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□木犀の契り
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 ひょう、と風が吹く神無月の始め。枯葉の目立ち始める地を照らす既に逝った夏の残光と巡り訪れた秋の柔らかい空。八百万の神々がおわせぬ月はこんなにも穏やかで、暖かくて、残酷だ。

 これもまた一興であるかと頬の裏側が切れたのを感じながら銀時は他人事のように思った。脇腹を押える左腕は使いものにならない。指が掠るのは剥き出した己の骨。箸のように折る衝動に駆られたが触れると痛いのでやめた。
 これは確かに面白いものではあるなと、酷く冷静に自分を見下ろしている自分に気付いた時はどれくらい経った時であるのか銀時は分からなかった。正確な日付など知らないが自分の生まれた日に死ぬという、これほど面白いことはないではないか。
 人は生まれたからには死ぬことが定められているわけだから、それなら早くその日が来たほうがいい。大切な人ができる前に死ねば未練なんてない。既にそのような存在が自分のような奴にでもいるわけだから叶わないが、せめてその人たちが逝く前に逝けば悲しみはないだろう。
 生きて死ぬことがそんなに甘いわけがないということくらい、噛み分けたものだと思っていたのだが。
 少し前に爆発に巻き込まれたが、もっともその前に捨てる命はねーかと誘った先鋒部隊の殆どは既に息をしていなかった。それが爆発によって肉片が四散したがしかしそれに周辺に居合わせた天人の大半を道連れにしたということであれば得したものだと、出来るだけ客観的にと銀時は感情を押し留めながら立ち上がる。下卑た感嘆の声と共に笑いが漏れた。うっせーと言おうとするも代わりに咳と血が出る。
「天下の白夜叉様もこのザマか?」
 衰弱しているのを見て銀時を嘗め回すように近くに群がる天人を軋む腕で一人斬り、
「んなザマの人間様に、テメェらの仲間はこれか?」
 前のめりに倒れる頭を踏みつければ更に笑いが広がる。さも面白そうに尚笑いの止まらない天人に顔を歪めた。連動したのか傷口が酷く痛んだ。ともかく気道は焼けていないようだ。
「いい顔じゃねーか。もっと歪めてみせろよ」
 荒い紙やすりのようなしゃがれた声と共に数人が一斉に飛びかかってくる。動きたくないとごねる手足を無理に動かせばみしりと関節が音を立てる。肉を骨から剥ぎ取るような激痛に一瞬意識が飛んだと分かった頃には右肩に刃物が突き刺さり、地に倒れていた。背中に感じるのは皮肉にも銀時が切り殺した天人の身体。刀をぐいとねじり込まれる。やはり灰か何かが詰まっていたのかそれとも流石に限界なのか掠れた声にならない喘ぎだけが漏れる。血の味しかしない口の中で最悪だと舌先で転がすように繰り返した。へぇこれで死ぬのか。最悪だ。聞こえる者は誰もいない。その筈なのに聞き慣れた靴音が喧噪に混じって聞こえた。最悪だ。

「そいつは玩具じゃねェんだよ、いい大人だろうが。目ん玉付いてんならちゃんと見やがれ。…ああ、もうそいつぁ使いもんにならねェってな」
 物騒な台詞に銀時が目を開ければ人を食ったような表情の、要するにいつもの高杉の顔が必要以上に近くにあった。横を見れば天人の屍が律儀に積み上げられていて、それに言っていたのだと気付く。銀時の視線に気付いた高杉が触るのも嫌だったんだがなァとぼやいた。
「それよりテメェ、狸寝入りしてんじゃねェ」
「してねーよバカヤロー。というか天パが玩具みたいだなんて言うなヅラみたいなヅラにすっぞオイ」
 予想以上に声が出たことに目を瞬かせていればほら帰るぞ馬鹿と頭を叩かれた。撫でるように労わるように軽く、軽く。
「なんだよその幽霊でも見たような目は。手でも貸してやろうかァ?」
「っ誰がいるかボケェ…!」
 腕で身体を支えようと力を入れた先には麻痺したはずの痛みが鮮明に伝わる。図体デケェお前を背負うなんて今回きりだと垂れた腕を肩に回されながら早口で言われ、反論する間もなく背負われる。は、チビに背負われんのも今回きりだととりあえず返した。
「お前なぁ、とりあえずアレだ、ゆ、ゆぅ…うん分かるだろ低杉チビ助、アレだよ、あれはスタンドなんだよとりあえずそれを覚えろや」
 広々とした翼の鳥が飛んでいた。
 薄雲の流れる晴天を横切るのは雁だろうか。もうそんな季節なのかとほうけて銀時は空をそのまま眺め続ける。何しろ身体のどこを動かすにしても痛むのだ。はたと脇腹を見やれば高杉の袖と思われる布が巻かれていた。地には死だけが、その真上には雁が飛んでいる。
「鴻雁来だからなァ」
「何それ」
「だからテメェは馬鹿なんだよ銀時」

