マニアック百科

7件

【阿部勇樹 (あべゆうき)】
『少年時代憧れた選手』…「漫画・キャプテン翼の翼くん。ボールをバーに当てて,跳ね返ってきたボールをオーバーヘッドでシュートするプレーをよく真似していました。真似してバーには当たるけど,ボールが戻ってこない…みたいな笑。」
『ジェフ千葉ジュニアユース時代』…「ジュニアユースに所属していれば,普通は学校の部活に入らないじゃないですか。でみ,僕が小学時代に所属していた市川FCの仲間や,対戦した相手がサッカー部に所属していたこともあり,僕も所属していたんです。もちろん,大会には出場できないのですが,朝練にも参加していましたし,放課後もジュニアユースの練習がない日は部活に出ていました。」「今でも覚えているのが,当時,トップチームの主力選手だったリトバルスキー選手とのシュートゲーム。まだ160センチに満たない中学生の僕を相手に,全く手を抜かないんです。本気でシュートを打ってきましたからね。それがすごく楽しかったし,刺激を受けた。」
『自分だけの武器』…「中学,高校時代は全く考えていませんでした。僕の場合,足がすごく速いとか,何かが飛び抜けて秀でているというタイプではないから,"コレが俺の武器だ"と感じたことはあまりない。プロになってから,セットプレーでキッカーになることが多くて,こういうものを自分の強みにしていこうと。」
(出典:サッカーai FEB/2010号)

【乾貴士(横浜FM) (いぬいたかし)】
『幼少時代』…兄がサッカーをしていたので一緒にサッカーをして遊ぶ。
『小学生時代』…1年生から本格的にサッカーを始める:家から車で1時間くらいのセゾンFC。そのころから攻撃的なポジション。GKをやりたかったが,試合や練習をやってみて適性がないとわかった。
『中学生時代』…そのままセゾンでプレー。尊敬する先輩は一つ上の楠神選手。初めて彼のプレーを見た小6の頃から一緒のチームでやりたいと思っていた。ポジションが同じくらいのとこでドリブルがめっちゃうまい!
『野洲高校時代』…自由な校風。1年のときは試合にも出られずレギュラーも遠かった。でも2年の選手権で優勝して,それからプロを意識するようになった。この優勝では泣かなかったが,3年のときの選手権滋賀大会決勝で勝ったときは泣いた。安心したし,思うようなプレーができず,U-21代表で大事なときに抜けていたりしていたので。3回戦で負けてただただ悔しかった。
『横浜FMに入団』…開幕戦はベンチ入り,第2節でJリーグデビューを果たす。期待されるルーキーとして特集が組まれるように。
(出典:サッカーai JUN/2007号)

【太田 宏介 (おおたこうすけ)】
「サッカー以外は前に出たい性格です」
『夢』「高校時代はサッカー選手はリアルな目標ではなかった。空港で誘導する仕事に憧れていた。サッカー選手になった今,引退してもサッカーに携わる仕事をしたい。」
『カラオケ』「盛り上げる系の曲が好き。十八番はチョ・ナンカンの"愛の唄"」
「サッカーが本当に好きだし,サッカーを通じていろんな人に出会えた。いろんな人に支えてもらっているので,いつか恩返しがしたいなと思っています。」
(出典:サッカーai Aug,2009号/清水所属時)

【柏木陽介 (かしわぎようすけ)】
サンフレッチェ広島でのチームメイトとして寿人からのコメント…「陽介に初めて会った時の印象は,薄くて,どちらかというとマキ(槙野智章)のほうが強かったんですよね。そんなに目立つというタイプの選手でもなかったけど,(ペドロビッチ)監督がきて変わった部分が大きい。代表にも招集されて自信をつけて,徐々に"柏木陽介"という色をつけてきているなと感じます。子供の面倒見が非常にいいので,家に遊びに来たときはよく子供と遊んでくれています。うちの子供も陽介になついています。テレビで五輪予選の試合が放送されていたとき,陽介が指示を出すジェスチャー姿が映ったとき,子供もそれを真似するぐらい。若いなと感じるのは髪の色くらいかな笑,でも,ああ見えて,実はいろいろと考えるタイプですね。」
(出典:サッカーai FEB/2008号)

【千葉和彦(新潟) (ちばかずひこ)】
\サッカーai編集部オススメブログとして紹介/→千葉和彦『Kazuhiko Chiba』(新潟時代)同クラブのほっかもこと北野選手のブログを「上地雄輔さん的な面白さがある」とイチオシしていた。
(出典:サッカーai AUG/2008号)

【播戸竜二 (ばんどりゅうじ)】
『もしもサッカー選手でなかったら』「冒険家になって旅をします。世界各国に行きたいですし,宇宙や火星にも行きたい。徳川埋蔵金も探したいし,海底に潜んでいる海賊船から宝を探すこともしてみたい。」
『弱点はしいたけ』「しいたけを投げられたら逃げるしかないです」(出典:サッカーai Jun,2009号)

【槙野智章 (まきのともあき)】
『DFW』「小学校から中学2年までずっとFW。中3のとき監督が変わってそこで初めてDFを体験。攻撃は好きだが"基本は防御があっての攻撃"だと思っているのでDFがいい。ディフェンシブFW.」
『トンジ』というニックネーム……気づいたらそう呼ばれていて自身も由来を知らなかったが,ある取材のとき兄が「小さい頃豚汁が好きだったから」とコメントして初めて知った。スタジアムでトンジと聞こえると知りあいが呼んだのかと反応してしまう。(出典:サッカーai Oct.2009号)



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