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□世界は君を中心に回っている!
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 舌打ちをしながら大広間を横切った高杉に一瞬だけ静けさが訪れたが、彼が倉庫に向かおうと外に出た頃には弾けたように元の喧噪に戻っていった。
 調達できた酒の量は決して多くはないが、皆浴びるようにしてそれを飲む。まるで酔うことを目的としているように、一刻でも早く自我をなくせるように、貪る。
 それは己とて同じだ。再び考察的思考に入り込む自分を感じながら、坂本は注いで貰った酒を流し込んだ。うおっ、坂本さん、いい飲みっぷりッス!志士達が口々に囃し立てる。
 酒は便利なものだ。危ない上に高価な薬と比べれば危険性も低い。僅か一時でありながら幾ら足掻いても振り払うことのできない現実から我が身を切り離すことができた。理性的でいる時は苦痛の中で彷徨い本能と節制の狭間で戸惑う。朦朧の中でしか一時の安楽を得られない身では故に酒は酷く都合の良いものであった。
 それの効果であっても、生死を共にする仲間と時には目的さえ忘れて騒ぐのもいいことだ。
「わしがくべちょうよ」
 一升瓶を持ち上げ、比較的新参者の若者の杯にとくとくと透明の液体を注ぐ。量が残りわずかとなれば競ってそれを瓶から一気飲みした。
「おい坂本、」
 肩を掴まれ反射的に振り返れば眉間に皺を刻んだ高杉が佇んでいた。いつ戻ってきたのだろうか。両の目は揺らぐ灯の炎を映している。
「なんじゃ、高杉、どうしたが?」
「酒、もうないのか?」
「さぁ…蔵の中は見ちゅうか?」
 物資はそこに集められゆうよね、坂本が顎を撫でながら、確かに武器にしろ食糧にしろ大抵の物は離れにある倉庫で保管されていると確認する。いや、行ったんだがなァ、高杉が僅かながら困ったような表情になった。
「流石に残り二本だけとなりゃあ俺達だけで飲むに飲めねェだろーが」
「そうながやきか?ほんなら後でわしが持って行くぜよ」
「そうか?」
「そうじゃ、姉やんが送ってきたの、まだ開けてもないじゃよ」
 そりゃあ当然旨いんだろうなァと詰め寄る高杉に地酒の豊の梅だと太鼓判を押し、なら待ってると背を翻すのを半ば茫然としながら眺め、あれ、普通に会話してたじゃないか。今頃異変に思い至る。至って普通に、いつものように俺様な標準語で喋っていたではないか、彼は。
「坂本さん、あれ」
 隣の新参の面白がっているのと困惑しているのと半々の怪訝な顔持ちで控えめに高杉の背中を指差した。そうじゃのう、と坂本が相槌を打つ。
「戻った、のう」
「戻りましたね…」
「ありゃあ無自覚ながやきかぇ?ほりゃあじゃろうえいねー楽しいねー、あはははは」
 坂本さんあんた黒いですよ。そっと呟き、わざとらしく遠ざかった男に再び笑う。杯を呷れば冷たいのに食道を焼く液体が喉を通り過ぎた。戦場でこれほど度数の高い酒などお目に掛かったことすらない。いつもの水っぽいそれとは全く別の飲み物のような気さえした。
「酒ゃあどこそ?」
 十数歩離れた所から銀時の声が聞こえ、顔を上げる。薄暗い中でもかなり頬が赤いのが見て取れた。肌が白い分酔いが現れやすいのだろうか。
 ないと高杉が応えればだからおまーはいつまで経ってもチビなんちゃ!と何故か身長のことを持ち出す。それに米神を引き攣らせたのが遠目からも分かった。
「何でてめーにくじゅうられ(怒られ)ねェといけないんちゃ!ついでに言うと俺ァ平均じゃ!日本の成人男性の平均身長は170やけぇ現実的ろう、おめーらが成長しすぎただけにゃ」
 噴火の如く一気に捲くし立てる高杉を子供だと例えれば小さな笑いが上がる。どうやらお互いに喋っている時だけ訛るようだ。それはそれで酔ってるのにコントロールがよく効くなという話だがそこは全力でスルーをお願いしたい。
「よお分からん言葉じゃけんど喧嘩は興味深くてうんと(すごく)楽しいぜよ」
「あ、辰馬〜!」
 銀時が手を大きく振る。
「なんじゃ金時」
「金時じゃねぇ銀時だって何回言ったら分かるんだよてめェはよ?あァん?ってそれもそうだけど、お前、早く来いよ!」
「酒も持っていきゆうよ!」
「マジでか!辰馬大好き!」
 数秒前までやくざ紛いに脅し立てたのに数秒後には掌を返すどころか先程のことなどなかったように満面の笑顔を向けてきた。相変わらず現金だと苦笑するがまだ少年の域を脱していない上に酔っている銀時のふわふわした笑みにどこかグッと来るものがあった。いや、断じてそういう新しい世界への扉を開いたとかじゃなくて。可愛い子供じゃのうと思う程度のアレでアレだからアレである。
「あはは、あはははははは!」
 落ち着くには笑うしかないような気さえしてきた坂本はとにかく馬鹿笑いを続けた。

