長編・シリーズ

□君を繋ぐ音楽
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皆に申し訳なく思いながらも加地はその足で最寄り駅から電車に乗り、新幹線に乗り換え、とある地方都市に向かった。
仕事、というのは半分本当で、半分嘘だ。
確かに依頼があってここに来たのだが、依頼主が雑誌などの編集関係ではない。
その相手は、先程まで会っていた理事長なのだ。
加地は重いあしどりで、目的のホールに向かった。
中に入り、チケットにあった席に座り、開演を待つ。
すぐにコンサートが開演し、加地は流れだす音楽に耳を傾けた。
だが、すぐに眉をきゅっと寄せ、難しい顔をしたのだった。


終演後、加地は楽屋に向かった。
この楽団とはすっかり顔なじみになり、一応許可をもらうが、顔パスになっている。
そしてすれ違うスタッフやメンバーと軽く挨拶をしながら、楽屋の入口に立った。
一つ深呼吸をしてから、なにかを決意するかのようにノックし。
「はい?」
相手の返事を待って中に入る。
「やぁ、久しぶり、日野さん」
そう言いながら…。


「加地くん久しぶりねぇ、仕事忙しいの?」
香穂子は加地にコーヒーを差し出しながら尋ねた。
「うん、ちょっと…ね。仕事以外でも忙しくなる、かな」
「仕事以外?なあに?結婚でもするの?」
「…いや、違うんだ。今日はそれでここまで来たんだけれど…」
加地は迷いながらも、すぐに本題に入った。
こういう事は後回しにしても仕方のない事だからだ。
「吉羅理事長から、今日話があってね…」
「理事長?」
吉羅の名前を聞いた瞬間、香穂子の顔に緊張が走った。
加地はそれに気付きながらも、わざと知らないふりをして、話を続けた。
「学院の創立100周年記念事業の一環で、OBと学生のコンサートを開くんだ。…それで、登場のアンサンブルメンバーで出ないか、って」
「…そう」
香穂子は一瞬顔を強張らせた。
そして、静かに目をつぶった。
「…みんな来るんだよね?」
「…うん」
「拒否権はないんだよね?」
「うん。理事長からの伝言。『君は借りがあるはずだ。それを返してもらう』って」
「…そう…」
香穂子は深く息を吐くと、静かに目を開いた。
「…分かった。参加します、って理事長に連絡をお願いできるかしら?」
「え?」
あっさりとイエスと答える香穂子に、加地は驚いた。
もう少しごねられる、と思ったからだ。
そんな加地を見て、香穂子は思わず苦笑してしまった。
「なあに?嫌だって言って欲しかったの?」
「いや、そうじゃないけど…」
そう言って加地が言葉を濁すと、香穂子は更に複雑な表情になった。
「…ちょっと色々あってね、両親とも相談して、実家に戻る事にしたから、…タイミングよかったのよ」
「…あの街に帰る、の?」
加地は眉を寄せながら尋ねた。
「うん、それが今私に出来る最低限の事だし…。それに、今そんな話が出てくるのも、…もう隠すな、って事なんだと思うの」
加地は淡々と話しながらも、心の内部では苦しい気持ちでいるであろう香穂子の言葉に、それ以上何も言う事は出来なくなってしまったのだった。
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