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□世界は君を中心に回っている!
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 戦があれどなかれど、夏は手ごわい。食べ物は腐る、水は枯れる。虫も出る上に動かなくても汗は出る。並べ始めたらきりのあったものではないが、何より臭うのである。腐臭体臭硝煙。元は命を宿し、得物を振るった人である者、人でないもの。己のかそれとも他のかも知れぬ吐き気を催す鉄錆びの匂いに酔いながら、坂本は血しぶきの跳ねた胴を落とした。ガタリと、鈍い音を立てる。
 雨にぬかるんだ地に埋もれるようにして沈み始めた胴を引き上げた坂本はふと顔を上げた。志士の様子が違う。傷ついたあまりに或いは肩を抱き震え、或いは寡黙に全ての感情を隠しまたは消し去り、また或いは震えが止まらず乾いた咳のような笑いに肩を揺らし続け、そして過程も症状も違えど志を持って集った者を狂人に変えるような戦火の中であるのに、その夜だけは生気に溢れていて、活気さえ漂わせていたのである。
「あ、坂本さん!総督も桂さんも坂田さんももういますよ」
 興奮したように手を大きく振る兵の顔が心なしか赤く火照っている。
「おーおー何か楽しそうじゃのお!いいことがあったがか?」
 笑顔を浮かべ、声を掛ければもう一人が襖から顔を出し、酒ですよ、酒!と叫んだ。
 物質の支給に乏しい現状に酒が手に入るのは確かにいっそめでたいことだ。意気消沈としていては志気を昂らせることも難しいというのは建前で、時には酒宴で好きなだけ騒がせるのも良い。なにしろ後何回そのカッと喉を焼くような液体を口にできるも分からぬ身だ。自棄になり生き急ぎ死に急ぐよりは酔い痴れた方が十倍も百倍もいいことか。
 男達につられるようにして坂本も声を張り上げた。
「ほりゃあまっことか?」
「まっこと!まっことッスよ!」
「よし、今へちに行くからちっくとは酒を残してくれえ!」
 まるで村で若者が集まって酒盛りをするようなあまりにも普通な情景で、その光景を再び眼に映すことができたことに何故か喉の奥が絞まるなんとも言えない感覚に襲われた。それを隠すように再び笑顔を取り繕う。とりあえず水を浴びようと踏み出した足が泥濘を跳ねた。

 灯油を燈した屋内は赤々としていて、男達の抑えきれぬ興奮も相まって爆ぜそうな程の熱気を孕んでいた。
「金時くーん!酒ばどこじゃ酒ば!」
 着替えた坂本が大広間を過ぎた個室の襖を開け放とうとしたところで部下に口を押えられた。
 横切る際に数人に声を掛けられ、誘うならまだしも酔った勢いで引き摺られて行きそうだったのを何とか断り、そして踏み入ろうとした個室の前に人が屯ろしているなとは思ったがしかし気に留める程度で構わず中に呼びかけた。何より、自分とて酒を速く飲みたかったのだ。そして取り乱したような男に慌てて口を閉ざされる。
 見渡せば何故か数人が深長な顔持ちで耳を戸に寄せている。シーっと人差し指を立てられ、何の真似だと問う。しかし己の部下も混じるその集団の表情は至って神妙である。
 真似て坂本も中の気配を追った。確かに桂、坂田、高杉の三人が中にいる。飲み始めて久しいようで大分酔いが回っていた。言い争いが繰り広げられているのか声が高くなったり低くなったりしているが冷や汗のする斬り合いではなく、どちらかと言うと歳の近い兄弟喧嘩のようだ。力みすぎて触れれば倒れそうな朽木を押さないように細心の注意を払いながら、会話を聞き取ろうと点々と染みを付けた障子に耳を押し当てた。
「てめ、俺のまで飲まー。よーけ(たくさん)飲めるわけでもなーちゃ!」
 非難するような声を上げるのは敵味方双方から怖れられているが甘味を渡せばすぐに懐いてくれると知る人ぞ知る、坂本と同じ憐れな頭髪の運命を背負っている銀時である。完全に酔っているわけではなさそうだが、主に口調や口調や口調が色々とおかしい。
