佐藤ツインズ

□『一度は捨てたサッカーだけど。』
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小学校1年生の時、埼玉県のクラブチームに入団した勇人は、寿人と一緒に日が暮れるまでボールを追いかけていた。そもそも、剣道を始めるつもりだった勇人がサッカーを始めたキッカケも、すでに入団していた寿人の影響だった。

実際にプレーしてみると、瞬く間に、サッカーの虜となった。ポジションはトップ下。チームの王様である。学年が上がるにつれて、上の学年の子に混じってプレーしても遜色ないほどに、技術は向上した。

小学校6年生のとき、両親が埼玉県春日部市で経営するラーメン店をたたみ、千葉県へと越県することを決心したのも、二人の才能を伸ばすにはジェフのクラブユースが一番だと考えたからだ。

勇人は振り返る。

「もし地元の中学校の部活に行っていたら、1年生ではボールに触れなかった。キッチリとした先輩、後輩の上下関係もあります。父がジェフのジュニアユー スの試合を見に行ったことがあって、そのときに当時のコーチと話をして、『ここなら成長できる』と確信して、僕たち兄弟に薦めてくれたんです」
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