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□Inviolable Blue
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「死ぬとは、とても手間のかかるものだな。」
A.フランス
「その前に生きないといけないからね。生きるって仕事を見つけないといけないからね」
長谷川泰三
「なんか重いんで、やめてください」
志村新八

「行動は俺のもの、批判は他のもの、俺の知ったことじゃない。」
勝海舟
「流石先生ぜよ!ということでおりょうちゃんに会いに行って来るぜよ!」
坂本辰馬
「捌きにくいんですけど...とりあえず本人に批判されてるじゃないですかあなたの場合」
志村新八


* * * Inviolable Blue * * *


 集めたプリントを両手に抱えていた新八は職員室から沖田が出てきたことにおや、と感じた。昼休みのことである。
「…あ、沖田さん」
 冷房の効いた廊下から外を見渡し、その余りの眩しさになんだかくらくらして振り返った先に沖田がいた。珍しいと思う。何をされるか分からないので口にはしないが。
 新八の声に沖田が視線を上げる。おう、志村弟。少々豆鉄砲を食らったような表情は幼さが残っていて、この顔の裏にあの腹黒く嗜虐性に満ちた本性があるとは誰が思おうか。なるほど、これぞ世間の言うギャップ萌えというものか。いや、違う。というか、何を考えているんだ僕は、と新八は人知れずに一人悶々と考え込んでいた。
「このまま百面相を眺めるのも面白いものがあるんだがねィ」
 いっそ清々しいほどの笑顔を浮かべて観察する沖田に気付き、新八がはっと顔を上げる。
 真夏に差し掛かる太陽とまるで宝石や水晶や、そのような直線的な輝きを放つただひたすらに青い空。春に切り揃えられた植木の枝やら葉やらが好き勝手に飛び出し、鮮やかな緑にくらくらする。そして蜃気楼に包まれたように暑さに揺らぐ校舎は赤く、黄色く、橙色で、白昼夢じみた幻想を目の痛くなるような夏景色から垣間見た気がした。
「来たみたいでさァ」
 階段の方からお重箱がこちらへ向かってくるのを見て、新八はぎょっとした。数段も十数段も重ねられた荘厳とも言える風体の弁当からひょこひょこと見え隠れする明るい色彩の髪にそれは小柄な癖に大食いな留学生のクラスメイトが抱えて歩いてきているものだと知る。
「あれ、来たって、神楽ちゃんが?」
「サド!聞いてきたアルか?」
 訊ねる前に神楽が駆け寄ってくる。馬鹿力は相変わらずのようで、あるいは食い意地を張っているだけなのか、その速度はおよその常人のそれを越している。この二人って、こんなに仲が良かったものかと新八は思わず眼鏡を掛け直して顔を合わせれば喧嘩という名の破壊活動に出る、もはや風物詩となりつつある沖田と神楽を見比べた。
「テメェに言われるまでもねぇけどなァ」
「この神楽様にその物言いとはいい度胸アル」
 少々憮然とした神楽が薄笑いを浮かべながら沖田を睨む。いつもなら受けて立つぜぃとガチンコバトルへと発展するだが、今日決着を付けるのはやめにしまさァ。状況を楽しんでいるような沖田に神楽も思い出したように顔をあげ、しかしわざとらしく一瞥して同意を示した。
「えっと、神楽ちゃん。これってどういう風の吹き回し?」
 職員室にいた沖田といい、それと慣れ合う神楽といい、今日は立て続けに珍しいことが起こる。
「あ、新八、居たアルカ?居たなら居たでちゃんと何か言えヨこれだから眼鏡は」
「いや、居たアルカって…それとこの設定じゃあ神楽ちゃんも眼鏡でしょ!」
 厚い瓶底眼鏡を指差し、少しばかりムキになった新八が喚く。
「そこは設定なんて単語出したら野暮ってもんでさァ。そんなに忠実に沿うならおめぇ、まだ高一か高二でチャイナなんてどっかで中坊やってんじゃねぇかィ。実際に3Zな年齢なのは志村姉と俺とくらいだぜぃ」
「あんたの方が野暮だわ!つーか危ないわ!ってそういうことじゃなくて!!」
 ぜぇはぁと本分のツッコミを終えた新八が乱れた息を整える。ひゅう、とエアコンから送り出される風が髪を煽り、袖を僅かに膨らませた。
「だから僕が聞きたいのはあれですよ。なんで沖田さんの神楽ちゃんが一緒にいるの?」
「新八ぃ、飯は食ったカ?」
 声を低くする神楽はどこかごっこ遊びをしているような言い知れぬ期待と想像とぎこちなさと迫真さと微笑ましさとを孕ませていて、お主も悪よのうと言いそうになったところをいや、まだだけどと答えた。
「なら来なせぇ」
 既に踵を返し始めている沖田と神楽に新八はなんだか楽しくなって、プリント陸奥先生に渡してくるから待ってて、と職員室の戸を叩いた。