「ちゅうわけで、行ってきゆう」
 左手に姉の送ってきた「豊の梅」を、右手に男達の分けてくれた酒を携え、坂本は親指を立てた。うおぉ、と志士達が湧く。期待して障子の外で待機してますよ!何のために酒を分けたと思ってるんですか。酔って方言になる彼らが面白いからもっと酔わせろとの重大な任務を抱えた坂本にはもう一本の酒が進呈されたのだ。坂本を送り出した志士達は障子が閉まると同時に個室の傍で移動した。
 濃い血の匂いに麻痺する。
 それ以上に花見にでも行くような期待に満ちた空気が大広間を支配していた。
「あれ外、騒がしくねーか?」
 入るや否や酒!と目を輝かせた銀時が眉を寄せながら訝しんだ。
「盛り上がっちゅうからがやないのか?」
「あっそう」
「そういやぁ、つまみはねェのか?」
 片膝を立てて座る高杉にあまり酔いの気配は感じさせない。
「いや、ないきに」
「そねぇならテキトーに何か摘んできていがきゃあ(茹でれば)えぇやないか」
 ばーかと嘲る銀時にお、喋った喋ったと心の中でグッジョブと酒の効果に感謝する。何とか耐えて無視を決めた高杉が坂本開けた酒を嚥下する。
「辛いな」
「ほりゃあたいそい(辛い)のが好きやきな。口に合わんか?」
 地元では淡麗で辛いものが好まれた。しかも遺伝なのか大抵の人は酒に強い。幼い頃は酒を飲み交わしながら非常に楽しそうな大人の輪にいつ自分が入れるかと夢見ていた。憧れさえ抱いていた。蓋を開けてみればただの馬鹿騒ぎでしかなかったが、それがまたいいと思った。
「いや、辛いのは好みだ。ただ、」
 今度は高杉が銀時を揶揄うように口端を上げる。
「お前の好みには合わんけぇ。なァ、銀時」
「うっせ。きなる(格好付ける)なや。俺はただ甘いのが好きなだけじゃけぇ、辛いのが飲めねーわけやないんっちゃ」
 高杉から杯を引ったくり一気に流し込もうとする銀時に今まで黙り込み殆ど存在さえ忘れかけていた桂が口を開いた。あれだけ飲んだのに顔色が全く変わってない。
「ねんごー(言い訳)言うちょらんで、結局は好きやないってことだろう」
「あ、ヅラ、やっと喋ったね」
「ヅラ、おんしも飲むかや?」
 少しばかり呆れたように笑った銀時に続き坂本が桂に酒を勧める。しかし桂は顔を上げずに沈黙を貫き、僅かに反応があったかと思えばぼそりと一言だけ口にした。
「…桂ら」
「かつらら?」
 戸惑い首を傾げる坂本を押しのけ高杉が桂の肩を掴み強引に下から表情を覗きこんだ。面白そうにクツクツと喉を鳴らす。
「おいヅラぁ、酔ったかいや?」
「え、これ酔っちゅうの?素面ながやき酔っちゅうの?」
「誰が酔っちゅうって言うたね。なんならあれか。飲み比べしちゅう?」
 高杉を片手で払うその手は全く容赦がない。ヒクッと肩を上下させながら酒瓶を掴むその姿はさながら鬼というより般若のようだった。普段なら攻撃的な高杉や銀時を抑え込む役回りは微塵も感じさせない。あの優しゅうヅラの面影が…!と坂本が嘆いて見せる。半分本心だったが。
「ぶち(すごく)面白そうじゃね。俺とあと辰馬も参加せぇ、酒にゃあ強そうやけぇ」
 既に動きがふらふらとしている銀時が身体を揺蕩わせながら坂本の肩をばんばん叩いた。
「そうじゃのう…」
 分からない。よく分からないが疲れた。
「受けて立つ。はよぉせんと間に合わんしな、明日に響くけぇ」
 夜が明けるのが異常に早い。
 あと数刻もすれば空も白くなってくるだろう。
 なんだもう朝かと銀時が今度は高杉にべったり張り付く。もしかして酔うと絡みに絡むのか、こいつは。へらへらふわふわとした笑顔を絶えず振りまいている。阿呆が。罵りながらも高杉が銀時の頭に手を埋め撫でた。桂は繰り返しもはや聞き飽きたあの名台詞をぶつぶつと呟いている。ヅラじゃない桂だ、ヅラじゃない桂だ。鬘じゃないヅラ…じゃなかった、桂だ。その目は完全に座っていた。ヅラがめげてる(壊れてる)っちゃ。相変わらず笑いながら銀時が誰にもなく言う。はぶて(拗ねて)ちゅう。感慨もなく高杉が返した。
 こんな風に笑いあう日常がお前たちにはあったのか。こんな風に笑いあう日常がこれから、もし生き残れたらの話だが、何十年と生きていく中でまだあり得るのか。
 突如に酷く鮮明な匂いが鼻を衝く。鉄砲だ。い草ではなく鉄砲の火薬と鉛と灰と泥とが混じった匂いが畳からする。それが彼らに降りかかる前途を示しているようで、慌ててそんな思考を振り払った。火薬の匂いなどこびり付いても洗えば落ちるのだ。この先何十年と生きていくのだ、傷も硝煙も時と共に消えていくだろう。その時に安寧が訪れればいい。また笑い合えればいい。
「でもそん前に…」
 桂の頭を撫で始めた銀時をどけ、高杉が立ち上がった。柱が軋み、障子が不規則に揺れた気がしなくもない。
「外で傍耳立てちょる煩い野郎共をけつって(蹴って)来ちゃる」
 無造作に開けた障子が外れ、薄笑いを浮かべる鬼兵隊総督様の登場に大広間が虚を突かれる。奇妙な沈黙が訪れた後に高杉の怒鳴り声が響き渡るまであと三十六秒。


 世界は君を中心に回っている!
 あはははははは…笑いは世界を救わなくても混沌たる現実に埋もれる今の自分を救える、そう信じて坂本は笑った。取りあえず笑った。




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