 もしも、と沈黙の末に高杉が口を開いたのはなんで生きてるんだろうなと銀時が呟いた後だった。
「人が生まれると同時にさ、死んでるんだよ。なんで生まれたんだよじゃあ」
 茨城いたじゃねーか、キャバクラ行く奴。あいつ今日死んだじゃねーか。
 何故残していく。何故殺すために彼らの生んだのだ。何故人として生まれた日に人の死を見届ける。それは人は独りで生まれおのおの独りにて滅びゆくからか。それは自分が残されるのを恐れているからか。その答えを容易く導き出すほどには穢れた世を生きすぎたし、それを否定するにも縋るにも、歳不相応に成長しすぎた。
 歩くだけの高杉の背中に切れていない側の頬を預ける。
 もしも。そして唐突にそう言う高杉の声がくぐもって銀時の片耳に響いた。
「もしも皆くたばっちまったらよォ…」
「それはやだ」
 皆とはどこからどこまでの皆かは知らないが、即答する銀時にまぁ聞けと高杉が宥める。
「そしたら俺はお前が死ぬまでぜってー死なねェよ」
「嘘吐け」
 小さな点のような本陣が見えた。指揮を執る桂と傍で笑う坂本のいつもの風景を想い出し、なんだか笑いとともに苦い何かが込み上げてくる。少々乾いた笑いだけが、鱗雲のそよぐ空の下に漏れた。便乗するように高杉もくつと声を出して笑う。
「法螺話じゃああるめェ。俺が死ぬならその前にお前を殺す」
 冷気を漂わせはじめた空気にぽつりと浮き、溶け込んでいった呟きに応えこそなかったが、確かにその耳に届いていたのだ。

 ぽっかりと浮かぶ欠けた月にふいと酒を飲みたくなった。
 銀時は屋根に腰掛けているのだが、下には神楽と泊りの新八が寝ている。一時間ほど前までは一階で騒いでいたのだが、今はまるで何も起こらなかったかのようにすべてが寝静まっている。真選組の近藤とどこからどう見ても桂にしか見えないキャプテンカツーラがどこをどうやってどういう経緯でロックとソウルを持って改革を起こすことについて意気投合した上に話に花を咲かせることができたのかは永遠の謎だが。
 夜の空気に冷やされた酒が喉を焼く。
 この前京に行った時に手持ち無沙汰なもんでなァ、菓子買ったんだが甘いらしいからおい銀時、いるか?桂に手当てをして貰っている時にいきなり頭にめがけて小粋な包みが投げつけられたのを今でも覚えている。
 拾い集めても元に戻ることはない欠けたカケラが一瞬だけ貼り合わさったように、蘇る。
 時が流れすぎたのか、それとも自分が進みすぎたのか。
 なぁお前はいつ死ぬつもりなんだよ。ふとそこはかとなしに問うてみた。お前が死ぬその前に、死んでやるからさ。
 時に思いを馳せるそれは遥か彼方に置いてきてしまった、遠すぎる昔。
 きっと自分達が求めたのは、たったそれだけのことだったのかもしれない。


 木犀の契り


―――――
きっと貴方を追い越したいだけ。
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