 今頃部屋にこもっているだろう担任に押し売るのだと彼女は言う。
 押し付けるではなく強制的に売る。乾いた笑いを持ってしか新八はこの同級生の強引さを己の中で誤魔化すことができなかった。
 屋上に着いた途端に身に染みたのはアスファルトから立ちのぼる熱気でもなく焼け付くような日差しでもなく、かすかな音を微風と共に届ける青々と生い茂った笹の葉のそよぎである。
「昨日馬鹿神威が持って帰ってきたネ。パンダの食生活を体験したいとかなんとかほざきやがって」
 笹なんて美味しくもなんともないアル!私前に食べたことあるヨ!力説する神楽に日本の夏特有の湿気にも負けぬ生暖かい視線を送った新八と沖田をものともせずに彼女はがばりと振り返った。
「そこで私は考えたネ!現代文明の揺り籠にどっぷりと浸かって古き良き文化を忘れたマダオに江戸っ子の粋な風情ってものを教えてやるヨって。で、サドが職員室に銀ちゃんの住所聞き出してきたネ」
 意気込む少女にまた苦笑が込み上げる。彼女は江戸っ子云々の前に国も違うはずなのだが。言うなら中華民族五千年の歴史伝統を見せつける、と述べた方がいいのではないか、七夕という行事は大陸からの渡来ではあるし。お前は国産でもねぇだろ、沖田が実際に口にすることで新八の苦笑は更に深まる。
「ナメンじゃねーぞサド野郎。大正浪漫とか金閣寺とか伊達十七代目とかくらい私も分かるヨ」
「いや神楽ちゃん時代間違えてるからね。大正とか戦国時代とか京都とか仙台とかは関係ないから」
 触れば火傷のしそうな地面に恐る恐る腰を下ろし、弁当を広げながらもしっかりと新八がツッコミを入れる。
「それにしても暑ちィなぁ」
 額に浮かんだ汗の玉を拭い取りながら沖田が息を吐きながら言う。
「暑ッちぃ」
 手の甲で影を作りながら、誰に言うでもなく沖田がひとり呟いた。
 じゃあなんで屋上に来たよ、という最もな指摘をする気力のある人は誰もいない。
 照り付ける太陽の熱が物も人も何もかも融かしてしまいそうな程暑かった。音でさえ声でさえ水蒸気に転じて発した途端に空気に溶けていくような錯覚。それすら感じる。
 暫しの沈黙が訪れる。暑さを紛らわそうと一心不乱に食べている。
 じわじわと蝉がないている。子孫繁栄のために来る夏を鳴いているのかじきには過ぎるであろう速すぎる夏を泣いているのか。
 蝉がないている。
 鳴くにしろ泣くにしろ、夏をないている。

