9の目のサイコロ

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高校三年生の夏といえば、受験の夏だ。元々勤勉な人間は予備校に通ったりしてとっくにスタートしているわけだが、大抵の学生という生き物は目先のことしか考えていない。
入学式の日校門をくぐった瞬間に先輩から部活勧誘を受けてそのまま適当な部活に入部、なんやかんやで楽しく仲間たちと過ごし、気づけば高三の夏、退部。
退部した頃には教師から受験勉強を始めろとせっつかれ、とりあえず知り合いのいる予備校の夏期講習に通い始める。そんな感じの、流されるままの人生。
大抵の学生はそうだが、僕は入学式では誰からも、どの部活からも勧誘を受けなかったためそのまま帰宅部だし、友人もおらずすることもなかったため勉強しかしてきていない。高校三年間、真面目に授業を受けてHRが終わると寄り道せずそのまま下校して、朝は生徒たちで混み合っている校内が嫌なので1時間ほど早めに登校し予習をした。
絵に描いたような優等生とは僕のことだ。学校も、教師への愛想だけがいい奴なんかより僕を生徒のモデルケースとして表彰すべきだろう。
まあ、されても困るが。

つまらなそうな高校生活だな、と思っただろうか?しかし案外そういうわけでもない。
学校生活は確かにつまらなかったが、僕はこの教室で今座って授業を受けている誰よりも特殊な経験をしてきたという自負がある。それがいいか悪いかは別として、だ。


*


「すみません、遅くなりました」
「ああ。そうだね。2時間ほど待たされたよ」

商店街の路地裏の奥まったところに、純喫茶《シャンバラ》はある。ここは由緒正しい50年前からある喫茶店だそうで、店内は分煙なんてまるでされておらず紫煙立ち込めており、そしてその紫煙はどこから来ているのかというとなんとカウンターで退屈そうに新聞を読んでいる店主がふかしている煙草からだ。
あまりの煙たさに思わず顔をしかめながら奥のボックス席に座り1人でクリームソーダを飲んでいる陽気な成人男性に遅刻を詫びた。
僕を呼び出す成人男性なんて1人しかいないだろう。その通り、僕の雇用主である十一月さんだった。
子供のように不貞腐れた顔をした十さんはブクブクとストロー越しにサイダーに息を吹き込んで遊んでいた。子供か。
流石に2時間待たせたのは悪いなと思い、再び謝るがそれでも十さんの機嫌は治りそうになかった。

「あの、待たせたのは申し訳ないですけど……、僕今高3だから受験対策補講とかあって前みたいに来れませんって言ったじゃないですか」
「うるっさいなー。そういうことはどうしても行きたい志望校とか作ってから言えよなー、大学行くかも決めてないくせにさあ」

まあ、確かに。

はあ、とため息をついて向かいの席に座り、カウンターに座っている店主に「ホットサンドとアイスコーヒーください」と声をかけた。店主はちらりとこちらを見た後厨房に消えていった。
立地、接客態度、全てが大丈夫か?と言いたくなるような店で、おまけに地図アプリを起動しても出てこないわ某グルメサイトにも名前が登録されていないわで最早幻の孤島なのだが、味は確かなのだ。ここの洋食を食べるともう他のところじゃ食べられなくなってしまう。
だから僕も十さんも最近の待ち合わせはもっぱらここだ。

しかし、いくら味は絶品とはいえ飲食店に必要な他の要素が全て最悪で、レーダーチャートにしたらさぞバランスが悪いであろう喫茶店に、果たして客が来るのかというと、それが、まあまあ来るのである。
まず、地元の常連客。これは分かる。というかこれがないととっくに閉店していることだろう。普段は寡黙かつぶ愛想な店主も常連客には比較的親切だ。
次に、「喫茶店マニア」という存在。僕は《シャンバラ》に行くまで喫茶店マニアなんて存在を知らなかった。その名の通り、全国津々浦々の喫茶店に行くことを信条にしている人々である。これが割りかし結構いて、僕が行く日には必ず1人他県から来たという客がいる。
そして、「尊山大学喫茶店研究会」の連中だ。
彼らもまた喫茶店マニアなわけだが、彼らには他の喫茶店を開拓する気なんかさらさらないらしくいつもここに入り浸っては何時間も駄弁り続けている。おかげで何故か変に彼らの人間関係などを知ってしまった。
あ。

「僕、尊山大学目指そうかな」
「ああ、尊山。いいんじゃないの?そこそこの大学だけどめちゃくちゃ難関ってわけでもないし」
「へえ。意外と詳しいんですね」
「学生の時にずっと塾講師のバイトしてたからね」

塾講師のバイトしてたのかこの人!
高校生相手に勉強を教える大学生の十さんを想像しようとするがうまくできなかった。
ていうか、この人がこんな風に自分の過去の話をあっさりするようになったんだなあとしみじみ思う。初めて出会ったのは高校一年生のときだったが、こんなに長い付き合いになるとは思わなかったし、なんというか……こんな風に、打ち解ける?とは思わなかった。そう、打ち解けた。僕たちは実に鳥肌がたつような呼称を用いれば友人のような関係になってしまっていた。

「十さん子供駄目なんじゃないんですか」
「まあ、好きってわけじゃないけどねえ。年寄りの方が駄目だね、俺は」

ズズ、と音を立てて十さんがクリームソーダを飲み干したところで、僕の注文していたホットサンドとコーヒーがテーブルに置かれた。

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