佐藤ツインズ

□2006年8月16日
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スポーツ報知0814

http://hochi.yomiuri.co.jp/soccer/japan/news/20060814-OHT1T00058.htm

日本初双子代表!勇人&寿人、合体弾…3年ぶりコンビ以心伝心で狙う


写真)一緒に引き揚げる双子の弟・佐藤寿(左)と兄・佐藤勇

 13日に発表された日本代表に、FW佐藤寿人(24)=広島=とMF佐藤勇人(24)=千葉=のツインズが名を連ねた。兄の勇人は初選出。二卵性双生児の2人は、代表でそろってプレーする夢に大きく前進した。この日、新潟市内の宿舎で再会した2人は「コンビで得点を狙いたい」と宣言した。DF陣ではCBが浦和の坪井慶介(26)、田中マルクス闘莉王(25)の2人だけの選出というサプライズがあった。

 午前9時半、寿人が勇人の携帯電話を鳴らした。広島から空路新潟に向かう前に、初選出された兄へ喜びの声を伝えたかった。だが、前日新潟で試合があった勇人は、まだベッドの中。前夜にアマル・オシム監督から伝え聞いていた勇人は、寝ぼけた様子で「また後で」。結局、代表ツインズが喜びを分かち合ったのは、新潟市内の宿舎で合流してからだった。

 身長、体重こそ同じだが、二卵性の双子だけに見た目で区別は付く。ポジションもFWとボランチ。性格も対照的だ。細かいことにこだわらない勇人と、突き詰めるタイプの寿人。報道陣の取材でも、それは浮き彫りになった。

 ―親に報告をしたか?
勇人「まだ言ってないです」
寿人「昨日の夜、電話した。母親の誕生日だったのでいい報告ができました」

 ―一緒にピッチに立つのはいつ以来か?
勇人「U―23のエジプト遠征くらいですね」
寿人「U―22の時。2003年8月に山本さん(昌邦監督)の下でやりました」

 サッカー人生も対照的だ。同じ市原(現在千葉)ユース出身だが、寿人は出番を求めてC大阪、仙台、広島とチームを渡り歩いて現在の地位を築いた。勇人は千葉一筋だったが、なかなか先発の座をつかめず、03年のイビチャ・オシム監督就任とともに定着した。ボランチながら「後ろから危険な飛び出しができるかどうかは常にオシム監督に言われてきた」と自らの特徴を生かしての代表選出を喜んだ。

 高校時代には国体などでもコンビを組んできた2人だが、プロのピッチでは2人のコンビで結果を出したことがない。99年のクラブユース選手権で横浜Mを相手に「リスタートの時、DFの背後に(勇人が)ボールを通した。僕と勇人だけが反応していた」(寿人)。記憶にあるゴールシーンは、この程度だ。

 日本サッカー界初のツインズ代表。性格が対照的な2人は、ジャパンブルーのユニホームを着て相手チームを幻惑する。


(2006年8月14日06時07分 スポーツ報知)
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