佐藤ツインズ

□『一度は捨てたサッカーだけど。』
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父の熱意は強かった。小6の9月頃から「うちの子を見てやってください!」と売り込み電話をジェフの事務所へとかけまくる。セレクションは12月。その3カ月も前から父は電話し続けた。

当時、ジュニアユースのコーチを務めていた大木誠(現在はジェフ千葉・業務統括本部業務部部長)は、小6から現在に至るまで勇人を見守り続けてきた恩師である。

「いやあ、とにかく熱意がすごくて(笑)。スタッフの一人がね『大木さん、電話がスゴイから、セレクションやりましょうよ』って」

クラブユース勃興期だからこそ実現した、前代未聞の「セレクション前倒し」。父の粘りが、プロクラブのスケジュールを覆した。

’93年秋、十数人の小学6年生の中で大木の目に留まったのは、弟の寿人だった。小柄ながら、その素早い動きと独特の嗅覚は、大人を唸らせるものがあった。

兄の勇人は注目されなかった。念願叶って実現した早期セレクションだったが、佐藤家の好むと好まざるとにかかわらず、弟には至福の喜びを与え、不幸にも兄には陰鬱な心象風景を残すキッカケとなってしまった。
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