Coming closer

□Feeling fine
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「天狗殿、入るぞ」

御前と別れてから小一時間も経ったころ。

そう言って襖を開けて入ってきたのは、数人の供を従えた美女だった。

付き従ってきた女たちより頭ひとつ背が高い。

ほっそりとして、でも、若竹のような春の嵐にも折れないしなやかな強さを感じさせる。

白すぎるくらい白い肌に、切れ長の伏し目がちな瞳。

薄紅に彩られた唇は、柔らかな微笑みを浮かべている。

背中で結われた豊かな黒髪は、絹糸の光沢を持っている。

「天狗殿ほどの身の丈の者はそうそう居らなくてな」

上品な色合いの着物に身を包んだ美女は、御前の声で話しかけてきた。

まさか…

「どのようなものが好みかわからなかったのでな。いくつか当ててみるが良いだろう」

そう言いながら、美女は俺を立ち上がらせた。

「ご…御前?」

半信半疑で俺は訊ねた。

確かに立って並べば、見覚えのある高さに漆黒の瞳。

「いかがいたした?」

御前が真顔で俺を見ている。

「お…女の人?」

「いかにも」

平然と御前はうなづく。

「だって、さっきまで立派な鎧を」

「一軍の大将を任されておるでな」

御前は当たり前のことを言うように、サラッと言ってのけた。

「ええ〜っ!?」

俺が叫ぶのとお供の女たちが爆笑するのは同時だった。

「そなたたち、笑うてばかりでなく天狗殿の着替えをいたせ」

こんなことには慣れているのか、御前はやれやれとひとつため息をついて女たちに指示を出した。

はいはいと笑いながら、女たちは俺に着物を着せかける。

「次郎冠者の若い頃の物だが、よう似合うておる。天狗殿のためにあつらえたようじゃな」

襟元を直してくれる御前の指は、確かに女性のものだ。

改めて見れば、白い肌の頬はほんのりと紅く日焼けしている。

切れ長の目は涼やかでも、凛とした強い光を秘めている。

俺の襟元を直す指先は、日焼けの蹟と他の女たちには無いいくつかのタコができている。

「あれ、天狗殿が御前様に見とれておいでで」

誰かの声に、またひとしきり笑い声があがる。

「えぇっ!!」

いきなりの指摘に、俺は軽くパニックになった。

「無理もない。御前は殿の一番の思い者でおられるから」

どこか自慢気な声があがる。

「なんの、天狗殿とて御前と並んで決して見劣りはしておられぬ。上背も殿とさほど変わらぬ」

「天狗殿のほうがお若いゆえ、男っ振りは殿に軍配があがりましょうか」

「天狗殿の世間ずれしていないところも、殿とはまた違うて良いのではありませぬか」

どの世界でも女たちがかしましいのは変わらないらしい。

お喋りスズメよろしくペチャクチャとさえずる声は
だんだん大きくなっていく。

と、その時。

「入るぞ」

ひときわ通る張りのある男の声が響いた。

お喋りスズメたちは口をつぐんでサッと後ろへ下がった。

引き戸が開かれると、俺より幾分か年上の偉丈夫が、男2人を従えて入ってきた。

それまで俺の品定めをしていた女たちは頭を下げて一行を迎えた。

付き従ってきた男2人は、入り口に控えている。

「このようなところへお越しとは、珍しい」

入ってきた男から俺を庇うように、御前が進み出た。

「そなたが天狗を拾ったと聞いたのでな。見に参った」

男は御前の肩越しに、俺を眺めた。

「耳の早いことで。さしずめ、兄者がお耳に入れましたか」

御前の視線は、入り口に控えている男に向けられた。

見据えられた男の肩が、一瞬揺れた。

「兄を責めるでない。全ては我を思ってのことだ」

目の前の偉丈夫が、御前をなだめるように笑った。

「それより、あの天狗が着ているのは、我の着物ではないのか?」

「左様。殿の若かりし頃のお召し物にございます」

「なんと!」

『殿』と御前のやり取りを聞いていた男が、非難めいた声を上げた。

「どこの誰とも知れぬ輩に、殿のお召し物を遣わすとは!」

「致し方ありませぬ。こちらの手違いで、天狗殿の衣を燃やしてしまいました故」

少し怒ったような『兄者』の言葉に、御前は平然と言い返す。

「天狗の衣とな!」

