新選組色恋録
□名残天神
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男を酔わせる甘美な囁き
身を預ければそこは楽園
覚めぬ夢をと願い続けて
再び昇った朝日が知らせる
後朝の別れを…。
名残惜しや香の香り…。
名残惜しや君の温もり…。
「…んん…。原田はん?もう帰りなはるん?」
「ああ…。悪りぃ。起こしちまったか?」
―出来ればこいつが起きる前に退散したかったんだが…。―
此処は島原のとある廓。
俺は昨夜、この芸子と一夜を共にした。
「もう帰ってしまうなんて淋しい。もう少しうちと居とくれやす。」
そう言って艶っぽい声で摺り寄る芸子の腕から俺は自分の腕を自然に引き抜くと、やんわりとその芸子に言った。
―御免。土方さん。―
「悪りぃ。本当にもう戻らねぇと…うちの副長、怖ぇからよ。」
こういう時に使える偉大な鬼の副長の呼び名に感謝する。
片手を彼女の前に立て、軽く詫びを入れると、彼女はもうっと拗ねた素振りを見せたが、俺は構う事無くその場を後にした。
人気少ない島原の街を歩き、島原大門を出る。
「…さぁ…ここからは夢の世界は終わりだ。」
俺は誰に聞かせる訳でもなく、そんな事を呟きながら、現の街へと踏み出した。
先程の芸子とは昨夜初めて床を共にした。
普段新八達と島原に訪れた時に何度か座敷に呼んだ事はあるが、然程馴染みがあるわけではない。
本当に何となくだ。
昨夜はついそんな気になってしまった。
「…名前…何だっけか…。」
俺には往々にしてそういう所があった。
島原に出掛けては酒を呑み、夢見心地になったところで側にいた芸子や舞妓と枕を並べる。
しかしいつもそれは一夜の夢。
この現にまで名残を引く程、俺は入れ込んじゃいない。
現に今も俺はあの芸子の名前が思い出せない。
「…全く、酷でぇ男だぜ。」
我ながらそう思う。
女にとってはこれ以上に酷い男はいない。
「…別に、本気になりたくねぇわけでもないんだがな。」
そうなのだ。
俺は決して本気になりたくない訳では無かった。
寧ろ俺の理想は好いた女と常に共にいて、暖かい家庭を作ってという小さな幸せに満たされる事だ。
寄って来る女は千も万もいる。
それなのに一向にこの〃一夜限りの夢〃から逃れられずにいるのだった。
まだ朝の霧がかかる市中を歩き、程無くして屯所に辿り着いた。
どこからだろう近所から鶏の鳴き声が聞こえてくる。
「よぉ!!左之!!朝帰りたぁいい御身分じゃねぇか。土方さんに見付かったらどやされるぜ?」
門を潜ると朝っぱらから会いたくない顔に出くわした。
朝稽古をしていた新八だ。
「お前も。朝っぱらから暑苦しいくらい元気だな。」
「なぁにが暑苦しいだ!?お日様の下で朝から汗を流す!!健康的という以外何があるんだよ!?」
益々暑苦しくなる新八を俺は適当にあしらって玄関へと向かう。
「兎に角、この事は土方さんには黙っててくれよ?色々と厄介だからな。」
「くぅぅ!!いいねいいね!!色男はよぅ!!『この事は黙っててくれよ?色々と厄介だからな。』って!!俺も言ってみてぇぜ!!」
無駄に俺の真似をしながら俺の後を追いかけてくる新八。
俺はそんな新八を振り払いながら屯所の中へと戻るのだった。