「は、てめェはすぐ泥酔するじゃろーが。こまー(小さい)酒量でてんくら(全く)飲めん癖に」
 鼻を鳴らし、あからさまに見下すのは高杉でまーまーと諌めるのが比較的落ち着いている桂だ。この人達もいつもと違うというか、しかしあくまでも自然で、というか、これはもしかしなくても邦言葉だろうか。
「貴様らいい加減にしさん。ほら水なぇーと飲みーさん(水でも飲みなさい)」
「じゃけぇ騙されんちゃ、おまーがいっちゃん(一番)飲んでるからに!」
「どこまで母親気取っちょるけぇかいや!?えー(すごく)いなげな(怪しげな)奴っちゃ!」
「コラ、いらう(触る)にゃ!」
 約二名の転がる音からして掴みかかった高杉と銀時を桂が避けたか払いのけたのだろう。数秒の沈黙が過ぎ、坂本は思わず頬が緩むのを感じながら耳を襖から離した。部下の男に顔を寄せ、おまん、いいことしちゅう。親指を立てる。
「こりゃあ…じゃろうえいが(面白いもの)を見つけちゅうね」
「ですよねー。俺初耳ですもん」
 中の三人は酔って近すぎる気配に気づかないのか、大広間の雑多な騒音で聞き取れないのか、はたまた無視を決め込んでいるだけなのか、反応は全くない。
 よく分からない単語が飛び交うが、日常的に感情を探らせない銀時と皮肉じみた言動を取る高杉、そして時々真面目さが仇となり阿呆になるが冷静さに欠けることのない桂は、その時酷く楽しそうであった。常に神経を研ぎ澄ませながら、すり減らせながらいるまだ年若い彼らが自分達の世界に入っていることは坂本を安心させたし、どこか安直に踏み入ってはならないような気にもさせた。本来はまだ大人にならなくても責められることのない年頃である。そんな未だ少年から青年への過渡期にいる彼らを追い詰めるのはこの世かはたまた彼ら自分達の意志か。知る由もないし、己には知る権利もないと思う。
 今夜は宴であるのだと傍観者然として考察を始める己の思考を引き戻し、坂本は意識を障子の向こうへ戻した。かびたような匂いが鼻をつく。いや、実際かびているのだろうが。
「あァー、飲み足りん!えー足りん!」
 唸るようにして高杉が些か乱暴に杯を置く音がする。床に穴が開くだろうと桂が咎め、いやそれはねーよ。銀時が間を置かずツッコミを入れた。
「そうゆうならお前、自分で取ってくるっちゃ」
 せんない(面倒くさい)奴っちゃ。疲れた声が溜息と共に吐き出され、それにすかさず高杉が噛みつく。
「しろしい(煩い)なァ。言われねーでも分かっちょる」
「あ、晋ちゃん、俺の分も!」
 嫌にはきはきとしている口調に悪戯を目論んでいる銀時の表情が目に見えるようで、こちやと微笑ましいのう…と坂本が零し、同郷で歳も上の男がまっことそうじゃのおしー。低く抑えた囁きの中から慈愛がにじみ出ていた。
「酔いつぶれても知らんけぇ。勝手にしろ馬鹿」
「なっ…勝手にするわばか」
――(なんじゃこいつら…しょうまっこと可愛いぜよ!可愛くないのが可愛いぜよ!)
 傍から見れば完全に頬が緩んでいて少しばかり怪しいどころではないが、会話を盗み聞く誰もが似たような表情をしておりそれを指摘するのは誰もいない。坂本には高杉と銀時が何だか弟のように思えてきて、桂が母なら自分は父になってやろうじゃないかくらいの構えにはなってきた。坂本自身、末っ子であるが、冷静に指揮を取りそして躊躇いもなく天人の首を掻っ切る二人の繰り広げる言い争いと桂への反抗が正に餓鬼のレベルで呆れながらもどこか父性を駆り立てられるのだ。
「わぁーったよ。取ってくればえぇんだろ取ってくれば。お前らは一生そこに居座ってればえぇんっちゃそしてくたばれ」
 立ち上がる音を聞いた坂本は障子から距離を置いた。蜘蛛の子を散らすように他の男達もそそくさと離れ各々呑み出す。





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