 笹と蝉と、まだ二十も届かぬ、大人なんて夢のまた夢の少年たちだけが黙々と屋上に居た。等間隔を置いて座る三つの背中に初夏のコバルトブルーの空は異常に似合っている。彼らはまだ何ものでもない。彼らは何ものにでもなれる。彼らに定められた道はない。その代わりにゴムともフラーレンとも例えられる、無限の未来が広がっている。
「私前まで思ってたアル」
 食べ物を一通り底なしの胃袋に詰め込んだ真ん中に座る少女がふと口を開いた。残りの二人が手も口も止めずに、視線だけで続きを促す。
「一年に一回、365日とか366日に一回しか会えない織姫と彦星は可哀想だって思ってたアル」
「ありがちな乙女チックな解釈でィ。お前がそう思うなんて意外でさァ」
 菓子パンを咀嚼しながら飄々と言ってのける沖田を神楽がキッと睨んだ。沖田が肩をすくめた。
「乙女ほど末恐ろしいものはないネ。とにかく、どうせ引き離すなら年に一回とかじゃなくて一生会えなくした方が諦めもつくものヨ」
 いや自分で言っちゃお終いでしょ、と新八は思うがやはり口に出さない。しかしやはりこのどこか年齢よりも幼稚でどこか年齢よりも老成した彼女だ。朧げで抽象的な概念ほど悟るのに長ける。骨を見るだけで死を理解するこどものように、彼女は聡い。
「でも最近分かったヨ」
「社会人としての生活にも支障をきたす程の熱々なカップルが天の川如きに引き裂かれる筈がないということですかィ?」
「なんで分かるネサド!」
「マジですかぃ」
 沖田が後ろに倒れこんだ。目を閉じれば瞼が赤い。腹の中にいる赤子はこのような色を見ているのだろうか。背中から地の熱さ染み込んでくる。
「私は毎年毎年皆の願い事を叶えてやってるくらいなら大丈夫なんじゃないかって思ったまでヨ」
「織姫彦星はサンタさんじゃないんだから」
 笹を抱え上げ、ところで銀ちゃんは酷いアル、と藪から棒に神楽口を尖らせた。
「だってもうすぐ期末試験アル。高校三年生の期末アルヨ!そんな肝心の時に担任が風邪を引くなんてどんな了見アルカ?!」
「お前がそんなに試験に力を入れてたたぁ初耳だなァ」
 期末試験が目に見えて迫っているのに3Zの弛みきった空気は相変わらずだ。ヘドロ閣下が勉強を始めたために表面上は引き締まりつつあったが、というかヘドロ様が皆で頑張りましょうと言ったら首を横に振れる勇者がいるだろうか。振った瞬間にもがれそうだ。とにかく、真面目な山崎や新八やらがノートを見返したりするのみであった。
「そんな生徒の試験を受けたくないという切実な願いを叶えてやるべきアル!」
「あのね神楽ちゃん先生もサンタさんじゃないから理事長に行きなさいというか校長でも無理だから」
「マジカ」
 茫然自失とした表情で神楽の両手がぶらりと下がった。弱々しく笹が音を立てた。
「その発言にマジかなんだけどマジだよ」
 あーもう何かものすごく疲れた、と沖田を倣って新八も寝転がる。手を空に向かって伸ばしてみた。雲が流れる。鳥が掠める。しかし空は青いままだ。まるで今日も世界は確実に変わっているのにそれでも変わっていないように。
 蒼い、蒼い空を掴むには遠い。この星と宇宙の境界線をなぞる空というものは一体どこからどこまでがそうなのだろう。
 連綿と連なる星空は日が昇った今、拝めはしないが確かにそこに存在しているのだ。
 日が沈み、そしてまた日が昇れば…
「あ、そうだ。明日沖田さんの誕生日でしたっけ?一日早いけどおめでとうございます」
 寝返りを打ち沖田に向かう。神楽はいつの間に笹の影の下にいい具合に潜り込んでいた。眼鏡も外して、完全に昼寝に入る体勢だ。
「よく覚えてんねィ」
「じゃあ決着は明後日アルカ?」
 半開きの目で神楽が問う。透明度の高い湖のように彼女の瞳も澄んでいる。青く、蒼く、それこそまるでこの硬質なかがやきを放つ空の弧のようだ。
「いんや。明日こそお前をぎゃふんと言わせてやらぁ」
 上半身を起こし、沖田はにやりと不敵に笑う。
「くぷッ、ぎゃふんだってアル。それこそ大正の時代に死語になってるネ」
「てめぇ…」
 腹を抱えて大笑いする神楽に沖田が唸るようにして噛みついた。受けて立つネ、この神楽様にひれ伏すがヨロシ!神楽のはしゃいだ応答にいつもの追い駆けっこが始まる。嗚呼、結局はこうなるのか、と諦めたように新八は二人に背を向けた。彼自身もこの状況を楽しんで笑いを悟られないようにしているだけだが。
 僕らの春があんなにも青かったなら、僕らの夏はこんなにも熱い。
 熱気を孕む屋上でまだ何者でもない少年たちが、こどもとしての年月のカウントダウンに入った彼らが夏を謳歌していた。蝉と、笹だけがさわさわと靡いている。それ以外には、何もない。

 だって今年最後の夏は始まったばかりなのだ!

 Inviolable Blue




2012・7/7


――――――
タイトル→不可侵の青
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