新選組色恋録
□浮草
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爽やかな朝の広間。
今日も隊士達の明るい声が飛び交う朝餉の席で一席だけ誰も座らぬその席に淋しく膳だけが置かれていた。
「何だ。トシはまた部屋に籠りきりなのか?」
「みたいですよ。何でも急がなければならない書類書きがたまってるとかで手が離せないって。」
決して豪勢とはいえない朝の食事に手をつけながら己のすぐ隣の空席を淋しそうに見つめ、問う局長近藤勇に、少し離れた位置から沖田が答えた。
「…そうか…まぁ仕方のない事ではあるんだろうが…せめて朝飯くらいは皆で顔を揃えて膳を囲みたいものだな。」
近藤がそう言うのも無理はなかった。
ここのところこの席の主である土方歳三は、部屋から出てくる事が少なく、昼夜問わず何かと『急務だ』と言っては食事を一人自室で摂る事が多くなっていた。
「土方さん、そんな差し迫った仕事ばっかり抱えてるのか?」
横から口を挟む様に原田が会話に入ってきた。
「ん〜。どうなんだろう。表立ってはそんなに慌ててる様な風にはみえないけど?まぁ土方さんには土方さんで、僕達が見えない部分の仕事沢山抱えてるんじゃないの?副長だしね。」
沖田は土方についてさしも興味はないようだ。
淡々と原田の疑問に答えたところで会話が途絶えた。
土方のこの状態を気にかけているのはなにも、隊士ばかりではなかった。
この新選組でほぼ軟禁生活と呼べるような生活を送っている雪村千鶴もその一人だった。
…そうなんだ。土方さんはまた急なお仕事で忙しいんだ。
一連の会話を黙って聞いていた千鶴の表情が曇る。
新選組が会津藩預りとなってから隊士幹部の面々も一様に忙しさを増しているのは確かだった。
こうしてみんなで顔を合わせてゆっくり出来る事も食事を除いては減りつつある。
その中でも副長である土方は群を抜いての忙しさであり、食事をする時間すらも惜しいというところなのだろうが、千鶴は忙しい土方とこうしてゆっくり過ごせるこの時間を頗る楽しみにしているだけに、最近の土方の自室籠りには正直谷底に落とされる様な気分なのである。
「どうした千鶴?何やら気分が悪そうだが。」
「あ、いえ。そんなことないです。ちょっと呆けてしまって。」
心配気に隣から顔を覗き込む斎藤の視線をはぐらかす様に千鶴は自分の膳を持って立ち上がった。
「ご、ご馳走さまでしたっ。」
「ご馳走さまって千鶴ちゃん全然食ってねぇじゃねぇか。」
「もうお腹いっぱいなんです。あ、これ良かったら永倉さん達食べて下さい。手、つけてないですから。」
「あ、いや…それはありがてぇけどよ。俺が言いたい事はそう言う事じゃなくて…。」
何とか上手く言葉を紡ごうと試行錯誤する永倉の言葉も耳に入っていないのか、千鶴はさっさと広間を後にしてしまう。
「お、おい!!千鶴ちゃん!!」
「新八。ほっといてやれって。」
「でもよ…。」
「いいから。」
引き止めたい気の永倉を原田が制した。
「何だ。千鶴くんも元気がない様だな。最近彼女もよく働いてくれているからな。少し疲れさせてしまったか。」
「大丈夫だよ近藤さん。そんな事ねぇって。…それより近藤さん。土方さんの飯、部屋に運んでやった方が良くねぇか?なんだったら俺が運んでやるよ。」
「…あ、ああ。そうだったな。冷めきってしまってからではトシも気の毒だからな。原田くん、頼めるか?」
「あいよ。んじゃ、とっとと運んじまうかな。」
原田は近藤との会話を切り上げると、立ち上がって土方の膳の所まで行き、溢さぬ様に気を遣いながらそのまま膳を持って広間を出ていった。