KiKi.

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緋山くんは手元にあるスケッチブックに描いたデッサンを元に、キャンバスに描いていた。スケッチブックのデッサンも、キャンバスに描かれたものも、遠くで見るより鮮明で綺麗だと思う。

緋山くんはこれにどんな色を付けるんだろうか。この教室を満たすオレンジかな、それとも深海を照らす淡いブルーか。この絵の完成を、出来れば見てみたい。

「不思議ですね」

その声にハッとすれば、緋山くんはいつの間にかあたしの方を向いていて、手元にあるスケッチブックに鉛筆を走らせていた。
そこに描かれるのは、よく見知ったあたしの顔。とくに特徴もない顔を彼は、一端の美術教師でも嫉妬するんじゃないかと思えるぐらいのデッサン力で描いていく。

「ちょっ…」
「動かないでください」

描かれるのは慣れていない。あたしはいつも見る側だから。でも緋山くんの言葉に、身体が動くことをやめた。
なんでだろう、心の底をくすぐられるような、かゆい感覚がする。絵のモデルというのは、なるものじゃないなと思った。もし桜ちゃんが「描いていい?」と聞いてきても、全力で断ってやろう。

「その…キャンバスの絵はいいの?」
「湯本さんは不思議な人ですね」

答えになってないじゃないか。
せっかく、良い絵を描いてるんだからというあたしの心配を余所に、緋山くんはスケッチブックに鉛筆を走らせていく。マイペースな男なんだな。こういうところは桜ちゃんと似てるかもしれない。

「僕は人の横顔が好きなんです。なんか、正面だと自分を見てるみたいじゃないですか。でも、横顔って何処を見てるかわからない、その先の未来かもしれない」
「緋山くんって、案外ロマンチストなの?」
「どうでしょうかね」

どうでしょうかって言う割には、全く照れた様子もない。真顔でよくそんな恥ずかしいこと言えるよ。

「だけど、正面の顔が綺麗だって思ったのは、湯本さんが初めてです」

緋山くんは、真っ直ぐにあたしを見ている。あたしを見ているのに、その先の、彼が言うところの未来を見ているような瞳。
なんだか、心の中や、自分の奥深くのあたし自身も知らないことを見られている気がして、背筋に氷が落ちていく気分だ。でも、彼の瞳には熱がある。

しばらくそうやって見つめられていて、緋山くんのスケッチブックにはあたしが出来上がった。

「それ、ほしいんだけどいい?」

もう二度とすることはないモデル体験の記念に。
だけど彼は首を横に振った。

「もっと、しっかり描きたいです」
「なんで?」
「湯本さんは描くのが、難しいですので。言葉にするにはちょっとアレですけど…人間の部分が?」

緋山くんの言葉の意味はよくわからない。あたしの顔なんて、そんな難しい顔じゃない。桜ちゃんにしたら、ものの5分で描くと思う。ふざけるだろうけど。

緋山くんは、完成したらあげますよと言ったから、卒業までには描いてねと約束をした。





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