『殿』は面白そうに目を見開いて俺を見た。

「はい。誠に不思議なことに、灰のひとつも残さずに燃え尽きましたそうで。家中の者が見ております」

「誠にございます。あっという間に天に帰ったかのように燃え上がりました!」

「綿の温かさと絹の軽さを併せ持った、不思議な手触りの衣でございました!」

御前の言葉に、居合わせた女たちから次々と声が上がった。

『殿』はさも面白そうにみんなを見回している。

「我らの落ち度で天狗殿は衣を失い、天に帰ること叶わなくなり申した。殿の若かりし頃の着物の一枚も差し上げなくば、申し訳も立ちませぬ」

神妙な顔で御前が言い放つ。

周りもその通りとばかりに頷いている。

「しかし…」

ただ、『兄者』たちは納得がいってないらしい。

何かを言い募ろうと言葉を探している。

「それに、殿のような六尺を越える大男が天狗殿の他に家中に居りますか?殿から下賜されても丈が合わず、かといって裾を切るわけにもいかずで、結局はしまいこんでおくのが関の山でございましょう」

御前の言葉に思い当たるふしがあるのか、男たちは言葉に詰まった。

確かに『殿』と俺の身長は同じくらい。

ちなみに俺は182cm。

「それに、殿もそろそろ三十路にございます。このような若やいだ着物は、もうお召しになることもございますまい」

御前の言葉に、今度は女たちが吹き出した。

キーワードは多分『三十路』と『若やいだ』

つまりは、御前は自分の主君に『若作りはみっともないぞ』と言い放ったことになる。

焦ったのは兄者たち。

「これ、御前。殿に向かって無礼であるぞ」

「三十路近いと言っても、まだ殿はお若いのだから」

「『まだ』…でございますか」

言葉尻を捕らえて、御前がにこやかに微笑んだ。

美人なだけに、迫力がある。

「あ、いや」

「まだ…というか、なかなか…」

兄者たちは焦って何かを言うたびに、かえって墓穴を深くしている。

「わっはっはっは!」

御前と兄者たちのやり取りを見ていた殿が、朗らかに笑い声を上げた。

「その辺りで許してやれ、御前。兄上たちをからかうでない」

「ですが」

幾分、睨むように御前は兄者たちに目をやった。

「お前たちも諦めろ。御前の言う通り、天狗殿の衣の代わりに我の着物くらい安いものだ」

「はっ」

男たちは殿の言葉に膝をつく。

「御前も良いか?」

「今一つ」

御前は殿の顔をしっかと見つめている。

「なんだ、言うてみろ」

殿は御前の言葉をうながした。

「十日ほど前に手にいれた駒を、天狗殿にいただきとうございます」

「駒だと?」

殿の表情が険しくなる。

「はい。額に星のある鹿毛を」

「あの、見事だが人に慣れぬ駒か」

「天狗殿には従います。先ほども大人しく天狗殿を乗せておりました」

「ほう?」

「いかに見事な駒といえど、厩(うまや)に繋いでおくだけではなんの役にも立ちませぬ。天狗殿にお預けください」

御前の言葉を聞きながら、『殿』は腕を組んで黙ってしまった。

視線は御前をしっかと見据えている。

「…」

「殿?」

返事の無いことに、御前の声が少し険しくなる。

「珍しいこともあるものだな」

「はい?」

『殿』の答えが意外な方向に進んだ。

「そなたが誰ぞに肩入れするとは、誠に珍しい」

「…」

言葉を飲み込んだのは、今度は御前の方だった。

『殿』の目はまだ御前を見据えている。

「よかろう」

「!」

「あの駒は天狗殿に預けよう。そなたが名前をつけてやれ」

殿の顔が穏やかに微笑んだ。

「ありがたき幸せにございます」

御前は初めて臣下らしい礼をした。

「して、名前は?」

笑顔のまま『殿』が御前に訊ねた。

「では『梅風』…と」

御前は迷うことなく答えた。

「『梅風』か。華やかで鹿毛の駒にふさわしい名だ。春を呼ぶ縁起の良い名だ」

「殿の元に、必ずやこの世の春を呼び込みましょう」

言い切った御前の顔には、これっぽっちの迷いも無かった。

「頼もしいことだ」

御前が膝をついていっそうの礼をとると、殿は2人の『兄者』を従えて部屋を出ていった。






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