらず眉を寄せていた。

「それで、銀八を殺そうと思った…」

あの時の記憶がよみがえり、胸の中の黒い影が微かに首を擡げる。
この黒い影が、銀八の身体を不満足なものに追いやった。


「て、何かこれじゃ…」
「………」
「俺たち、嬲りあいながら抱き合ってる夫婦みたいじゃん」


そんな救いようのない、間柄だったのだ。
嬲られながらも、高杉はこの男を愛していた。


「銀八…」
「………」
「大好き……」


高杉は持てる愛情のすべてを両腕に込めて、銀八に最後の抱擁をした。

銀八の手が高杉の頬に触れる。
それだけでも余程の力を必要とするのか、痙攣している。

高杉は泣きながらその手を包み込む。
自分の頬にぴったりと宛がう。



「さよなら…」



銀八。

その手を退け、そっと立ち上がった。
その瞬間両目を見開いて、銀八が片手を差し伸べてくる。


「やだ……っ」


絞り出されたような声で、置き去りにされた子供のように必死に高杉に呼びかけてくる。
その手を再び取りそうになるのを堪え、高杉は逃げるように病室を出た。
ドアを思い切り閉めた後、彼が自分の名前をはっきり呼んだ。
顔を涙でぐしゃぐしゃにしながら高杉は走った。

背中に「しんすけ、しんすけ」と、彼の泣き叫ぶ声を浴びながら。











近藤はロビーで退屈していた。
面会人の名前が連なるファイルを見せてもらったが、高杉はやはりこの病院に来た。

「ん…?」

こちらに向かって人が走ってきた。
気になって重い腰をあげると、それが高杉だと分かった。
何かあったのか、と誰もが高杉に注目していた。

「高杉!」と近藤は彼を呼びとめる。
彼は近藤の存在を確認すると、足を止める。
その姿を見ればもはや何も聞くまいと、近藤は高杉に駆け寄った。

「近藤…何で、ここに……?」

泣きすぎてすっかり虚ろになっている目で、近藤を見やる。

「心配で…迎えに来ちまった」

そのあとは言葉などいらなかった。
高杉の身体を抱きしめて、気が棲むまで泣かせてやった。

高杉と坂田銀八の関係が幕を閉じた今、
共犯者としての関係もまた、この日にて終わりを告げた。


























































次で最後になります。
→トップへ


ブックマーク|教える




©フォレストページ